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安曇野にもある、立派な獅子山 [狛犬・寺社(安曇野市)]

(2014年7月19日、文末に追記しました。)
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安曇野市三郷明盛、及木地区の伍社宮。
2013.02.15.goshamiya2.JPG
同地区の産土神ですが、隣接する中萱地区との境界に近く、
中萱の産土神である熊野神社も及木に近い場所に位置するため、
両社は非常に接近した関係にあります。
2013.02.15.goshamiya1.JPG
少しひいた所から眺めてみると、
場所によっては一体の鎮守の森のようにも見えますね。
(画像左側が伍社宮、右奥のほうが中萱の熊野神社。)

鳥居をくぐるとすぐに狛犬が鎮座していますが、
まずは狛犬の前を素通りして。
2013.02.15.goshamiya3.JPG
拝殿と社務所
2013.02.15.goshamiya12.JPG2013.02.15.goshamiya13.JPG
年季の入った拝殿の扁額。
2013.02.15.goshamiya14.JPG
境内社。
2013.02.15.goshamiya18.JPG2013.02.15.goshamiya17.JPG
本殿は明和6年(1769)の穂高神社式年遷宮で新築されたものを、
その60年後の文政12年(1829)に当社へ払い下げられたもの。
2013.02.15.goshamiya15.JPG2013.02.15.goshamiya16.JPG
詳細割愛しますが、穂高神社本殿の特徴がよく出ているそうで、
安曇野市の有形文化財指定を受けています。
ちなみに明和6年新築となれば、穂高神社若宮社前にある
同社の初代狛犬と同い年になりますね。

さて、見どころの狛犬。
立派な、、、そう、まさに立派な獅子山です。
2013.02.15.goshamiya8.JPG2013.02.15.goshamiya4.JPG
明治41年9月建立。
2013.02.15.goshamiya9.JPG2013.02.15.goshamiya5.JPG
獅子山は江戸時代に江戸において発展した狛犬の一形態で、
通常は親獅子と子獅子のセットになっています。
「獅子は生まれて三日経った子獅子を千尋の谷へ突き落とし・・・」
という有名な一説を題材にしたものと一般には考えられており、
粋で派手好きな江戸庶民の気質に嵌る類型だといえるでしょう。

獅子山で鎮座する狛犬はだいたいが躍動感ある姿で表現されていて、
今の時代においても多くの狛犬愛好家に親しまれるところですが、
地方色ある狛犬のごたぶんにもれず、所在地は東京とその近郊に限られ、
その他の地方では滅多に出会うことがありません。
信州では自分はこの伍社宮の獅子山しか知りません。
長野県内でここにもあるよ、という情報がもしあれば
ぜひお知らせください。すっ飛んでいきます(^^)

で、狛犬たち。

全体に躍動感溢れた、立派な獅子ですが、
細かなところの彫りが優れていると感じます。

胴体に炎立っているような模様。
2013.02.15.goshamiya7.JPG
筋肉が隆起しているかのような凹凸ある胴体。
2013.02.15.goshamiya22.JPG
内側を彫り抜いた爪先。
2013.02.15.goshamiya21.JPG
この爪先の裏側まで彫り抜くというのはかなりのこだわりがあったのでしょうか。
2013.02.15.goshamiya23.JPG
この獅子山を初めて目にしたのは3年前ですが、当時はここまで気づきませんでした。
今回、何度目かの再訪でしたが、そういうこだわり部分を確認できて良かったです。

表情もいい面構え。
惜しいことに牙が一本欠けています。
2013.02.15.goshamiya10.JPG2013.02.15.goshamiya6.JPG
吽形には子獅子が一頭。
2013.02.15.goshamiya20.JPG
親も立派なら子もたくましい。
父ちゃんもしくは母ちゃんを見上げる表情に意志の強さを感じます。

子獅子にもちゃんと親とおなじ模様が入ってますね。
2013.02.15.goshamiya11.JPG

江戸獅子山は溶岩を用いて山をこしらえるのが一般のようですが、
ここでは普通の(?)石を用いて築山されています。
石の種類はごめんなさい、勉強不足であまりよく分かっていません。。。

阿吽ともに築山の裏手に制作者の記銘がありました。

彫刻師 諏訪神宮寺社前 北原栁太郎
岩組師 南安曇郡三田村 中谷利一郎

年代は表側に寄付人の名前とともに記銘されていました。

安曇野だけでなく、信州を代表する獅子山をもつ伍社宮。
おすすめの神社です。
2013.02.15.goshamiya19.JPG

(撮影日:2013年2月9日)

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(追記)
2014年になってからの話です。
この伍社宮の獅子山を制作した石工、北原柳太郎という人物について、
彼の子孫である諏訪市の石材店「石柳北原」の社長さんと出会う機会に恵まれました。
2月頃、柳太郎氏から数えて5代目となる現社長とともに伍社宮で対面、
北原さんの側では代々の作品を整理して写真集まで整えておられていたのですが、
同社の獅子山については情報が残っていなかった様子で、
私からその存在をお知らせしたところたいへん驚かれていました。

一方では柳太郎氏についていろいろ話を伺うことができたりと、
私にとっても非常に有意義な出会いになったのです。

北原さんの石材店は諏訪大社上社のある神宮寺地区にあるのですが、
子獅子を含めた狛犬3体に使用されている石材がこの神宮寺地区の裏山から
産出される「神宮寺石」と称される安山岩の一種であるあることが分かりました。
今ではこの神宮寺石は枯渇してしまい、もうこの獅子山の狛犬のような
大型の作品は制作できないとのことでした。

信州にある獅子山という点において希少価値が高いと考えていた私ですが、
加えて素材としての希少性も付加されたことで、今後より一層
この獅子山一対の文化財的価値を公に評価されるような活動に
力を入れて行きたいと思うようになりました。

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タグ:狛犬
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分村後の新しい鎮守の神様 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市豊科、上鳥羽の諏訪神社。
2013.01.21.kamitoba1.JPG
旧国道147号(現県道316号)沿いから長い参道が続き、
静かな境内が奥まった場所に広がっています。
2013.01.21.kamitoba3.JPG
2013.01.21.kamitoba4.JPG

かつての糸魚川街道(千国街道)が通っていたことを伝える碑。
2013.01.21.kamitoba2.JPG
江戸時代初期、まだ鳥羽村がひとつだった頃、
現在の下鳥羽大同神社が全体の鎮守神として祀られていましたが、
享保年間(1716~1735)のうちに上下に鳥羽村が分村することになり、
ここに上鳥羽地区の産土神として諏訪神社が誕生したということのようです。

細長い参道の奥に佇む、拝殿と社務所。
2013.01.21.kamitoba5.JPG
神殿は覆屋に囲われています。
2013.01.21.kamitoba12.JPG
境内裏手に流れる清流がいい感じです。
2013.01.21.kamitoba13.JPG

そして狛犬は拝殿前に一対。
2013.01.21.kamitoba6.JPG2013.01.21.kamitoba7.JPG
昭和18年9月25日建立。

なかなかユニークな表情ですね。
体全体が荒っぽいザラザラ的な印象ですが、
大同神社の狛犬も鑿跡をわざと残して彫ってある感じでしたが、
ここもわざとこんな彫り方にしているのでしょうかね。
2013.01.21.kamitoba8.JPG2013.01.21.kamitoba9.JPG
2013.01.21.kamitoba10.JPG2013.01.21.kamitoba11.JPG
さらに驚きなのは裏書きされた石工。
「サヌキ木田郡牟礼村 石工 島本伊太郎」とあります。
讃岐=香川県の石工さんなんですね。

いったいどういった経緯で四国の石工がわざわざ信州の神社のため
狛犬を彫り上げることになったのでしょうね。
まったく無縁というわけではなかったでしょうけれど。

でもそういう目で見ると、たしかにこの狛犬は安曇野や松本界隈では
あまり見かけないタイプですよね。
吽形のほうは角があるし、阿吽ともに歯が人型に彫られているなど
幾つかの浪速型狛犬の特徴を捉えています。

戦時中に作成されたものながら、護国神社系に傾倒しなかった点においても
貴重な狛犬といえるでしょうね。

(撮影日:2012年6月20日)


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安曇野で(たぶん…)いちばんの古株 [狛犬・寺社(安曇野市)]

ブログのヘッダーに使用している画像はこれまでに出会った狛犬と火の見櫓たち。
このうち中下の阿吽で載せてあるのは穂高神社に居る狛犬ですが、
何を隠そう、この狛犬こそが私を狛犬愛好家(もしくはコマラー)
の道に引きずり込んだ張本人(張本犬?)でして。

数年前に“第8回ふるさとウォッチングin安曇野”のコースが穂高のまちなかに決まり、
その下調べとして穂高神社に足を運んだ時のこと。
2013.01.13.wakamiya14.JPG
普段はゆったり参拝したことのなかった境内摂社をじっくりひと通り巡ったとき、
若宮社の前で鎮座していたこの狛犬一対と初めてまともに対面。
2013.01.13.wakamiya13.JPG
このときの、控えめな、それでいて強烈な個性を発していた一対に
たちまに魅了されてしまいまして。
2013.01.13.wakamiya1.JPG2013.01.13.wakamiya2.JPG
まるで、“やっと来たね。ようおいでなさんし。”と、言葉をかけられたかのようで。

以来、各地の神社を訪れた際には狛犬の様子が気になって仕方がなくなり、
ついには狛犬を追い求めて全国各地へ旅行を始めるような始末となってしまいました。
いやはや、なんとも罪つくりな狛犬ですwww

閑話休題。

明和6年(1769)己丑4月14日建立。
2013.01.13.wakamiya3.JPG2013.01.13.wakamiya4.JPG
明治期以降に建立されているものが大半を占める安曇野市内の
他の“参道狛犬”と比較して、この一対は圧倒的な古さを誇っています。
すべての神社を調査し終えた訳ではないので、あえて断定は避けますが、
おそらくは安曇野界隈でもっとも古い“参道狛犬”であろうと思います。
(神殿狛犬で古いのは潮神明宮の室町期制作のものなどがありますね。)

全体として素朴なつくりとはいえ、江戸中期の作品ということもあり、
“はじめちゃん”に分類分けするには少しサイズが大きめという印象も。
安土桃山以前から江戸初期にかけて制作された“はじめちゃん”の時代を経て、
狛犬が一般に普及を始めた、まさにその初期段階の代表作といっていいかも。
素朴ななかにも阿吽で鬣のデザインを変えているあたり、作者のこだわりも垣間見られます。
2013.01.13.wakamiya15.JPG2013.01.13.wakamiya16.JPG
ただし残念ながら、吽形の顔は磨耗がかなり進行してしまっています。
年代が古いのと、材質が砂岩系のようであるためでしょうが、惜しいです。

また古文書の記載によれば、これは地元ではなく江戸の町で作られ、
手車に乗せてこの穂高の地まで運ばれてきたという話。

阿吽ともに前足の股が刳り抜かれていません。
江戸中期およびそれ以前に制作された狛犬には時折みかけるスタイルですが、
股を刳り抜くと前足が作品のなかでもっとも細い部位となり、
江戸から穂高まで何十里という道を手車で運ぶことを考えると
輸送途中になにかの弾みで前足が折れてしまうことも想定した上で
このような納め方に仕上たのではないかと、私的には推測したりもしています。

いっぽう、上のほうに目を向けると、阿吽とも頭のてっぺんに穴が。
2013.01.13.wakamiya9.JPG2013.01.13.wakamiya10.JPG
これも江戸中期頃の狛犬では幾例か同じようなデザインがありますが、
時代的な特徴、または当時の江戸で流行した技法だったのかもしれません。
諸説あるなか、狛犬としての角を後で付け足すためのものではないか、
というのが、もっともらしく語られている理由のひとつのようですが、どうなんでしょうね?

尾も鬣同様に阿吽でデザインを変えています。
2013.01.13.wakamiya5.JPG2013.01.13.wakamiya6.JPG

明和6年という建立年は吽形の台座正面に記されていて、
2013.01.13.wakamiya8.JPG
一方の阿形の正面には奉献者の名前が残されています。
2013.01.13.wakamiya7.JPG
“献主 東都深川井口郡有”

実際には“井”の文字付近が欠損しているので読みづらいのですが、
井口郡有その人であるのは間違いないところ。

この御仁、井口郡有は地元穂高(当時の保高宿)出身で享保7年(1722)生まれ。
12歳という若さ(幼さ?)で江戸に出て商いの道に入り、
幕府の事業を引き受けるなどして莫大な財を成す豪商になった、
商才溢れる人だったそうです。

郷里の穂高神社に狛犬を奉献するに至る経緯を私は詳しく知りませんが、
氏神さまに対する奉恩の気持ちが強い人だったとも伝わっているので、
自分を大きく育ててくれた御礼の気持ちを狛犬奉献に託したのかもしれませんね。

建立年月日の明和6年4月14日にも意味があります。
狛犬などは大抵の場合、その神社の祭典日に合わせて建立奉納されたりします。
穂高神社の例大祭“御船祭り”は毎年9月27日で旧暦の時代でも時期が異なりますが、
明和6年は実は式年遷宮の年にあたり、狛犬はそれに合わせた奉納だと考えられています。
新暦で5月に執り行われる遷宮祭も旧暦では4月に実施されていて、
4月に3回ある寅の日のうち“中の寅の日”の“寅の刻(午前3時)”に行われていたそうです。
つまり明和6年の4月14日は、中の寅の日だったということですね。

ちなみにこの狛犬たちはもともと大鳥居の前に鎮座していたのですが、
昭和15年(1940)、穂高神社が国幣小社になった折に
現在地である若宮社前に移動したそうです。
元の居た場所には、現在では皇紀2600年生まれの護国神社系の大型狛犬が
“フンッ”と鼻息も荒く(?)、ふんぞり返って鎮座しております。
2013.01.13.wakamiya11.JPG2013.01.13.wakamiya12.JPG

狛犬に歴史あり。
奉献主にもそれぞれ歴史があってのことですからね。
見てくれだけのことではなく、そんな歴史の一端を垣間見ながら
狛犬探訪をこれからも続けたいと思う次第です。

(撮影日:2012年5月15日、社殿と護国型狛犬は2010年2月18日)


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下鳥羽大同神社はファミリーな狛犬たちが良い [狛犬・寺社(安曇野市)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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安曇野市豊科下鳥羽にある、大同神社。
2012.06.25.1.JPG
国道147号(正確には旧国道147号線。現在は県道316号線だそうな。)を、
松本方面より北上してしばらく走ると左手にりっぱな鎮守の杜が。
もとは鳥羽地域全体の神様として諏訪大社より勧請を受け、
寛文6年(1666)に上下両鳥羽に分村された後、
その後享保年間になって上鳥羽に新しく諏訪神社ができたことで、
現在では下鳥羽地区単独の産土神として鎮まっています。
上鳥羽の産土社は今も昔も諏訪神社の名称そのまんまですが、
明治初年の頃はこちらの大同神社も諏訪神社と名乗っていたそうです。

2012.06.25.3.JPG
2012.06.25.2.JPG
(境内を囲む玉垣沿いに流れる水路がいい感じです。)

で、ここにはワイドに広がる立派な鬣をもつ松本狛犬が一対。
2012.06.25.10.JPG
2012.06.25.11.JPG
阿吽ともに子獅子を抱きかかえていて、
阿形の子獅子は毬を、吽形の子獅子は牡丹をそれぞれ抱いています。
堂々とした迫力ある狛犬ですが、子獅子の様子がなんとなく
ほのぼのとした気分にさせてくれます。

2012.06.25.12.JPG
2012.06.25.13.JPG
阿形の台座には“大正4年11月起工”、
吽形の台座には“大正5年5月竣工”とあります。
起工年月が記銘されているのは珍しいですね。

石工設計請負人として3名の記銘がありました。
白鳥文治郎、白鳥近太郎、白鳥留雄。
松本市の石工さん。親子でしょうかね?

2012.06.25.9.JPG
2012.06.25.6.JPG
2012.06.25.7.JPG
石灯籠から続く境内はとてもすっきりしています。
拝殿に鎮まる随身像は市の有形文化財。

2012.06.25.8.JPG
本殿は一間社流造。

境内から南の方角を望むと、隣村の鎮守の杜が見えます。
2012.06.25.4.JPG
これが上鳥羽の諏訪神社。
江戸期に分村して既存の社から外れてしまった集落では
新しく社をたてるか、旧村のときと同じ社を二村合同でもつか、
いづれかになりますが、鳥羽の場合は新たに創建したようですね。
次はやはりこの上鳥羽の諏訪神社を訪問せねば。

下鳥羽大同神社の位置↓

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