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火の見櫓(下伊那郡) ブログトップ

松川インターチェンジ近所の火の見やぐら [火の見櫓(下伊那郡)]

長野県下伊那郡松川町大島の火の見やぐら。
2014.05.04.ooshima1.JPG
中央道松川インター入口交差点至近、県道15号沿いに立っています。

建立年は不明ですが銘板が装備されており。
「長野県飯田 岡本鉄工所 製造」
2014.05.04.ooshima5.JPG
以前のエントリー記事で採り上げた、
高森町上市田の火の見やぐらと同じ鉄工所ですね。
プレートのデザインも文字も瓜二つなので、定番プレートなのでしょうが、
やはり右から文字なので、この松川町の子も戦前製作とも推測できます。
もっとも、上市田の子もそうですが、銘板の右書きだけをもって
戦前の製作だと断定するのは早計かもしれませんが。

2014.05.04.ooshima2.JPG
2014.05.04.ooshima3.JPG
2014.05.04.ooshima4.JPG
全体のプロポーションは上市田と似ている様子ですが、
こちらのほうが脚部はワイドですね。
その脚部がトラスでなくブレースで納められている点も上市田と同型で、
岡本鉄工所の定番スタイルであろうことが十分考えられますね。
2014.05.04.ooshima6.JPG

5月の休日一日を使って巡った下伊那・飯田の取材ツアーのレポートは
今回のエントリーでおしまいです。
火の見やぐらに関しては例によってほぼ行き当たりばったりだったので、
脈絡もなく道すがら出会った子達を時系列で掲載しました。
なので出会いも少なかったですが、次行ったときはもうちょっと
事前情報をピックアップしてから進みたいと思います。

(撮影日:2014年5月4日)


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小学校の前に立つ火の見やぐら [火の見櫓(下伊那郡)]

長野県下伊那郡松川町、名子地区の火の見やぐら。
2014.05.04.nako1.JPG
松川町消防団第1分団消防ポンプ車庫に隣接する
松川町役場至近の県道59号沿いに立ち、
松川中央小学校とは道路を挟んで向かいに在ります。
小学校だけでなく櫓の背後は松川中学校となっていて、
まさに地域の子供たちを見守る存在してあるかのようですね。
2014.05.04.nako2.JPG

デザインは4脚柱のタワーで、4角形の屋根に8角形の見張り台。
2014.05.04.nako3.JPG
半鐘は見張り台の屋根中心と踊り場レベルに張り出して装備。
2014.05.04.nako4.JPG
見張り台には木槌も確認できますが、今でも地域で打刻されているのでしょうか。
2014.05.04.nako5.JPG
脚部からのプロポーションはいいバランスで絞られていますね。

2014.05.04.nako6.JPG
製作は駒ヶ根市の山浦鉄工株式会社(現:株式会社ヤマウラ)。
以前エントリーした飯田市内の櫓も同社製でしたが、
やはりデザインはほぼ同一スタイルですね。
同社のスタンダードモデルということなのでしょうか。
2014.05.04.nako7.JPG

(撮影日:2014年5月4日)


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高森町上市田の火の見やぐら [火の見櫓(下伊那郡)]

長野県下伊那郡高森町上市田、中部の火の見やぐら。
2014.05.04.kamiichida1.JPG
飯田市街から伊那方面に向かって中央道に並行して走る
県道15号沿いのロータリー的な交差点脇に立っています。

4脚柱タワー型。
梯子は踊り場までが柱脚外部、踊り場から見張り台までは柱脚内部に装備。
2014.05.04.kamiichida2.JPG
屋根は4角形でかなりとんがり帽子の風体。
半鐘は見張り台センターに1基装備。
屋根も見張り台もけっこう錆が目立ってきています。
2014.05.04.kamiichida3.JPG
2014.05.04.kamiichida4.JPG
踊り場は一面張り出しバルコニーが設けられていて、
半鐘を吊るしていたであろう竿が確認できますが、
そのものは吊るされていません。
2014.05.04.kamiichida5.JPG
足元は脚部に根がらみのように横架材が入っており、
リング式ターンバックルのブレースが装着されていますね。
構造的にはもちろん間違いではないのですが、
デザインを考えるとやはり脚部はトラスやアーチなどで
始末をつけて欲しいところです。

建立年代は不明です。
が、装備されている銘板の文字書きが右からなので
昭和20年より以前であることが推測できます。
2014.05.04.kamiichida6.JPG
「長野県飯田市 岡本鉄工所 製造」
戦前、昭和初期建立の火の見やぐらは少数ながら
各地にその存在が確認されていますが、
戦時中の金属供出という非常事態のなかで無事生き長らえたとすれば
この子もまた貴重な存在の一基であるといえるでしょう。

あるいは仮定の話として、
戦前のやぐらが金属供出で解体されてしまい、戦後になって再建。
解体時に取り外して保管していた初代の銘板を二代目に再び装備した、、、
というのは、まあさすがにちょっと飛躍しすぎた考えですかね。

いや、それよりも単純に同社の銘板は戦後になっても
すべて右から書かれていたというだけだったりして?(それもないか。)

いづれにしても塗装剥離からの錆劣化進行で解体撤去となることが心配ですが、
この先もうまく生き長らえて欲しいところです。

(撮影日:2014年5月4日)


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鉄柱のホース干し兼半鐘塔 [火の見櫓(下伊那郡)]

下伊那郡阿智村伍和、阿智村消防団第三分団詰所の塔。
2014.05.04.64.1.JPG
少し前のエントリーに続き、ホース干し塔に半鐘が付属したスタイルです。
こちらは少し細身の鉄柱スタイルで、
半鐘もツルリとしたデザインのものが柱と同じ緑に塗られています。
2014.05.04.64.3.JPG
県道64号線沿いの阿智中学校の近所に立っており、
傍らの分団詰所もそれなりのものであることから、
ここは間違いなくタワー型の火の見櫓が立っていたことでしょうね。

防災無線アンテナとスピーカーの類は
詰所裏手に別に塔が建てられ機能していました。
2014.05.04.64.2.JPG

(撮影日:2014年5月4日)


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畑の中のホース干し塔兼半鐘塔 [火の見櫓(下伊那郡)]

下伊那郡阿智村伍和、たぶん原の平地区の半鐘。
2014.05.04.haranotaira1.JPG
前エントリーの伊賀良神社へ向かう途中の道すがら発見。
いきなり現れたので適当に数枚の写真を撮っただけで、
詳細の土地情報を確認し忘れて字名が分からないです。
たぶん、原の平地区にあたるかなと思われ。

電柱にしようされるコンクリート柱そのまんまホース干し塔に転用。
その柱の中ほどに半鐘を吊るしてありました。
おそらく、かつてはきちんとした火の見櫓が立っていたのでしょう。
あるいは、中継塔としての梯子型の半鐘塔だったかもしれません。
このテのタイプが他にも幾つか見かけました。
集中的に同じスタイルに建て替えを進めたのかもしれませんね。

いづれにしても、半鐘そのものは立派なタイプです。
打刻している部分が少し傷んでいるようにも見えますが。
2014.05.04.haranotaira2.JPG

天気がよく、多少霞んでいますが南アルプスが背景に見えて
眺めの良いポイントでした。
2014.05.04.haranotaira3.JPG
もしタワー型の火の見櫓あったのであれば、
とても絵になる風景だったでしょうね。

(撮影日:2014年5月4日)


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根羽村役場前の火の見櫓 [火の見櫓(下伊那郡)]

下伊那郡根羽村、根羽村役場前の火の見櫓。
2014.05.04.neba1.JPG
国道153号線と売木村へ向かう県道との交差点の際に立っています。

153号はかつての塩尻市~岡崎市を結ぶ三州街道にあたり
長野県にとって北へ向かう千国街道とともに塩の道と呼ばれる行商の街道でした。
根羽村はその三州街道の宿場のひとつ、根羽宿のあった村であり、
近世には中馬の拠点の1つとして賑わい問屋や馬宿、茶屋などが軒を連ね、
江戸後期に庶民による行楽が流行すると善光寺詣でなどの物見遊山も盛んになり
山間の宿でありながらもけっこうな賑わいを見せていたそうです。

で、そんな根羽宿の中心地エリアにそびえる、火の用心の看板が目立つ火の見櫓。
2014.05.04.neba2.JPG
4本脚型で、屋根と見張り台ともに四角形。
2014.05.04.neba3.JPG
全体に錆が目立ちますが、半鐘は健在のようです。
もっとも、今もなお叩かれているかどうかは不明ですが。

踊り場は途中2段あり、梯子が折り返しで設置されています。
2014.05.04.neba5.JPG

脚部までブレースがはいっており、
梯子昇降のため一方のみ開放されている様子。
2014.05.04.neba4.JPG

直線的で裾の広がりがないのはプロポーションの点でちょっと残念。
敷地の都合でそうはできなかったのでしょうかね。

今回の取材で巡った下伊那の南部エリアは山間部の
世間で言うところの過疎地域なわけですが、
過疎であるがゆえか、火の見櫓の残存が殆ど確認できず、
代わって防災無線&スピーカー塔をかなりの頻度で見かけました。
高齢者などの多い現状からの合理化ということかもしれません。

火の見櫓解体撤去の流れは大都市圏と過疎集落、
双方から加速をつけて進行しているようです。
2014.05.04.neba6.JPG

(撮影日:2014年5月4日)


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