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松本型狛犬との類似性? [狛犬・寺社(東京都)]

10月の東京狛犬取材ツアーで巡った神社は4社。
(ほぼ半日ではこのあたりが限界)

昼間に他の仕事を済ませつつ、夕暮れ時にかろうじて訪問できたのがこちら。
東京都目黒区、下目黒の大鳥神社。
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山手線目黒駅から権之助坂を西へと下った先、
都道317号との交差点角に鎮座している神社で、
江戸期には目黒不動、金比羅権現と並び目黒の三社様と呼ばれていたそうです。

境内はきれいに整備されていて、いかにも都会の神社。

ご祭神は日本武尊。
相殿として国常立尊と弟橘媛命。

境内の由緒書きによると同社の由来は景行天皇時代に遡るそうで、
日本武尊に所縁が深く、社号も尊に由来するもののようです。
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立派な拝殿、そして本殿。
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末社の目黒稲荷神社。
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社務所。
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神楽殿。
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庚申塔(青面金剛像)など。
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片隅には切支丹灯篭なるものがありました。
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さて、狛犬です。
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今回の時間が限定される取材ツアーで同社の狛犬をチョイスしたのは
この子の画像を下調べ中に見かけたことによるのですが。
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この表情、というかたてがみの様子。
左右にぐわっと広がるたてがみのデザインは、松本型の狛犬を想起させます。

というか、狛犬のアップ画像だけを見せられたりしたら
松本エリアのどこの神社だろう?と思ってしまうかもしれないほど。

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『大正五年(1916)九月吉日』建立。
『溝口石工 内藤慶雲』とあります。

内藤慶雲は川崎市の溝ノ口を中心に仕事をしていた石工とのことで、
この名前の刻まれた狛犬も都内や川崎市内などに数多く残っているそうですね。

ただ、それらの狛犬は作風の大きく異なるものが多く、
内藤慶雲の名を用いた作品は複数人によっているというのが通説のようです。
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松本型狛犬というのは基本的に江戸狛犬の流れにあるものと位置付けできますが、
その殆どは現在も松本市内で営業されている田近石材店さんの
当時の親方(二代目の田近勝之助など)の手によるもの。
そんななか、安曇野市下鳥羽の大同神社に居る松本型狛犬一対だけは、
白鳥文治郎(ほか2名)の名前が台座に彫られています。
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(↑安曇野市下鳥羽の大同神社にいる狛犬。以前の取材記事はこちら

大同神社の子は松本型としては典型的なデザインですが、
その特徴であるたてがみのワイドな広がりもさることながら、
胴体の皮膚というか体毛を表現しているのであろう鑿跡の様子が
内藤慶雲作の大鳥神社の子達と非常に似通っています。
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(上が大鳥神社の狛犬。下が安曇野の大同神社の狛犬。)

このような鑿の入れ方が狛犬制作の技術として珍しくないのか否か、
自分はまだそんなに数多くの取材を重ねたわけではないのでよく分かりません。
ただ、これまで500対近く出会った狛犬のなかでは、
この感じの鑿跡は大同神社とこの大鳥神社の2対のみしか見た記憶がありません。

尾のまとめ方も違うといえば違うかもしれませんが、
先入観を持った目で見てしまうとつい両者似通って見えてしまいます。
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(同じく上が大鳥神社、下が大同神社。)

顔の向きを含め細かな相違点も認められますし、
今回たまたま似たようなデザインの子に巡りあっただけかもしれません。
ただ、たてがみだけでなく子獅子の顔つきや鞠といった似たデザインを見てみると、
単純に偶然では済ませられない印象を感じてしまうのも否めない事実。
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(同じく・・・以下略w)

じつは以前より大同神社の狛犬は白鳥文治郎作ではないのではないかという疑念があり、
余計にそうした受け止め方をしてしまったのかもしれません。

まさか大鳥神社の子達を作った内藤慶雲が、安曇野の大同神社の子達までも・・・?

大同神社の子達が大鳥神社の子達と同じ大正5年建立というのは、偶然?

ちなみに大同神社の子が白鳥文治郎と違うのではという疑念の理由は
大同神社の子以外の松本型狛犬はすべて田近氏の制作であるということと、
田近氏作の別の神社の狛犬と作風があまりに似すぎているということ。
そして白鳥文治郎の名が刻まれた大同神社以外の狛犬を2対知っていますが、
そのいづれも岡崎現代型で自身の手によるものではないことなどから。

そんな以前からの疑念に加え、今回新たに大鳥神社の内藤慶運狛犬が加わり、
これらの狛犬たちの出自に関する関心がますます高まってしまいました。

続報があれば、また追々記事にして行きたいと思いますが、
また次に東京方面でじっくり狛犬取材をする時間が取れれば、
内藤慶雲のその他の狛犬を幾つか見て巡ってみたいとも考えています。
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以上で10月15日取材ツアーの記事は終わりです。

(取材日:2015年10月15日)



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素盞雄神社の獅子山と狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

東京都荒川区南千住の素盞雄神社。
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先日の東京日帰り取材ツアー(仮称?)にて
限られた時間内でどの神社を巡ろうかと思案した結果、
前から会いたかった獅子山の狛犬がいるところへ、というわけで訪れてみました。

所在地の千住は日光街道の初宿。
その南側に出来た宿場町が町の起源とのことらしく、
隅田川を渡る手前に鎮座しているのが同社。
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御祭神は
素盞雄大神と飛鳥大神。
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旧日光街道に面した側の鳥居をくぐると参道両脇に灯篭・・・の遺構?
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灯篭だったのかなんなのかよく分かりませんが、
災害か何かの影響で本体が失われたのでしょうか。

台座のレリーフにいる狛犬のデザインがいいですね。
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参道を進むと右手奥に参集殿。
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突き当たりにそびえるのは地元で有名な大銀杏だそうで。
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御社殿正面は左に回りこんだ先。
拝殿。
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神楽殿。
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境内社。
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境内には富士塚がありましたが、瑞光石という名の由緒書きが。
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瑞光石はご祭神が降り立った場所で、幕末になって富士塚を築き
浅間神社が祀られることになったのだそうです。
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そしてこの浅間神社ここに狛犬が一対。
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なかなか素朴な時代を感じさせる狛犬。
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残念ながら脚部など一部に欠損が見られますが、
頭部にくぼみを持つなど江戸中期までの狛犬にしばし見られる特徴も確認できます。

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足座部分に文字が刻まれていて、建立年を記しているようなのですが判読できず。
ネットに出回る情報によると宝暦10年(1760)という解説がありました。

さらに荒川区有形民俗文化財指定の庚申塔群の前にも
黄色い前掛けが印象的な狛犬がいました。
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社殿正面、境内南側に立つ鳥居をくぐった場所に、さらに狛犬一対が。
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文化五年(1806)戊辰閏六月吉日、建立。
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決して大柄ではないですが厳しい表情と分厚い胸板が迫力を感じさせるのと、
たてがみがけっこう長めなのが印象的ですね。
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特徴なのは頭頂部の様子。
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頭に窪みを持つデザインは江戸期の狛犬に見かけますが、
阿形は窪みがあるように思われつつ逆に突起しているようにも見え、
吽形は窪みの中に小さな石のつぶてがあるようにも見えます。
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台座の文字。
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「新吉原角町松葉屋半蔵」。

松葉屋は吉原の有名な引手茶屋とのこと。
自分は全然知らなかったのですが、平成の御世となるまで
その後継となる店が存続していたのですね。
もちろんかつての茶屋としてではなく、吉原の芸者衆によるお座付きや
花魁ショーなどの形で江戸文化の保存継承の役割も担う現代的な事業としてですが。

ところでこの狛犬の台座に「昭和10年」の年号と「市勢久次郎」の氏名が記されていました。
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なにかの事情から復献したとかそういうことになるんでしょうかね?
銘文の事由がよく分からないです。

そして最後に拝殿正面に鎮座する獅子山。
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立派なお山に立派な狛犬たちの姿。
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事前にネットで紹介されている情報で少し予習していましたが、
なるほど高い評価を得ているだけのことはある獅子山だと思いました。
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胴体や表情の彫りは極端な凝った部分を見せていないですが、
なにより持ち上げた尻部から立ち流れる尾のデザインというか
技術が素晴らしいと思います。
イメージとしては山の頂上に吹く風になびく尾とたてがみ、って感じでしょうか。

背後というかお尻側から見た姿も堂々としたものです。
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この角度から見ると尾の造形の良さがよく分かりますね。

また、自分が「おっ?」と思ったのは吽形の親獅子の目。
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正面から観賞しているとさほど感じなかったのですが、
その直下にいる子獅子との関係を撮ろうとアングルを探っていた時、
親獅子の視線が子獅子のほうに向けられているような印象を持ちました。

目玉は、まあ着色されていてその黒目の向きが少し下方に向けられている感じで、
考えすぎかもしれませんけどなんとなくほのぼのした印象でいいなと思った次第です。

建立年代の詳細は不明ですが、
狛犬の杜別館さまのサイトにあった情報に依れば
推定ですが明治22年以降の建立ではないか、とのことでした。
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この日の取材ツアーは時間の都合で他の訪問予定地やその他スケジュールを考えると
足を運ぶのは躊躇われていたのですが、
この獅子山はじめ境内の狛犬たちに出会うことが出来、
断念することなく訪れてよかったと改めて思うことができました。

素盞雄神社HP



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三社様の狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

いまや世界的な観光スポットとなった
東京台東区浅草、浅草寺。
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の、本堂東隣に鎮座する浅草神社。
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土師真中知命(はじのまつらのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)

社伝による創建の伝承はいろいろ物語があるようですが、
実際は平安末期~鎌倉期にかけて祭神の後裔が
崇祖の思いから創建したものであろうとされているようです。
詳しくはこちらの由緒書き、または同社HPへ。
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浅草神社HP

狛犬ですが、同社には自分が確認しただけで三対います。
まず正面鳥居をくぐって拝殿に向かう途中の一対。
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がっしりした石組みの上に蹲踞する江戸獅子。
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足座がなくそのまま石組みに本体が据えられていて、
石組みにいろいろ文字が刻まれています。

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「天保七(1836)丙申三月」。
建立や奉献の文字はないですが、
まあこれを建立年と考えて差し支えないでしょう。

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「山川町大工虎五郎」。
山川町というのはかつて浅草にあった町名のようですね。

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「象潟町 大岩」。
象潟も浅草にかつてあった町名のようです。
こちらが石工さんの名前になるのでしょうか?
などと思っていると別の石にも文字が刻まれていました。

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「田町 文三郎」。
こちらも町名と名前のみで奉献主なのか石工なのか判然としません。

詳しく調査したわけではないのでなんともいえませんが、
常識で考えて大工がこれを彫り上げたとは想像できないので
少なくとも虎五郎は奉献主と置いて差し支えないと思います。

では田町の文三郎と象潟町の大岩が石工かどうかの検証ですが、
刻まれた名前のパターンからすれば文三郎が虎五郎とともに献主で
大岩を石工と考えるのが普通のような気もします。

ネット上でも、とくに狛犬の杜別館さんに詳しい解説付きで掲載がありましたが、
やはり石工=象潟町の大岩、献主=田町の文三郎&山川町虎五郎、
となされていました。

ただ、奉献主として並ぶ両名の名前のうち、
虎五郎は台座上部に横書きで、文三郎は石工であろうとされている大岩と
同じようなデザインパターンで縦書きによって施されています。
どうもそのへんが自分的にしっくり来なくて、でも資料不足なのでなんともいえず。
もしかして自分が知らないだけで“象潟町の大岩さん”というのは
石工さんとして史料にも名をのぞかせている人なのかもしれませんが。
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次に拝殿前の一対。
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三段組のしっかりした台座の上にブロンズ像の蹲踞タイプ。
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台座に献主と奉献事由、建立年が記されています。
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「浅草神社社殿復元記念 三社睦会 昭和三十八(1963)年五月」。

浅草神社の本殿及び幣殿、そして拝殿は国重要文化財指定。
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社伝によると本殿などは慶長2(1649)に将軍家光公により建立寄進とあります。
その復元ということですから、なにか大改修でもあったのでしょうかね。

ちなみにウィキペディアでは重文指定を昭和36年としているのですが、
同社HPでは昭和26年となっています。
おそらくウィキの誤記だろうと思い、文化庁のデータベースで念のためチェックしたら
昭和21年指定とありました。・・・はてさて、どゆこと?

三対目は同社に限らずこの日の取材ツアーでもっとも出会いたかった一対。
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参道や拝殿前ではなく、すでにご隠居さんとして境内の一角にて
静かに余生を過ごしているといった感じの一対です。

夫婦狛犬として紹介されているようで、由緒書きが用意されていました。
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ここにも書かれていますが、足座の部分に文字が刻まれていまして。
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「諸願成就」

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「品川町裏河岸 鈴木平吉」

石工名と建立年は残念ながら刻まれていないようです。
上の由緒書きでは1600年代後半~1700年代前半と推定していますが、
まあおそらくその頃の可能性がもっとも高いと自分も思います。

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同時代の江戸狛犬は数多く取材したわけではないですが、
スタンダードなデザインといっていいのではないでしょうか。

この子の存在を知り、いつか会ってみたいと思ったのには理由があって、
それは穂高神社若宮社の狛犬たちのルーツを知る手がかりになるのではと思ったから。
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若宮社前の狛犬一対は明和6年の制作で、
江戸で作られて穂高神社まで運ばれてきたことは判っているのですが、
具体的な出生の状況(彫った石工さんとか)までは情報がハッキリしません。

本ブログ(2013/01/13)穂高神社の記事

浅草神社のこの夫婦狛犬と称されている子たちは、事前にネットに出回る画像を見る限り
穂高の子たちと大きさや全体の造形が似通っている印象があったため、
ひょっとするとなにかしら繋がりがあるのでは?と期待して訪れてみたのですが。。。
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結論から言って、まあ当然かもですが、とくに手がかりになるようなことは何も無し。
全体の大きさなどはたしかに似ているところはありますが、
細かなデザインはぜんぜん違いました。
頭部の窪みが両社の狛犬ともに存在する特徴とはいえ、
この子たちに限らず江戸中期の狛犬にはよく見かけるものですし、
だいいち穂高神社の子は首を振っていますが、この夫婦狛犬は正面を見据えています。
劇的な展開も多少は期待しましたが、残念ながら同一石工さんではないでしょう。
いづれにしても石工名が残っていないのは惜しいですね。

ただ、年代的にそう遠くない時期に制作された両者だろうと思います。
穂高の子達の奉献主が江戸深川在住の商人だったことを合わせ考えると、
同じ石工さんの作品ではないにしても、浅草のお宮で楽隠居(?)中の夫婦狛犬さんたちとは
ひょっとしたら親戚筋に当たるかもしれない、、、、とか、いろいろと楽しい妄想はつきません。

ところで足座の側面側に刻まれている文字についてですが。
まあ文字の内容は上にも書いた通りで、それはべつにいいんですけど、
現在置かれている状態で阿吽とも向かって左手側面に文字があるのです。
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つまり、元あった状態に阿吽の顔が向き合って正対していたとすると
阿形は参道手前側に文字があり、吽形は参道奥側に文字があったことになります。

また、顔が正対せず参道に対して平行に据えられていたと考えると、
阿形は参道内側に文字が向き、吽形は参道外側に文字が向いていたことになります。

まあ狛犬に文字を刻む位置程度、どうでもいいっちゃあそうなんですが、
それが全く異なる内容同士ならまだしもなんですが、
同じ奉献主の名前の刻字だったので、なんとなく違和感を覚えた次第です。
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さて、本殿の北側に末社の被官稲荷社へと移動。
社殿前にお約束の狐さんがいました。
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手にしているのは鍵のようですが、房付きの立派な仕様ですね。

同社の由緒はこちら。
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江戸後期の町火消しとして有名な新門辰五郎ゆかりの社ということのようです。

小ぶりな一間社流造の本殿は幕末に祀られて以降、
関東大震災も東京大空襲も無事に生き長らえた、貴重な社殿とのこと。
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ところで浅草神社は浅草寺の本堂すぐの位置に隣接しています。
その浅草寺の境内一角に恵比須・大黒天堂という小さなお堂があり、
本尊の石像は江戸前期の作とされているそうなのですが、
そのお堂の前にも小ぶりで可愛らしい古い狛犬さんが一対鎮座しています。
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阿吽で正面に向き、少し顔を持ち上げているような格好で蹲踞していました。
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先ほどの浅草神社の夫婦狛犬とどことなく雰囲気は似ており
制作も同年代くらいかなという印象も在ります。
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その制作年、ネット上の情報では延宝三年との話が一部出回っていましたが、
お堂脇の由緒書きでこの年代が示しているのは恵比須と大黒天の石像のことで、
この解説を読む限りでは狛犬まで含まれるとは考えづらいところです。
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自分が見た限りでは狛犬本体にそれらしき刻字がありませんでした。
もしかしたら赤い前掛けをめくってみたらお腹あたりに刻まれていたのかどうだか。
あるいは寺に残る古文書などにはその旨が明記されているけれども
現地の由緒書きではたまたまそこまで明示されていないだけ、なのかもしれません。

いづれにしても、見た目の印象から江戸中期頃の作品ではなかろうかと
自分も考えるところではありますけれども。
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浅草寺界隈はまたしてもゆっくり楽しむことができませんでした。
前回訪れたのはもう9年近く前の初詣。
二年参りで死ぬ思いをしながらの参拝だったりしたので、
そのときは落ち着いて浅草を楽しむこともなく。
そして今回もまた日帰り所用のついでに敢行した取材だったため
狛犬の撮影以外にほとんど時間を使うこともなく退散してしまいました。
ホントは仲見世あたりでもう少しゆっくりしたかったのですが。

とくにこの仲見世の様子の写真。
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じつはこの画像の右手には浅草寺本坊の伝法院があるのですが、
その仲見世に面した一角に立派な薬医門が立っています。
その薬医門、じつは松本市小俣の、とあるお屋敷に建てられていた門ということで
それが訳あって伝法院へと移築されたのだという話を以前にある方から伺いまして。
これは浅草に出向いたら写真を撮っておかねば、と思っていたのですが、
なんと現地に行くと同門の前のフェンスには何枚もの「写真撮影禁止」の張り紙。
理由は書かれていないのですが、ここは幼稚園の通用門がすぐ隣にあり、
もしかするとそのプライバシーの問題などからそうなされてしまっているのかもしれません。
真相は不明ですが、いづれにしても禁止の張り紙を無視してまで撮影できるほど
非常識な人間にはなれない自分なので、泣く泣く撮影は諦めた次第でした。

でも、ネットを見るとけっこう写真が出回っているんですよね。
そんなのを見ていると撮影してもなにも言われないのではと思ったりもしますが、
事情が分からないうちはやはり撮るのは躊躇われますし、仕方ないですね。

ということで、最後の一枚は伝法院の撮影不許可な薬医門の兄弟門だとされている、
安曇野市堀金岩原にある、大庄屋山口家の薬医門です。ご参考まで。
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(取材日:2015年10月15日)



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東京にいる手向山神社タイプ [狛犬・寺社(東京都)]

先日、とある所用で東京へ日帰りで出かけ、ついでに神社巡りをしてきました。
ということで突然ですが数回ほど東京の狛犬紹介を続けます。

東京都台東区鳥越の鳥越神社。
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JR総武線浅草橋駅から北へ徒歩約10分ほど、
都会の真ん中に鎮座しています。
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境内外の歩道脇に掲示されていた区教育委員会の由緒書きによると
創建は白雉二年(651)。
ご祭神は日本武尊、天児屋根命、徳川家康。
社号の由来その他もろもろは以下をどうぞ↓。
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社号標の揮毫は鳩山一郎。
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石造の鳥居をくぐると境内は左に折れ、
正面奥に立派な拝殿が見えました。
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本殿はこちら。
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西参道の鳥居。
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境内社の志志岐神社はご祭神が豊玉姫命。
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穂高神社主祭神の穂高見命の長姉神であり、
神武天皇のおばあちゃんにあたる神様。

福寿神社。
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神楽殿(?)。
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手水舎。
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祖霊舎。
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社務所。
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狛犬は拝殿前に一対いました。
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151015torigoe22.JPG151015torigoe23.JPG

銘板によると、昭和7年(1932)6月1日建立。
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151015torigoe36.JPG151015torigoe35.JPG
そして昭和25庚寅歳5月吉日修復とあります。
戦時中の空襲などで被災して復旧されたということなのでしょうかね?
修復理由は記載がなく、銘板は寄進者氏名がずらっとあるのみです。
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151015torigoe38.JPG151015torigoe37.JPG

デザインは見ての通り、奈良の手向山神社にいる鎌倉時代作といわれる
奈良市の文化財指定も受けている狛犬のコピーです。

大きさは大型の部類に入ると思いますが、図体のわりに頭の小さい点が特徴で、
吽形に角が付き、阿形が立ち耳で吽形が折れ耳の点もオリジナル同様です。
151015torigoe26.JPG151015torigoe27.JPG

銘板には「狛犬彫刻 八柳五兵衛」とあり、さらに
阿形には「施工者 加瀬又右衛門」、吽形には「施工者 高橋金三郎」とあります。

八柳氏は彫刻家とのことですが、八柳氏が原型を作り、
阿吽をそれぞれの石工が請け負ったということになるのか、
あるいは八柳氏が狛犬制作を手がけ、台座設置を含むその他の石工作業を
施工者の名がある2人が請け負ったということになるのか。
銘板に刻まれた肩書きから察すると後者のような気もするのですが。

靖国神社にいる籠神社型の狛犬も同じ八柳(恭次)氏の名が刻まれており、
そこにも別途石工の名(小澤映二)が刻まれていて、
靖国の子たちと同じようなシステム(?)で制作されたのかもしれませんが、
そもそも靖国の場合も彫刻家と石工の分業体制がいまいちハッキリしていないので
その点については今回もノーコメント。
なにはさておき、自分としては手向山神社のオリジナルをまだ取材していないので、
コピーながらもこちらで同デザインを拝見できたのは有意義なことでした。
151015torigoe24.JPG151015torigoe25.JPG
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あと手向山神社のコピーがここに存在する理由については、
インターネット上で少し検索した限りでは明確なものが見出せませんでした。
同社から直線距離にして2キロちょっとの程近い日本橋を守護する獅子像が
同じ手向山神社の狛犬を参考にしたとされていますが、
現在の日本橋が完成したのは明治44年ということですから、
そのへんの話がなにかしら影響と言うか背景にあったのではとも
考えられなくもないと思うのですが、、、考えすぎでしょうかね?

境内に張られていた台東区の神社マップ。
151015torigoe15.JPG
神社巡りの好きな人にはこういう地図は楽しくていいですね。
151015torigoe30.JPG

(取材日:2015年10月15日)



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日枝神社の御旅所にいる狛犬 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都中央区日本橋、茅場町の日枝神社日本橋摂社。
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今日、たまたま東京有楽町にて日帰り出張があり、
昼休みの束の間を利用してどうにか同社を訪問取材してきました。
20150620hienihonbashi2.JPG
東京証券取引所にも程近い、オフィスビル街の真っ只中に境内はあります。

永田町の日枝神社の境外摂社。
創建は天正18年(1590)で、情報によれば
日枝神社の八丁堀北嶋祓所まで神輿が船で神幸したことに始まるとされています。
後年には同社地が御旅所に定まり、明治10年(1877)に現在の日枝神社に改称。
大正4年に日枝神社本社の境外摂社に定まり、現在に至っています。

参道途中から振り返るとこんな感じ。
20150620hienihonbashi3.JPG

参道を抜けて鳥居をくぐると社号標。
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手水舎。
20150620hienihonbashi5.JPG

拝殿と本殿。
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社務所。
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狛犬は鳥居をくぐったすぐその足元に鎮座していました。
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20150620hienihonbashi11.JPG20150620hienihonbashi12.JPG
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裏書は年代と制作者氏名が。
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「昭和9年(1934)6月 駒込肴町 酒井八右衛門」
「石匠 水道橋 野村保太郎」

井亀泉(せいきせん)一門の仕事です。
昭和9年の酒井八右衛門は三代目の名跡で、
これと石工の野村保太郎がコンビで名を彫られているのは
この前年、昭和8年制作の神田明神の狛犬が有名ですね。
20150620hienihonbashi15.JPG20150620hienihonbashi16.JPG
20150620hienihonbashi17.JPG20150620hienihonbashi18.JPG
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野村保太郎は昭和初期に活躍した東京の石工ですが、
彼の作品では野村保泉の名義でも狛犬が制作されています。
安曇野の穂高神社にいる昭和15年の大型の狛犬も
その名義は野村保泉とされています。
この使い分けについて、明確に記されたものを自分はまだ確認していません。
以前のエントリー記事で、石材店のチームとして制作した作品については保泉名義で、
保太郎本人が直接彫る時には野村保太郎の本名が使われたのでは?
などと書いたこともあったのですが、あるいはそうではなくて
石材店として酒井八右衛門が関与する作品については
保太郎の本名にて請けるというふうに決めていたのかもしれません。
もちろん、これらは推測なので真実をご存知の方がいればぜひ情報をお寄せください。
お待ちしております。

狛犬のデザインはいわゆる招魂社系になるかと思いますが、
飾帯を付けている様子などから東大寺型に近いものといえるかもしれません。
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もっとも、首を思いっきり後方に傾げて天を仰ぎ見る姿はちょっと珍しいですね。
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そんなわけで残念ながら表情をしっかりと観察することは難しいのですが、
目玉の黒目になる部分も明確に彫り込まれているあたり、丁寧な仕事といえると思います。

境内には稲荷社があり、狐さんもいました。
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大都会のビルに囲まれた境内は決して広くはないですが、
とても清潔に整えられた様子で、狛犬たちもしっかり存在感を示していて
いい雰囲気を感じられました。
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(取材日:2015年6月20日)



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日本橋の獅子像 [狛犬・寺社(東京都)]

取材したのになぜだか記事にしていなかったシリーズの続き(←なにそれ?)
そして前エントリーに続き、日本の有名な橋シリーズの続き(←なにそれ?其の2)

東京都中央区、日本橋。
2013.06.16.nihonbashi1.JPG
日本に存在する橋の中でもっとも有名な橋のひとつと言っても過言ではない日本橋。
日本の道路の基点となっているという話は、なにを今更トークしちゃってんの?のレベル。

江戸幕府が開かれた慶長8年(1603)に初代の橋が架けられ、
以来400年の歴史の中で幾たびも架設を繰り返し、
現在は数えて19代目とも20代目ともいわれる二連アーチ式石造橋となっています。
2013.06.16.nihonbashi9.JPG
2013.06.16.nihonbashi10.JPG
明治44年(1911)に完成した洋風デザインを採用した現在の橋は
平成11年(1999)に国の重要文化財に指定され歴史的価値が公的に認められましたが、
日本橋川の真上を走る首都高速が橋を圧迫するように交差していることから
都市景観を台無しにしているといった悪評が立っているのも、悲しいかな有名な話題。

で、今日の話題はそうした景観論争についてではもちろんなく、
装飾として橋の両端に据えられている獅子像について。
2013.06.16.nihonbashi2.JPG2013.06.16.nihonbashi3.JPG
北詰と南詰の欄干端部に一体ずつ、計2対4体の獅子像がいるわけですが、
橋中央部の街路灯と一体で存在する麒麟像とともに日本橋の象徴的存在となっています。
(獅子の装飾そのものは他の部分を含めると計32箇所にものぼるらしいですね。)

明治5年(1876)に完成した先代の木造橋の傷みの進行から架け替えが課題となり、
東京市では新橋は耐久性に優れた石橋とすることに決定。
橋本体の設計は土木技師の米元晋一、
装飾部分など意匠担当が建築家の妻木頼黄(つまきよりなか)。
実質的な制作を東京美術学校(現東京芸術大学美術学部)に委嘱し、
原型制作のうち麒麟と獅子像は彫刻家の渡辺長男、燈柱は熊木三次郎が担当。
鋳造は数々の著名な作品の鋳造を手がけてきた岡崎雪声。
(まるで以前から詳しく知っていたかのごとくえらそうに書いてますが、
正直なところ今回の記事で詳しい名前は初めて知りました(^^;)

石橋といえども完全な西洋的にせず日本の伝統も加味した和洋折衷の様式を
基本として設計された橋は、石橋本体をルネサンス様式とした一方で
装飾部分は青銅を用いて日本的要素も取り入れられたものとなっています。

獅子像の制作については、リアルなライオンのデザインから中世の狛犬の様式まで
基本デザインの検討をした末、最終的に鎌倉時代様式の狛犬に落ち着いたそうです。
その際、ヨーロッパの盾を持つライオン像を参考にしてほしいというリクエストもあったことから、
検討した結果、盾として東京市の市章を持つものとされたのでした。
市章と教えられなければこういうデザインの西洋式の盾と思い込んじゃうかもしれませんね。
2013.06.16.nihonbashi5.JPG
モデルは奈良市の手向山八幡宮の運慶作と伝えられる神殿狛犬とのこと。
が、この手向山八幡宮の運慶狛犬、知っている人なら分かると思いますが
モデルといっても両者の外見的特長はずいぶん異なります。
重文の古い狛犬は他の寺社出身の子たちも何対か指定されていますが、
そのなかで東寺の獅子狛犬のほうが、手向山八幡宮の子たちよりも
どちらかというと似ているのかなという印象もあるのですが。
2013.06.16.nihonbashi13.JPG2013.06.16.nihonbashi14.JPG

明治後年の完成後、関東大震災や第二次大戦といった惨禍や戦時中の金属回収令など
暗い時期を経て100歳以上となった獅子像には外見の特徴以上に
激動の歴史を生き抜いてきた風格も漂っています。

ところでヨーロッパの橋にいるライオン像をイメージしたといっても、
モデルを日本の狛犬に求めた日本橋の獅子像は狛犬のそれ同様に
阿吽一対の取り合わせによって制作されています。されてはいるのですが、、、
見た人はすぐ気づくと思いますが、じつは通常のパターンと阿吽の左右が反対になっています。
2013.06.16.nihonbashi11.JPG2013.06.16.nihonbashi12.JPG
モデルになったとされる手向山八幡宮の狛犬たちは通常のパターンどおり
向かって右が阿形、同左が吽形なので、それを真似たというわけではなさそうです。

特段深い理由などはもともと存在しなかったのかもしれませんが、
西洋のライオンではなく日本の狛犬をモデルとして阿吽スタイルを採用している以上、
その左右を全く無視したとも考えにくいことなので、
なにかしらの背景事情があったのではなかろうかと勘繰りたくなります。

理由をどこかに見つけられないかとインターネットに流通する情報を検索してみたのですが、
阿吽の配置を狛犬のセオリーとは逆配置とした理由について言及したものは発見できず。
関係する文献資料を読めば理由が載っているかもしれないので
いつか機会があればぜひ探ってみたいと思います。

個人的な推測では、古代より続く日本の左上位の思想が
明治以降に皇室において西洋文化に倣った右上位へと移ったことが
何か影響を与えたのではないかと考えているのですが、
これは話が長くなるのと裏付けがまったくないことなので、
また別の機会にでもじっくり考えてみましょう。

ちなみに日本橋の装飾において獅子像とともに有名なのが麒麟の像。
2013.06.16.nihonbashi7.JPG2013.06.16.nihonbashi8.JPG
2013.06.16.nihonbashi6.JPG
世間的には麒麟のほうが有名加減では上位かもしれませんが、
今回のネタはそこではないので、画像で紹介するのみとしておきます。
じつは麒麟の像のほうも獅子ど同様に阿吽の一対で作られていますが、
これ以上書くとホント長くなるので(≒面倒くさいので)今回はこれ以上掘り下げません。
あしからず。

あ、最後に歌川広重の有名な『東海道五十三次之内 日本橋』の浮世絵。
2013.06.16.nihonbashi15.jpg
江戸末期の作品ですが、橋は何代目になるのでしょうね。
絵には当時の火の見やぐらが描かれており、半鐘もしっかり確認できます。
民家の屋根上に梯子の形状で設けられたものですから、町人のやぐらですね。
古絵図や古写真など最近見る機会が増えているのですが、
昔の町の様子を写した写真を見るたび、ついつい火の見やぐらや狛犬の姿を
そのなかに探してしまいますw

(撮影取材日:2013年6月16日)



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西新宿の氏神様 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都新宿区西新宿、新宿十二社熊野神社。
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新宿駅西口の高層ビル群を西へと抜けると新宿中央公園の緑地があり、
その一角に熊野神社が鎮座しています。
同社は都庁を含む西新宿一帯と歌舞伎町の一部分を氏子地域としており、
まさに新宿を代表する神社といっても差し支えないでしょう。

創建の由緒は、応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、
故郷の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったところにあると伝えられます。

夕暮れ時に訪問した神社境内は、都心に在りながらとても静かで
外国人観光客と思しき数名が境内のあちこちで写真を撮ったりしていました。
そういえば、今回の東京取材では神社に立ち寄る外国人の姿を何度も見かけました。

ガイドブックで紹介される明治神宮などでは外国人の姿もごく当たり前の風景でしょうが、
日本人でも地元の氏子さんでなければあまり立ち寄ることもないような神社でも
けっこう外国人さんたちを見かけたのですよね。
さすがマルチナショナルな大都市東京といったところでしょうか。

立派な神輿が並んだ神輿蔵。
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神楽殿と拝殿。
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拝殿前に狛犬一対。
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文化元(1804)甲子年9月吉祥日。
阿吽共に角があるのですが、阿形のほうは後付けのような?
2014.04.08.kumano7.JPG2014.04.08.kumano8.JPG
素材も違う感じがするし、例えば宝珠かなにか付いていたものが取れてしまい、
代わりのものを取ってつけたのかなという印象ですが、果てさて真相やいかに?

**************
(追記:2015.03.10)
阿形共に角、と記載しましたが、阿形は宝珠だろうという指摘がありました。
たしかによく見れば宝珠のデザインですね。型崩れというか欠落している印象ですが。
ということで、阿形は宝珠、吽形は角ということで訂正させて頂きます。
**************

拝殿前の灯篭にも狛犬がいました。
2014.04.08.kumano11.JPG2014.04.08.kumano12.JPG
2014.04.08.kumano13.JPG2014.04.08.kumano14.JPG
飛び狛と構え狛。

拝殿の脇には池があり、
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その奥にはお稲荷さん。
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そしてそのお稲荷さんの隣に祀られている大鳥三社の前に狛犬が一対。
2014.04.08.kumano17.JPG2014.04.08.kumano18.JPG
2014.04.08.kumano19.JPG2014.04.08.kumano20.JPG
享保12(1727)丁未9月吉日建立。

跨ぐりが彫り抜かれていない、はじめちゃんの風体。
表情も江戸初期頃の作品によく見かけるワイルド感ある様相。
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2014.04.08.kumano23.JPG2014.04.08.kumano24.JPG
吽形のあたまにあるのは角でしょうが、
なんとなく丁髷にも見えたりします。
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2014.04.08.kumano25.JPG

今回の東京取材の最後に訪れた神社で、
いい子に出会えました。
惜しむらくは訪問時間が夕暮れ時で境内が暗く、
画像がピンボケになってしまったことでしょうか。
やはり取材は日の高いうちに済ませるものですね。
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新宿十二社熊野神社HP

(撮影日:2014年4月8日)


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内藤新宿の鎮守様 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都新宿区新宿の花園神社。
2014.04.08.hanazono1.JPG
近世、甲州街道の江戸から数えて最初の宿場として整備された内藤新宿。
幕府によって宿場が廃止されたり復活したりと、紆余曲折の歴史を持つ町は、
いまや世界に冠たる巨大な街へと変貌と遂げたわけですが。
その新宿の原点ともいえる内藤新宿の鎮守神として祀られ続けたのが
ここ花園神社ということです。

創建は不明ですが、神社の由緒に拠れば1590年より以前に
徳川氏により大和の吉野山より勧請されてきたとあります。

初期の頃は現在地より南の方にあり、寛政年代に現在地へ遷座したとのこと。
主祭神は倉稲魂命。つまり花園神社はお稲荷さんなのですね。

表参道は明治通りに面しており、稲荷らしく朱塗りの鳥居が出迎えてくれます。
その鳥居の傍らに一対の狛犬。
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昭和11年5月吉日建立。
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江戸狛犬ですが、表情は愛嬌がありますね。
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阿形が子取り、吽形が玉取り。
頭を押さえつけられた子獅子の様子が可愛いです。
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参道途中の威徳稲荷神社。
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朱塗り鳥居が連続して立ち並ぶ様子がいかにもお稲荷さん。

拝殿。
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本殿。
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宝物殿。
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神楽殿。
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裏参道の石段を登りきったところに古い狛犬が一対居ました。
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延享2(1745)乙丑正月吉日造建。

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本体、台座ともに一部欠損の見られるのが残念ですが、
それでも江戸中期のものとしてしっかり残っているのは嬉しいことです。
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表情もオリジナルな、どことなく獅子という厳めしさはないですが、
はじめちゃんの名残を残している感じがいいのではないでしょうか。
吽形の出っ歯になった口元がいいですね。

拝殿の斜め向かいに立つ、納め大明神。
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古くなった神札及び神符を納めるところ。

そして花園神社をある意味において有名にしているのがこちら。
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芸能浅間神社。
境内摂社ですが、芸能人のお参りが非常に多いようで、
玉垣にはたくさんの芸能関係の人名が掲げられていました。
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本殿は富士塚の上に祀られています。

境内入口はほかにもあって、靖国通りに面した参道も在りました。
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ビルの谷間の参道というのがいかにも東京新宿の神社といった感じですが、
この参道入口に新宿区指定の有形文化財になっている狛犬が居ます。
2014.04.08.hanazono27.JPG2014.04.08.hanazono28.JPG
文政4(1821)辛巳年2月建立。
鋳工:村田整珉。
ブロンズ製の立派な獅子狛犬で、傍らに説明版がありました。
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台座に注連縄のデザインが施されているのがユニークですね。

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2014.04.08.hanazono33.JPG2014.04.08.hanazono34.JPG
金網が邪魔でしかたないのですが、
場所柄もあって保安上やむを得ない処置ですかね。

桜も散りかけでしたが、キレイな花と社殿の様子を
大勢の人がカメラに納めていました。
2014.04.08.hanazono36.JPG
2014.04.08.hanazono37.JPG

花園神社HP

(撮影日:2014年4月8日)


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皇城之鎮、山王日枝神社 [狛犬・寺社(東京都)]

東京都千代田区永田町、日枝神社。
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主祭神:大山咋神(おほやまくひのかみ)
相殿神:国常立神(くにのとこたちのかみ)
     伊弉冉神(いざなみのかみ)
     足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)

同社の由緒によれば、、、
『武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、
さらに文明十年(1478)太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、
鎮護の神として川越山王社を勧請・・・(中略)
天正十八年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、
江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、
又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。』
とありますが。

いちいち説明が不要なほど、首都東京において有名すぎる神社ですね。

現在も同社の神門内側に掲げられている扁額には
神宮祭主・北白川房子様の揮毫による「皇城之鎮」の文字が見られ、
立地条件でみてもまさにその言葉が嵌まります。
2014.04.08.hie11.JPG
江戸幕府が開かれた後しばらくは麹町隼町に鎮座していましたが、
明暦の大火を経て、将軍家によって現在地をあてがわれて遷座することとなり、
江戸城の裏鬼門の守りを担うことになったということです。

境内の由緒書き。
2014.04.08.hie4.JPG

自分は今回初めて同社を訪れたのですが、
ちょうど高台のようなところにあるのですね。
2014.04.08.hie2.JPG
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表参道の山王鳥居をくぐると男坂の石段が急傾斜で続き、
登りきったところが神門。
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山王様ということで、神門にはお猿さんの像も。
2014.04.08.hie6.JPG2014.04.08.hie7.JPG

拝殿。
2014.04.08.hie10.JPG

その拝殿正面の両脇には、やはり日枝大神の神使としての猿が一対。
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子孫繁栄の意味を込めての事でしょう、向かって左側の母猿は
幼い子猿を胸元にひしと抱きかかえています。
2014.04.08.hie14.JPG2014.04.08.hie15.JPG

拝殿をはじめとする社殿の数々は、もともと国宝に指定される
貴重な文化財だったのですが、残念ながら東京大空襲で被災して焼失。
現在のものは戦後になって昭和33(1958)年の再建です。

平日昼間に訪れた境内は参拝者もさほど多くなく、静かで落ち着いた雰囲気がありましたが、
見回した風景を見ると改めてここが都心の真ん中にあることに気づかされます。
2014.04.08.hie8.JPG2014.04.08.hie9.JPG

境内の一角にある山車庫。
2014.04.08.hie16.JPG
山王祭りは江戸三大祭りのひとつですね。
まだ直接拝見したことはないですが。。。

末社。
2014.04.08.hie18.JPG
山王稲荷神社の社殿は千代田区指定有形文化財。(画像なし)
ほか、猿田彦神社と八坂神社がありますが、
この社殿前に狛犬が一対います。
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千代田区指定有形民俗文化財で、
もとは神田神社(明神)に在った狛犬としても有名な一対です。
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由緒によると、
文政3(1820)年に神田神社境内の南伝馬町天王社に奉献されていたものだそうです。
明治18(1885)年、火災により天王社の社殿が焼失。
その後、南伝馬町の氏子が日枝神社内に新たに祇園社を勧請。
さらに16年後の明治34(1901)年、未だ神田神社境内にあった狛犬は
石灯籠など南伝馬町天王社に所縁ある他の石造物などと共に
この日枝神社へ移築されたのだということです。
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安曇野では嫁入り道祖神ということで、
ある集落の道祖神が別の集落へ引っ越すということがありますが、
狛犬の引越しというのは珍しいですね。
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境内の南~西側が外堀通りとなっているため、
こちらのほうがむしろ表参道っぽく見えたりもするのですが。
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日枝神社の象徴、山王鳥居は男坂のほか、
この外堀通り側に2基あり、そのうち南寄りの階段が続く参道には
なんとエスカレーターが装備されていました。
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さすが東京の神社。

そのエスカレーターで登る途中からは、東の方角に首相官邸の姿が一望。
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さすが首都の神社。

で、残り1基の鳥居の足元には狛犬が一対居ます。
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昭和9(1934)年10月建立。
原型:三木宗策。
石匠:野村保泉。
と、上記の建立年と制作者の名が台座側面に宮司や筆者(?)共に記されています。
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野村保泉は昭和初期頃の石工として業界では有名な石匠。
原型の三木宗策は大正から昭和初期にかけて活躍した木工の彫刻家。
彼がデザインをし、野村保泉がそれをもとに石を彫り上げたというわけです、が。。。
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いわゆるひとつの招魂社系で括ることのできる、厳しい表情と尊大な姿の大型狛犬。
どこかで見たことある子達だなあと思い、すぐにこの子達の姿が頭に思い浮かびました。
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この2枚の画像は私の地元である安曇野市穂高の穂高神社に居る狛犬一対。
なんとなく日枝神社の子たちと似ていませんか?
(撮影角度でちょっと見づらい感は否めませんが。)

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穂高神社の子たちは昭和15年建立で、原型デザインは地元の彫刻家・小川大系。
そしてじつは石工が日枝神社のそれと同じく野村保泉。
一般に作者が同じ石工の場合、デザインが似通ってしまうのは
ある意味自然なことではあると思うのですが、
この場合両者にそれぞれ原型作者が居るわけですから、
石工の個性としての共通デザイン云々という話ではないと思います。

ただし原型作者の影響を受けない台座のデザインなんかは
両者に類似するところが出ていて、石工の特徴を感じさせてくれます。

時系列で考えると日枝神社が先で穂高神社のそれが後ということから
穂高神社の狛犬は日枝神社のそれに影響を受けたと考えられなくもないですが、
他の作家の作品からインスパイアされたということであるなら
むしろ小川大系の場合は彼の師匠である北村西望の作品に
影響を受けていると考えるほうがむしろ自然ではないかと思います。
師匠と弟子の作品には共通性が見て取ることができるのは
以前のエントリー記事で指摘したとおり。

体格や全体のボリュームが似ているので感じた結果だと思いますが、
顔の作りや細かなところではやはり違いのあることが分かります。
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ただ、それにしても石工が同じという点で、気になる類似性ではありますね。

日枝神社の原型はもちろん目にしたこともないですし、
ネットで見る限りではその原型の情報が出回っている様子もないのですが、
穂高神社のほうに限って言えば、小川大系作の原型狛犬の姿と
野村保泉の工房における制作風景の写真が一般に公開されており、
それを見る限りにおいて野村保泉は原型に対して非常に忠実に
石彫りによって再現しきったということがハッキリ確認できます。

戦前とはいえ、しっかり調査をすれば日枝神社の子達の原型にまつわる話も
あるいはなにか見えてくるものがあるかもしれません。
制作当時の経緯がどうであったかなど、今のところは推測の範疇ですが
時間的余裕ができればそうした事情の裏取り取材をしてみたいですね。
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(撮影日:2014年4月8日)


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大都会の片隅にたつお稲荷さん(麹町編) [狛犬・寺社(東京都)]

東京都千代田区麹町一丁目、麹町太田姫稲荷神社。
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4つ前の記事にある平河八幡宮を訪れる際に利用した半蔵門駅を降りた所に鎮座。
たまたま見かけて写真も撮ったし、せっかくなので記事エントリーしておきます。

お稲荷さんと言えば、大都会だろうが田舎だろうが、
それこそ全国至るところで勧請を受けて祀られていますよね。
こちらのお稲荷さんは同じ千代田区内の太田姫稲荷神社より
勧請を受けたのだろうと思います。

狛犬はいませんが、狐さんがしっかり目を光らせています。
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お社の背後にあるのは町内会の倉庫か何かでしょうか。
ビルと街路の狭間に鎮座して窮屈そうな印象もありますが、
地域でしっかり守られている神社であることもちゃんと伺える
とても清潔感ある神社でした。
2014.04.08.koujioota5.JPG
なにより、お供え台に乗せられていた油揚げがツボでした(^^)
2014.04.08.koujioota4.JPG

(撮影日:2014年4月8日)


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