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狛犬・寺社(和歌山県) ブログトップ
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全国「あわしま」神社の総本社 [狛犬・寺社(和歌山県)]

正月の和歌山と奈良方面の記事、まだあと少し続きます。

和歌山市加太の淡嶋神社。
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全国のあわしま(粟島、淡島、淡嶋)神社など
その系統約1000社の総本社とされています。

創建は仁徳天皇の時代あるいはそれ以前に遡り、
もとは加太の沖合いに浮かぶ友ヶ島に少彦名命と大己貴命祀られていたところから。
三韓出兵から帰還の途上に嵐に遭った神功皇后が船中で祈りを捧げたところ、
「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」とのお告げがあり、
その通りに船を進めて無事たどり着いたのが友ヶ島だったとのこと。
後年、皇后の孫に当たる仁徳天皇が狩りで友ヶ島に立ち寄られた折にその経緯を聞き、
「島ではなにかと不自由であろう」とのことで現在の地に社殿を移されたのが
加太淡嶋神社の始まりであるとされているそうです。

ということで、ご祭神は
少彦名命
大己貴命
そして息長足姫命(神功皇后)の三柱となっています。

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朱塗りの社殿が明るい雰囲気をかもし出していますが、
なによりここの境内はすぐ間際まで海が迫っているということで、
境内の空気は非常に開放的な印象です。
もっとも参詣&取材に訪れた元日は強烈な風が海から吹いてきて、
普通に立っていられないほどの強風に、境内奥でも海水の飛沫が感じられるほど。
拝殿前でお参りして、境内の写真を幾つか納めてとっとと退散してしまいました。

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海の向こうに見えるのが同社の祭神がもともと祀られていたという友ヶ島。

同社は人形供養の神社としても有名で、拝殿周囲にも無数の雛人形をはじめとする
各種の人形が奉納されているのが見られました。
アップで写真撮るのもちょっと気が引けたので、
拡大写真はありません。

あ、狛犬は同社にはいませんでした。
今度は風のない、穏やかな日に訪ねてみたいと思います。

淡嶋神社 公式HP

(取材日:2015年1月1日)



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高野山町石道起点の寺社 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山県伊都郡九度山町、慈尊院の上段に鎮座する丹生官省符神社。
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橋本市高野口(旧高野口町)から紀ノ川を渡った九度山町にある慈尊院は
弘法大師が建立した古刹。本尊の造弥勒仏坐像は国宝に指定されており、
重要文化財の本堂弥勒堂は世界遺産にも登録されています。

神社境内への入り口は慈尊院と同じ参道となっています。
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重要文化財かつ世界遺産の弥勒堂。
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慈尊院は女人禁制で高野山に入山できなかった
弘法大師の母親が在住した院としても知られており、
女人高野の名でも語られていますが、
大師が狩猟犬二頭の導きによって現在の霊場高野山に至ることになった、
その犬を導かせた猟師がじつは猟場明神であり、明神が神託をもって
自身に高野の一山をお与えくださったものであると得心し、
慈尊院を開山したのと同時に、同院の上段に丹生高野明神社を創建したことが
同社の起源であるとされています。

境内の下段に慈尊院、背後の高台に神社という配置になっていて、
多宝塔と参道石段の鳥居の様子が神仏習合の往時を偲ばせます。
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119段ある石段は町の指定文化財。
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その傍らには高野山町石道の名残を見ることができます。
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高野山を訪れる際はいつも車での入山ですが、
体力のあるうちに一度は町石道を辿って入山してみたいですね。

石段を登りきったところに朱塗りの二ノ鳥居。
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拝殿。
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弊拝殿の向こう側に世界遺産の構成資産になっている朱塗りの本殿を望むことができます。
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ご祭神は、
第一殿
丹生都比売大神 (丹生明神)
高野御子大神 (高野明神)
天照大御神 (天照大神)
第二殿
大食都比売大神 (気比明神)
誉田別大神 (八幡大神)
天児屋根大神 (春日大神)
第三殿
市杵島比売大神 (嚴島明神)

狛犬はこの本殿前にいるため、残念ながら一般の参詣者は近くに寄ることができません。
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凛々しそうな浪速狛犬ですね。

元日の参詣&取材だったので境内は人出が多く、
落ち着いた撮影のできなかったのが残念でした。
次に紀州を訪れる機会が来たら、ぜひ再訪したいと思います。

丹生官省符神社 公式HP

(取材日:2015年1月1日)




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南海道の走る神社 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山県伊都郡かつらぎ町萩原の宝来山神社。
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正確な創建はハッキリしないようですが、
宝亀4年(773)に和気清麻呂が八幡宮を勧請し、
八幡山と称したのがはじまりとされています。
その後、平安末期になり、京都神護寺の文覚上人が
熊野・高野山の参拝の折、同社に立ち寄り、
社殿を建立されたと伝わっています。
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場所は国道24号線、道の駅「紀ノ川万葉の里」から東へ少し走ったあたりから
北への道を入り、JR線の踏み切りを渡ってすぐのところに一の鳥居が立っています。

鳥居を抜けた先、境内の一角に駐車場はあるのですが、
二の鳥居を迂回する部分の道が非常に狭く、ブロック塀に車を擦ったりしないかとヒヤヒヤしました。
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社務所と参道。
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摂社。
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元日の取材だったので参拝客が多くて苦労するかと思いましたが、
由緒あるとはいえ田舎の神社には変わりなく、
落ち着いて参拝&取材することが出来ました。

拝殿。
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その少し手前を細道が参道を横切るかたちで東西に抜けているのですが、
表記によればこの道こそが古代の南海道にあたるものだと伝えられているそうです。
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また同社に隣接して、、、というより同じ境内といっていい関係で
宝来山延命院神願寺という真言宗御宝派の寺が在ります。
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神仏習合の名残を今にとどめている感じですね。

本殿。
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元亀・天正の頃に織田信長の兵火により炎上。
慶長19年(1614)に再建され、春日造の4殿は国重要文化財の指定を受けています。

ご祭神は、
猿田彦大神
菅原大神
八幡大神
大山祇大神

ほかに本殿左右に脇殿があり、
こちらは創建年は江戸中期推定ながらも県の文化財指定を受けています。
ご祭神は、
西殿:少彦名大神
東殿:素盞嗚大神と大国主大神

天野の丹生都比売神社も春日造の立派な大社ですが、
こちらの本殿もかなり立派で迫力ある風格が感じられました。

狛犬ですが、本殿の前、瑞垣の内側に一対。
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正面からの撮影は格子が邪魔してうまく撮影できず。

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側面から撮影可能なのは画像のような角度のみ。
反対側は高みからの撮影が出来なかったので無理でした。

浪速型ですが、江戸期製作の可能性もあるように思います。
なんとなく、フィーリングで書いてますけど(^^;

拝殿前にも狛犬が一対。
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皇紀二千六百年記念。
昭和15年(1940)建立。
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厳つい表情の浪速狛犬ですね。
耳がピュッと立っているのが、なんだかバルカン人を想像してしまいました(^^;

元日に取材したのは同社だけでした。
以上で、先日の年末年始和歌山取材の記事エントリーは終了です(^^)/

(撮影日:2014年1月1日)


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関西日光、紀州東照宮 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山市和歌浦西、紀州東照宮。
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東照宮と言えばごぞんじ日光東照宮が全国各地の東照宮の総本社的存在で、
その存在は国内のみならず世界に(たぶん)知れ渡っていますが、
和歌浦にある紀州東照宮もまた関西日光として、つとに有名です(・・・かな?)。

創建は元和7年(1621)。
南海道の総鎮護として紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣公によって建てられました。
規模も壮麗さも、本家日光のそれに対しては比ぶべくもないですが、
こちらの東照宮も紀州徳川家の威光が十分感じられる立派な社殿を構えています。

市街方面から国道42号を南下し、和歌浦口を直進するとほどなく到着。
有料Pに車を預けると、目の前には第二拝殿もある東照宮会館。
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その玄関前にいかにも平成生まれといった風体の岡崎現代型一対。
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平成12年4月吉日建立。
最近、取材先で岡崎を見つけた時、建立年を当てるのをひそかな楽しみにしています。
当たり外れでどうということはないのですが、岡崎の場合はそういうネタもありかなと。
ちなみにここの生まれ年(H12年)は見事大当たりでした(^^)

一の鳥居は駐車場に入る手前。続く二の鳥居から石畳の参道となり、
両脇には江戸期に紀州家の家臣などが奉納した石灯籠が多数建立されています。
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すべて確認したわけではないですが、参道入口から本殿へと進むにつれ、
奉納日が古いように思われます・・・たぶん。
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参道が鍵の手になっていますが、やはりこれはお殿様の作った神社ですので、
城下町やお城の道普請のセオリーに準じたということなんでしょうかね。

鍵の手を過ぎてすぐ先、紀州の東照宮名物『侍坂』が待ち構えています。
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石段は全108段。鎌倉の鶴岡八幡宮の古例にならい、紀州藩祖徳川頼宣が直接指揮を執り、
紀州家家臣団が一段ずつ積み上げたのだそうで、石段両脇にも石灯籠が並び立てられています。
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石段を登りきったところに建つのが、朱塗りの楼門。

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振り返ると眼下に和歌浦の海が一望できます。

そしてその楼門を抜けるとゆったりした神苑が広がっています。
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正面に唐門、奥に権現造の社殿(拝殿、石の間、本殿)。
振り返って建っている楼門も含めたこれら建造物は国重要文化財。
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ご祭神はご存知、東照大権現。そして南龍大神(紀州徳川家藩祖、頼宣公)。

唐門から続く瑞垣は修繕工事中のようです。
唐門から内部は職員の案内つきで拝観可能でしたが、
写真撮影は不可だったので画像は以下の公式サイトのリンクをどうぞ。
拝殿内部に彩色の神殿狛犬が居たのですが、
駄目もとで撮影を願ったところ、、、駄目なもの駄目、とのことでした(‐_‐)

社殿には左甚五郎作と伝えられる彫刻や、
狩野探幽作の襖絵などもあり、見ごたえはあります。
もっとも彫刻については左甚五郎作というのが個人を指すものではなく、
技術的に優れた作品またはそれらの作り手を総じて言う呼称のようなものだとする説も
けっこう定説のように語られていたりするので、同社の作品をどう捉えるかは
微妙なところだったりするのですが。。。

神苑の左手に社務所、右手に神輿舎がありますが、
社務所玄関は三つ葉葵も見えて、さながら大名屋敷の玄関のようでした。
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神輿舎は江戸初期から続く毎年5月に行われる有名な和歌祭りで使用される神輿があり、
壁には祭りの様子を写した画像が張られていました。
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あの急勾配の石段を、祭りになると大勢で神輿を担いで下りるのですが、
これはNHK大河ドラマ「八大将軍吉宗」でも取り上げられたりしたので、
和歌山以外の人もご記憶のある人はいるかもしれませんね。

紀州東照宮。
和歌山市は自分が高校卒業まで暮らしていた街ですが、
この権現さんにはじつは一度もお参りしたことがありませんでした。
今回も数年ぶりの帰省で、大晦日にバタバタといった感じでしたが、
初めて訪問できてよかったです。
惜しむらくは東照宮の隣にある和歌浦天満宮に参拝できなかったこと。
さて、今度は何年後に紀州入りすることになるやら。。。

紀州東照宮公式HP

(撮影日:2013年12月31日)


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崖の上のポny・・・もとい、崖の下の神社 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山市和歌浦中、鹽竃神社。
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神社名、普通に漢字変換してもなかなか出てこない文字なので、
神社庁HPの文字をコピペ。

前エントリーの玉津島神社とは鏡山を挟む形で立っていますが、
もとは玉津島神社の祓所として成立しており、
古の時代には天野丹生明神(=丹生都比売神社)の御神輿が、玉津島神社へ渡御される
慣し(丹生都比売神が玉津島稚日女神を表敬訪問する浜降りの神事)があり、
その際に先ずこの輿の窟へ渡らせられたと伝えられています。
鹽竃神社じたいに対する信仰は江戸後期にはあったようですが、
神社としての創立は大正6年(1917)秋となっています。
(以上、和歌山県神社庁HP参照)

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ご祭神は、鹽槌翁尊(シオツチオキナノミコト)。
安産守護・子授けの神、不老長寿・漁業豊穰・航海安全の神として
地元で親しまれているそうです。

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社務所らしき建物のなかに昔の写真が飾られていました。

本殿の納まる洞窟の入口に拝殿がありますが、
落石事故防止用の柵が頑丈に作られていました。
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なにか事故でも実際にあったのでしょうかね?
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かつて同社の傍ら(境内?)に和合の松と呼ばれる松の古木があったのですが、
一昨年にこの松の大木が倒れてしまいました。
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境内の参道側に崖に張り込まれたプレートだけが残されていました。

境内の道路向かいは、和歌浦の象徴的存在である不老橋。
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江戸末期、紀州徳川家の命により造られたアーチ型の石橋で、
嘉永4年(1851)に完成しました。

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この画像は神社裏手の鏡山(標高約20メートル)の展望台からのもの。
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片男波の砂州が左手奥へずっと伸びているのが分かります。

あと、案内看板に大正時代の同じ角度から撮影された写真がありました。
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現在では橋の外側に片男波海水浴場へと通じるための新道が設けられており、
景観的にちょっといまひとつの様子ですが、
反対の運河(?)の側を見ると、岸沿いに松並木も整備されており、
なかなかいい雰囲気です。
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かつては新婚旅行のメッカとして一世を風靡し、
不老橋のある界隈は多くの旅館と観光客で大変な賑わいだったそうです。
今ではその賑わいも想像できないほど寂れた田舎といった空気が漂っていますが、
ひと頃に比べて景観に対する考え方やまちづくりの取組みも変わってきているようなので、
少しずつでも本来の和歌浦が持つポテンシャルが戻ってくればいいかなと思います。
(一和歌山出身者としてのささやかな思い(^^))

(撮影日:2013年12月31日)


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和歌三神のひとつ [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山市和歌浦中、玉津島神社。
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風光明媚という言葉の代表格的存在、、、
と、かつては言えなくもなかった、、、かもしれない、和歌浦。

その中心的な場所に位置するのが同社。

万葉集にて、山部赤人が
『若浦爾 鹽滿來者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡』
(若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る)
と歌ったのがこの和歌浦(若の浦)。

古の世、付近一帯は現在以上に海が広がり、
いまは小高い山に見える高台も、かつては海のなかに浮かぶ玉のような島だったそうで。

当時の和歌浦の様子を語る由緒書きは以下の通り。
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これによれば、神亀元年(724)に聖武天皇が行幸した際、
和歌浦の景観を絶賛し、景観保全のための番人を置いたということですが。
もしかしてこれって日本で初めて実施された景観保全行政じゃないんですか?
よく知らんけど、だとすればすごい画期的なことですね。

さて、神社に戻ります。

主祭神は、、、
稚日女尊(わかひるめのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)
衣通姫尊(そとおりひめ)、の三柱。
配祀神で
明光浦霊(あかのうらのみたま)。

『玉津島社の創立は極めて古く、社傳によれば、「玉津島の神は、〝上つ世〟より鎮まり坐る」とある。
稚日女尊は、諾・册二尊の御子であり、天照大御神の妹神に当らせられ、
後世又の御名を丹生都比賣神と申し上げる。
息長足姫尊は即ち神功皇后である。
皇后が海外に軍をおすすめになられたとき、玉津島の神が非常な霊威をあらわされたため、
皇后これに報われ御分霊を今の伊都郡かつらぎ町天野の地にお鎮め申し上げ、
爾来玉津島・天野に一神両所に並び立ち、毎年天野の祭礼に神輿がはるばる玉津島に渡御する
所謂浜降りの神事が應永の頃(1429)まで行われた。
玉津島の神を尊崇せられた皇后は後に卯の年月にちなみ、御自身も合祀せられることとなった。
衣通姫尊は、第十九代允恭天皇の妃で絶世の美人であられ、その麗しさは名のとおり
「衣を通して光り輝いた」と伝えられ、又殊のほか和歌の道に秀でられたことはよく知られるところである。
衣通姫尊は、第五十八代光孝天皇の勅命により当社に合祀せられた。』
(以上、和歌山神社庁HPより)

古くは玉津島明神とも呼ばれ、住吉明神、柿本人麻呂とともに「和歌三神」と呼ばれています。
(三神の内容については諸説あり)

朱塗りの明るい両部鳥居の手前に狛犬一対。
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慶応4年(1868)9月建立。
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がっしりした浪速狛犬ですね。
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いい表情をしています。

1868年といえば、翌10月には明治と改元されるわけですが、
9月と言えばまだ東北で東西両軍が激戦を繰り広げていた時期ですね。
そんな当時に奉献された背景ってどんな感じだったのでしょうね。。。

参道脇に稲荷社。
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小野小町、袖掛の塀。
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あの小野小町が袖を掛けた塀ということになるのでしょうが、
解説板の類がなかったので詳しいことはよく分かりません。

拝殿。
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拝殿脇に立つ万葉歌碑。
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本殿は裏山の木立と一体となって視界が遮られており、よく見えませんでした。

代わりの見どころといってはなんですが、こちら。
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天然記念物の根上り松(名称:鶴松)。
大正10年(1921)に和歌山市高松の地より移転保存したそうです。
覆い屋のもとに保存されていますが、様子は大正期に移設したとは思えないほどで、
まるでまだ根を生やして生きているかのような印象でした。

神社の正面には鏡山があり、
玉津島神社の鳥居をくぐった境内からは直接海が見通せません。
この鏡山に登ると片男波をはじめとする絶景が見晴らせるのですが、
その記事は次の塩竈神社にエントリーしたいと思います(^^)

(撮影日:2013年12月31日)


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紀伊国一ノ宮・・・の、うちの一社 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山市伊太祈曽、伊太祁曽神社。
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日前宮、竈山神社と並んで和歌山の三社参りの一社。
普通は初詣としての三社参りであると思うのですが、
今回は時間の都合と元日の人出を考慮して、
他の二社と共に大晦日にフライング参拝した次第。

竈山神社から真東に直線距離にして4キロちょっと。
超ローカルな和歌山電鉄貴志川線に乗っていった場合、
伊太祁曽駅にて下車、そのまま南へ徒歩5分ほどの距離にあります。

一の鳥居。
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木製の立派な社号標の揮毫は神社本庁統理の徳川宗敬氏。
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平成16年に建立された社号標で、徳川氏は平成元年に逝去されていますので、
これは再建立ということになるのでしょうかね?

参道入口に立つ由緒書き。
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旧社格は官幣中社で、現在は別表神社。
主祭神:五十猛命(いたけるのみこと)
配祀神:大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)、都麻津比賣命(つまつひめのみこと)
三柱とも、スサノオノミコトの子にあたり、木の神として信仰されているとのこと。
紀州木の国とは古来より言われることですが、この紀州の祖神として
崇められていると由緒書きは記しています。

創建は不明。
もとは現在の日前宮の場所に鎮座していたらしく、
垂仁天皇16年に彼の地へ日前神・国懸神が祀られることになったため、同社は
現在地近くの「亥の社」に遷座し、和銅6年(713年)に現在地に再遷座したということです。

紀伊国≒現在の和歌山県には所謂一ノ宮と呼ばれる神社は三社あります。
前々エントリーの日前宮
伊都郡かつらぎ町の丹生都比売神社
そしてこの伊太祁曽神社。

一宮といってもその国で唯一の存在かというと
必ずしもそうでないのが日本史の面白いところ。
その成立の背景などはあれやこれやと意見があるようですが、
日前宮に境内地を譲った経緯なども興味深いところ。
その辺も両社が一宮を称する背景としてなにかしら絡みがあるのかもしれませんね。

参道とその脇に立つ摂社。
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櫛岩間戸神社。

参道は北から南進しているため、途中で参道を折れる形で西に向かいます。
本殿は西に座して東面しています。

二の鳥居とその前の狛犬一対。
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2013.12.31.idakiso7.JPG2013.12.31.idakiso8.JPG
昭和7年(1932)夏、建立。
石匠:那賀郡岩出町 宮本新蔵
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凛々しい浪速狛犬ですね。
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前足の肩口(?)あたりにみられる筋肉の程よい隆起が気に入りました(^^)

朱塗り欄干の神橋を渡った先、左手に社務所。
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享和元年の銘がある古井戸。
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正面石段を上がると中門があり、その先に本殿がありました。
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拝殿の内側に、一対狛犬が奉納されていました。
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古社の風格とアンバランスな印象も(^^;;

本殿は少し見えづらかったです。
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境内社の気生神社。
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近年に新しくされたようですね。

同じく蛭子神社。
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内部は氏子地域内の22柱の神様が合祀されています。

蛭子神社前の、霊石おさる石。
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猿の顔に見えることからそう名づけられたそうな。
その昔、本殿に参拝する前にこの石に手を当てて心を静めたとされ、
現代では首より上の病に霊験あらたかとのこと。
でも頭がよくなるかというとそれは違うでしょうね(^^)

拝殿前を抜け、神苑南側から切通しで抜け道があり、
その先にある御井社に向かいます。
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ご祭神は彌都波能売神、御井神。
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古くから命の水として親しまれてきた本殿前の井戸は絶えることがなく、
病気の人には元気を取り戻す霊力があると伝えられているそうです。

南神苑の小高い丘の上には祇園神社。
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社殿は平成23年に新しくされたばかり。
祭神は名前から判る通り、同社の主祭神である五十猛命の父神、須佐男命。
天照皇大神、埴安比賣命も祀られており、付近にあった祇園社四社も
明治42年に神社合祀令によって合祀されています。

この祇園社の近くに磐(いわくら)が。
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出雲との縁を現すひとつですね。

伊太祁曽神社、一宮に相応しい素敵な空間でした。
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(撮影日:2013年12月31日)


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村社から官幣大社へ昇格した神社 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山市和田、竈山神社。
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前エントリーの日前宮より南へ約3キロほど下った場所にあり、
由緒は神武東征の説にまで遡ります。

『御祭神の彦五瀬命は、第一代神武天皇の皇兄に坐し、大和平定の途中、
孔舎衙坂で長髄彦の軍と戦い、流れ矢に当たり給いて戦傷、
雄水門に至りて遂に崩御遊ばされ、竈山の地に葬られ給う。
今の社地は即ちその遺跡で、延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡、竈山神社」と記され、
古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社であり、天正年間まで社領8町8段を有したと伝えられている。
往古は社殿も宏大にして現地か東南山麓に鎮座し給うたが、戦乱の世を経て社頭衰微し、
徳川氏の入国後、社殿を再興した。
明治18年、官幣中社に列せられ、大正4年、官幣大社に昇格、
昭和13年には国費及び崇敬者の献資を以って社殿を造営し、境内を拡張して現在に至っている。
寛政6(1794)年冬、国学者 本居宣長はこの社に詣でて
「をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ」と詠んだが、
竈山の岩根に鎮ります神霊は、日本の国の行手を永久に譲り給い、導き給うことと拝し奉る。』
(和歌山神社庁HPより)

由緒のように中世後期には日前宮同様、戦乱の中で荒廃し、
江戸期になって紀州徳川家などの手により再興を果たした経緯を持ちます。
近代社格制度において、明治14年に一度は村社の格を与えられますが、
神武天皇の長兄を祀る神社という由緒を持って、最終的には官幣大社にまで
昇格を果たしたという、全国的に見ても稀有な存在となっています。

日前宮方面から車で走ってくると、
神社少し北寄り手前、和田川を渡ったところに一の鳥居。
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そして参道入口に二の鳥居。
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静かな田舎の神社で、ゆったりした境内は、
しかしながら整然と整備されています。

鳥居の足元には護国系の籠神社型狛犬が一対。
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このタイプはいつどこで見ても、見事にコピーされているのが分かりますね。
地方は違えど、同一人物が作ったのではと思えなくもない仕上がり。
実際、本当に同じ作者かもしれませんね。
記銘がなかったのでなんともいえませんが。
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狛犬の足元になにか小さな表札のようなものが。
よく見てみると、、、
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確かに各地の神社を巡っていると、狛犬の足元とか口の中に
お賽銭の置かれているシーンをよく見かけますね。
狛犬自体はあくまで守護獣であって拝む対象ではないのですが、
霊験あらたかな、という意味合いでもこめられているのでしょうか。
まあ、心無い人に持っていかれたりする可能性は無きにしも非ずですね。

御神門をくぐると立派な拝殿が目の前に。
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その背後、少し拝観しづらいですが、幣殿が一段高い場所に。
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さらにその背後、さらに拝観しづらいですが、本殿がより一段高い場所に。
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塀の外に出たところに境内社の青葉神社。
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華美な様子はないですが、古社に相応しい凛とした空気を感じられる境内でした。
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なお、前エントリーの日前宮と、この竈山神社、そして次のエントリー予定の伊太祁曽神社。
この三社は和歌山における初詣の「三社参り」の神社となっており、
和歌山電鉄貴志川線はこの三社参りの沿線沿いに走っています。
貴志川線といえば終着の喜志駅の“たまスーパー駅長”が有名ですね。
お参りついでに彼女にも会いに行ってきたのですが、
なにぶん高齢のため、面会中はずっとお昼寝していらっしゃいましたとさ(^^)

(撮影日:2013年12月31日)


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ひとつの境内ふたつの神宮 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山市秋月の日前宮。
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厳密にはひとつの境内にふたつの神宮、
日前神宮(ひのくまじんぐう)・國懸神宮(くにかかすじんぐう)の二社があり、
総称としての日前宮(にちぜんぐう)が地元で普通に呼ばれている名前となっています。

日前神宮
ご祭神:日前大神(ひのくまのおおかみ)
相殿:思兼命(おもいかねのみこと)
石凝姥命(いしこりどめのみこと)
ご神体:日像鏡(ひがたのかがみ)

國懸神宮
ご祭神:國懸大神(くにかかすのおおかみ)
相殿:玉祖命(たまおやのみこと)
明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
鈿女命(うづめのみこと)
ご神体:日矛鏡(ひぼこのかがみ)

同神宮の由緒によれば、、、
天照大神が岩戸に隠れた際、神々のはかりごとの結果、
石凝姥命(いしこりどめのみこと)によって天香山(あめのかぐやま)から採取した銅を用いて
天照大御神の御鏡(みかがみ)を鋳造することになりました。
その際、最初に鋳造されたものは神々の御意に適うものではなく、
新たに鋳造され直した御鏡は美麗この上ないものとして出来上がり、
これをもって天照大神を岩戸の外へと導き出すことができたのでした。

この最初に作られた際の鏡が日像鏡と日矛鏡で、
日前宮の御神体として祀られていると伝えられるもの。
次に作られた美麗なる御鏡こそが、伊勢神宮の御神体として奉祀され、
三種の神器として現在に伝わる八咫鏡です。

天孫降臨の際、八咫鏡を含む三種の神器とともに日像鏡と日矛鏡も副えられ、
神武天皇東征の後、紀伊国造家の祖に当たる天道根命(あめのみちねのみこと)を
紀伊國造(きいのくにのみやつこ)に任命し、二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に
奉祀せられたのが同神宮の起源であるとされているようです。
(参照:日前宮HPほか)

参道からしばらくまっすぐ歩くと突き当たりになり、
それぞれ左右の道に折れると両神宮の本殿へと向かいます。
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参道より向かって左手が日前神宮。
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向かって右手が國懸神宮。
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その参道の両脇に幾つかの摂社。

摂社・天道根神社。
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摂社・中言神社。
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末社・深草神社。
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末社・邦安神社。
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末社・市戎神社。
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末社・松尾神社。
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大和の国から見て、東の伊勢神宮、西の日前宮などとして、
御神体の御鏡の話などから伊勢と同格などと見る向きもあるようですが、
その神域はじめ隆盛というか、神宮としての威光などは比ぶべくもありません。
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境内は一般の神社に比べればたしかに広大ではありますが、
参道の一角には判別しがたい摂社末社の社が放置されたような状態で取り残され、
案内の看板らしきものも杭が引き抜かれて傍らの古木に寄りかかっているような有様。
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日前宮は神社本庁には属さず、単立神社として存在しています。
天道根命の子孫とされる紀氏によって祭祀され隆盛を誇ったようですが、
中世末期~近世近代にかけては豊臣秀吉による社領没収や
紀州徳川家による復興、明治~大正にかけての国費投入による境内再建など、
浮き沈みはかなりあったようです。
紀伊国一ノ宮であり、神武天皇東征に遡る由緒の伝わる古社でありながら
現代に残る姿はいささか侘しさをも感じられてなりません。

あっ、狛犬は居ませんでした。

日前宮HP

(撮影日:2013年12月31日)


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自然石(?)狛犬と超巨大玉乗り狛犬 [狛犬・寺社(和歌山県)]

和歌山県伊都郡かつらぎ町、東渋田の蟻通神社。
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珍しい名前ですが、大阪泉佐野市、和歌山県田辺市など他にも数社存在するようです。
それぞれ主祭神は異なるようですが、泉佐野の蟻通神社HPによれば、
熊野詣でに連なる道沿いに社が設けられているようなので、
「蟻の熊野詣」の言葉ともなにかしら縁があるのかもしれないと指摘があります。

この東渋田の蟻通神社の由緒書きによれば、、、(クリックで拡大)
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ということで、泉佐野の蟻通神社の縁起にも同じ難題七曲勾玉の話があるので、
蟻通神社の共通由来といっていいかもしれませんね。

同社の主祭神“八意思兼命”は知恵を司る神様。
学問・受験の神様的存在ということで、受験生などの参拝が多いようです。

さて境内。
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長屋門入口に立つ一の鳥居脇に狛犬一対。
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平成8年10月建立の岡崎現代型。

境内に進むと、石段途中に神門が見えます。
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取材日は大晦日イブだったので、茅の輪が用意されていました。

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社務所を横に見つつ、石段を上に。
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本殿(八意思兼命)
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左脇宮(事代主大神、少彦名大神)
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右脇宮(市杵嶋姫大神、大国主大神)
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平和宮
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蟻通戎神社
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そして、本殿を囲う瑞垣の手前に一対の狛犬。
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情報によれば明治37年(1904)建立。
近寄りがたい場所にあるので自分では確認できませんでした。

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阿形のほうは残念ながら顔が半分欠けてしまってますね。
誤って転倒でもしてしまったのでしょうか。
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蔓草のような葉が付着していますね。
もうちょっと整備していただければと思うのですが。。。

そして同社にある狛犬のメインとしてはこちら。
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格子塀の内側にあってけっこう見づらいポジションなのですが、
境内には狛犬についての由緒書きまで用意されている丁寧ぶり。
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一体しかなく、“巨大な自然石で造られ”とありますが、
たしかに天然自然のままではなく手を施した様子が伺えます。
普通に像にしようとして途中で諦めたとか??

で、一体だけだと寂しかろうと考えたのか、
平成8年の式年遷宮に対となるようもう一体新たに作ったそうなのですが。。。
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第一印象・・・・・・でかっ!
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この画像だけだと分かりづらいかもしれませんが、
背丈、長さ、いづれをとってもじゅうぶん成人男性のそれといい勝負。
(スケール持参でちゃんと計測すればよかった。)

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まあ、確かにオリジナルの自然石風狛犬(?)も相当な大きさですけどね。
向きが同じ方向で座っているのは敷地の都合もあって
今の場所しか設置できなかったからではと推測。
でも、オリジナルが通常の吽形サイドに居るかたちなので
普通なら吽形になるところを敢えて阿形として製作したのかもしれません。
由緒書きにはそこまで但し書きがないので真実は不明ですが。

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玉乗り狛犬の形をとったのは、
そのほうが大型に製作できると考えたからでしょう・・・・・・知らんけど。
広島以西の山陽路に多い玉乗り。和歌山では珍しいと思います。

同社は当地、古くからかつらぎ町渋田地区の氏神様。
じつはこの渋田、拙者の母方の実家がある(あった)土地でございまして。
家系でいえば自分の氏神とはなりませんが、恥ずかしい話ながら
いままでその存在すらハッキリ認識していませんでした。
幼少時は祖母の家へしょっちゅう遊びに行っていた記憶がありますが、
この神社のことはまったく記憶に残っていません。
古い由緒のある神社のようなのに、惜しいことです。
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(撮影日:2013年12月30日)


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