So-net無料ブログ作成
狛犬・寺社(安曇野市) ブログトップ
前の10件 | 次の10件

覚明像の立つ八幡宮 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市三郷小倉、北小倉地区の八幡宮。
2013.05.08.hachiman1.JPG
北小倉集落の産土神で、上手村、中村、下村のみっつのエリアに分かれる北小倉のうち
白山社をもつ中村以外の上手と下の両地域にとっての神様として祀られています。

戦国時代の山城だった「小倉城址」が背後の山に控えており、
その前衛としての集落の端部に鎮座していることから、その関係性が指摘されています。
2013.05.08.hachiman2.JPG
鎮守の森が背景の山の緑と溶け込んでいますね。

2013.05.08.hachiman3.JPG
ご祭神:誉田別尊(応神天皇)。

広々とした境内は下草もしっかり刈られていてスッキリしています。
2013.05.08.hachiman4.JPG
2013.05.08.hachiman5.JPG
2013.05.08.hachiman6.JPG

社務所。
2013.05.08.hachiman7.JPG

宝蔵。
2013.05.08.hachiman8.JPG

神明社。
2013.05.08.hachiman9.JPG

馬頭観音像。
2013.05.08.hachiman10.JPG
明治17年(1884)建立。
三郷地域では最大の石造馬頭観音像。

秋葉社。
2013.05.08.hachiman11.JPG

御嶽座王大権現。
2013.05.08.hachiman12.JPG
文化9年(1812)建立。

覚明霊神像。
2013.05.08.hachiman13.JPG
覚明は御嶽山の修験道を切り開いた上人で、
ときおりその像碑を見かけます。

拝殿。
2013.05.08.hachiman14.JPG

本殿。
2013.05.08.hachiman15.JPG2013.05.08.hachiman16.JPG
一間社流造。
文化9年(1812)建立の棟札が残されています。

狛犬は居ませんでしたが、落ち着いた静かな神社でした。
2013.05.08.hachiman17.JPG

(撮影日:2013年5月8日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

阿吽が反対のはじめ的明治年間の狛犬 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市豊科南穂高、細萱の細萱洲波神社。
2012.10.01.hosogaya1.JPG
国道147号線を豊科から穂高へ向かう途中、細萱交差点の一角に立っています。

洲波神社という文字ですが、読んでそのまま「すわ」→「諏訪」となります。
2012.10.01.hosogaya20.JPG
ご祭神:
建御名方命
事代主命

参道入口の脇に建つ道祖神。
2012.10.01.hosogaya2.JPG

さらにその傍らに建つ摂社。
2012.10.01.hosogaya3.JPG
2012.10.01.hosogaya4.JPG
鳥居はなぜうんと背が低いです。
もともと地面がもっと低かったのでしょうかね?

参道をしばらく歩くと一の鳥居。
2012.10.01.hosogaya5.JPG

その手前にいる一対の狛犬。
2012.10.01.hosogaya6.JPG2012.10.01.hosogaya7.JPG
明治26年(1893)9月建立。
2012.10.01.hosogaya8.JPG2012.10.01.hosogaya9.JPG
近代の狛犬ですが、デザインは素朴感があり、
やや図体は大きいものの、はじめちゃんの印象もなくはないです。
2012.10.01.hosogaya10.JPG2012.10.01.hosogaya11.JPG
阿吽が左右反対に据えられているんですね。
もとは順置きだったのかもしれませんが、
当初からこうであったと主張できる理由と同様、
いづれにも裏づけがないのでなんともいえません。
2012.10.01.hosogaya12.JPG2012.10.01.hosogaya13.JPG

参道を歩いた先の境内は国道からかなり奥まった場所に広がっています。
2012.10.01.hosogaya14.JPG
2012.10.01.hosogaya15.JPG
2012.10.01.hosogaya16.JPG

きれいな神楽殿と旧社務所。
2012.10.01.hosogaya17.JPG
2012.10.01.hosogaya18.JPG
旧としたのは、社務所はこの取材後に建て直しとなりまして、
画像は在りし日の面影となってしまいました。

新しい社務所はこちら。
2012.10.01.hosogaya24.JPG
(2014年2月5日撮影。)

拝殿。
2012.10.01.hosogaya19.JPG
内部は土間になっているようです。
2012.10.01.hosogaya21.JPG

一間社流造の本殿。
2012.10.01.hosogaya22.JPG

同社前の国道は車の往来が激しく、自分も車でしか通らない場所なので
いままで立ち寄ることなどなかったのですが、とても静かで清潔な境内には
ゆっくり歩いて立ち寄ってみたい感じがしました。
2012.10.01.hosogaya23.JPG

(撮影日:2012年10月1日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

安曇野市柏原の日吉神社の狛犬 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市穂高柏原、倉平の日吉神社。
2012.01.13.hiyoshi1.JPG
前エントリーの下堀諏訪神社から拾ヶ堰沿いに北上すると
約2キロ半ほどの場所に鎮座しています。
2012.01.13.hiyoshi2.JPG
水田の広がるエリアにもっこりとした鎮守の森を柏原地域の産土神。

ご祭神:
大己貴命(大国主命)
玉依姫命
大山咋命
瀧津姫命
2012.01.13.hiyoshi11.JPG

由緒書きでは、
延宝元年(1673)に再建、明治2年(1869)に日吉大社より神霊勧請される、とあります。
再建と勧請の順序が逆のような気もしますが、ご祭神の変更でもあったのかな?
あるいは・・・と、思っていちおう旧穂高町の町誌をひもといてみたところ、
「・・・倉平には産土神の日吉神社があり、そのまま今日に及んでいる。
ただこの宮は慶安年間にはまだ現在地になく、山王権現社の名で拾ヶ堰の上、
現在地「神原」の「宮地」とよばれる地籍にあったという。・・・」
とありました。

慶安年間というと1648年~1651年の間。
ということから勝手に推測するに、上述の延宝元年(1673)に再建とあるのは、
神原から現在の倉下の地に移転した時期ということではなかろうかと思われます。

明治2年の日吉大社よりの神霊勧請の話については
具体的な記述は穂高町誌で読み取ることが出来ませんでしたが、
これまた勝手な推測ながら柏原村の江戸期の村域拡大による
本郷地区と新郷地区との関係が影を落としているような印象を受けます。
事実、同じ柏原地区内でありながら、日吉神社より西のエリア、
かつての新郷地区には八幡宮と諏訪神社が相応の規模で存在しています。
これらの社の存在は本郷に対する新郷の独立意識と、
明治維新による神道の国境かに伴う神社の氏子として所属先を明らかにするという
国策に関連する経緯が存在しているようなのですが、
そうした時代背景から、日吉神社のある本郷の立場としては神霊勧請をもって、
改めて日吉の存在をハッキリさせておく必要があったのではないでしょうか。

いづれにしても神社境内に立つ由緒書きと旧穂高町誌の資料からだけでは
推測の域を出ないので、これ以上は余計なことは書かないことにして、
いつもどおり神社の観察に移りたいと思います。

鎮守の森の一辺に入り込むように境内前の道路が貫通しています。
2012.01.13.hiyoshi3.JPG
2012.01.13.hiyoshi4.JPG
その境内と道を挟んだ対面にいろんな石造物。

供養塔。
2012.01.13.hiyoshi5.JPG

御嶽神社。
2012.01.13.hiyoshi6.JPG

筆塚。
2012.01.13.hiyoshi7.JPG2012.01.13.hiyoshi8.JPG

手水舎も道路向かいにあります。
2012.01.13.hiyoshi9.JPG

玉垣に添って水路も走っていますが、
本来の境内は今よりひとまわり広かったのかもしれませんね。
2012.01.13.hiyoshi10.JPG

境内入口の両部鳥居。
2012.01.13.hiyoshi12.JPG

その鳥居の扁額。
2012.01.13.hiyoshi13.JPG
龍の彫刻が立派です。
2012.01.13.hiyoshi31.JPG

狛犬は鳥居前に一対。
2012.01.13.hiyoshi14.JPG2012.01.13.hiyoshi15.JPG

昭和47年秋(9月13日)建立。
2012.01.13.hiyoshi16.JPG2012.01.13.hiyoshi17.JPG
2012.01.13.hiyoshi18.JPG2012.01.13.hiyoshi19.JPG
岡崎古代型。
作者は不明ですが、年代的に外国産は考えづらいので、
確かに岡崎市の石工さんによって制作されたものでしょう。

台座には施工店が松本市中央の伊藤石材店と記名があります。
自分は仕事その他のお付き合いで伊藤石材の社長さんとは懇意にさせて頂いており、
じつは昨年末に所用でお店に寄らせて頂いたのですが、その折に
この日吉神社の狛犬奉献当時に撮影した記念写真を拝見させて頂いたのでした。
2012.01.13.hiyoshi32.JPG
中央の額を持っていらっしゃるのが、現社長のお父さん(つまり先代社長)。

で、伊藤石材は狛犬制作の実績も伝統もある石工さんですが、
奉献されたのは岡崎古代。
昭和40年代後半という時期に現代型ではなく古代型にしたという点も含め、
奉献される狛犬がこの子達になったその理由をちょこっと考えてみたのですが、
もしかすると前エントリーの下堀諏訪神社の狛犬を見て、同じものにしよう、
という話になったのかもしれなとか、勝手な推測をしております。

岡崎古代が安曇野では下堀の諏訪神社とこの日吉神社の他に見かけない上、
上述のようにこの二社は比較的近い距離にあり、
拾ヶ堰を下っていくと30分ほど歩くとたどり着く位置関係にあります。
昭和47年ともなれば同じ岡崎でも現代型が大量に出回っている時代で、
事実安曇野市内の他の神社で前後の年代に奉献されたものは
その多くが岡崎現代型となっています。

というわけで、下堀の神社を参考にして決まったのではと推論した訳ですが、
違ってたらゴメンナサイ。。。m(__)m

境内。
2012.01.13.hiyoshi20.JPG
同社を訪れたのは今から2年も前の真冬でしたが、
すっきりと整った境内という印象でした。

宝殿。
2012.01.13.hiyoshi21.JPG

摂社・秋葉社。
2012.01.13.hiyoshi22.JPG

写真左から、鎮ノ宮、戸隠社、八王子社、稲荷社、
琴平社、菅原社、樹ノ下宮、八幡社。
2012.01.13.hiyoshi23.JPG

摂社・弁財天社。
2012.01.13.hiyoshi24.JPG

拝殿。
2012.01.13.hiyoshi25.JPG
御神紋があるわけですが、、、
2012.01.13.hiyoshi26.JPG
二葉葵。
本社である日吉大社が二葉葵なのでそれに準じた形に違いないのですが、
この柏原の日吉神社の御神紋は同じ二葉葵でも
どちらかというと加茂神社(上賀茂神社)のそれに似ているようです。
あまり、神紋については詳しくないのであれですが(^^;

拝殿内部には随神像。
2012.01.13.hiyoshi27.JPG2012.01.13.hiyoshi28.JPG

本殿は一間社流造。
2012.01.13.hiyoshi29.JPG
幣殿(?)から壁(衝立)が延長して新たに設けられていますね。

同社はグーグルマップなどの空撮を見ると社叢が真四角に見えるのですが、
陸地で見ていてもなんとなく四角形なイメージが沸いてきます。
集落から距離をとっていて周囲が開けていることもあって、
ボリューム豊かに見える鎮守の杜ですね。
2012.01.13.hiyoshi30.JPG

(撮影日:2012年1月13日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

安曇野にいる、杉浦磯治郎の岡崎古代型 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市堀金、下堀の諏訪神社。
2013.10.04.shimohori1.JPG
諏訪神社はご存知諏訪大社を本社とする神社で、
全国各地で分社の数は1万有余社(※)といわれています。
(※=諏訪大社公式HPに拠る)

国道147号、豊科の新田交差点を西に向かって折れ、
広域農道に差し掛かる少し手前を北に向かって入った先に鎮座しています。
2013.10.04.shimohori3.JPG

広域農道の対面にはベイシアをはじめとするロードサイド店が立ち並んでいますが、
境内のすぐ東側には安曇野を代表する用水路「拾ヶ堰」が流れ、
境内の周辺一帯は安曇野らしい農村集落の景観が今もなお残されています。
2013.10.04.shimohori2.JPG

境内は界隈の神社のなかでもかなり広いほうではないかと思われ。
2013.10.04.shimohori4.JPG

神楽殿。
2013.10.04.shimohori5.JPG

社務所。
2013.10.04.shimohori6.JPG

拝殿。
2013.10.04.shimohori7.JPG

その拝殿の前に狛犬一対。
2013.10.04.shimohori8.JPG2013.10.04.shimohori9.JPG
紀元二千六百年記念(昭和15年/1940年)建立。
石工:岡崎市中町 石匠 杉浦磯治郎。

2013.10.04.shimohori10.JPG2013.10.04.shimohori11.JPG
2013.10.04.shimohori12.JPG2013.10.04.shimohori13.JPG
教科書のお手本のような岡崎古代型ですが、
岡崎のなかでもけっこうスリムなボディではないでしょうか。

杉浦磯治郎は、岡崎の名工・酒井孫兵衛の直弟子として勤め、
のちに独立して岡崎石工のひとりとして狛犬の世界でも名の上がる人物のひとり。
自分は他の神社でまだ磯次郎の作に出会った経験はないですが、
地元岡崎を中心に各地に彼の狛犬は奉献されているようです。

昭和15年はご存知のように狛犬が全国各地で奉献された年で、
岡崎型の狛犬は古代型現代型問わず、相当もてはやされたのではと思うのですが、
あるサイトの情報によると、意外と同年生まれの岡崎型は少ないらしく。
同サイトでは「皇紀二千六百年(昭和十五年)製作の狛犬が無い」「未だ見つかっていない」
という表現が使われているので、昭和15年の杉浦磯治郎作であるこの子たちって、
ある意味けっこう貴重な存在なのかも。
2013.10.04.shimohori14.JPG2013.10.04.shimohori15.JPG
2013.10.04.shimohori16.JPG2013.10.04.shimohori17.JPG
同社の取材は昨年10月、所用で近所までやって来た際に
少しだけ時間があったので、未訪問だったこともあってちょっと立ち寄ったという次第で。
なのでちょっと落ち着かないなかで取材したため(と言い訳しますが、)
本殿その他は例によって取材漏れでございます。
まあ安曇野の神社なのでいつでも取材できるので、
近いうちにまた改めて行ってみようと思っていますが。

(撮影日:2013年10月4日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

長い参道の向こうに [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市三郷小倉、北小倉の白山社。
2012.06.03.hakusan1.JPG
北小倉は安曇野市南東部の西山山麓に広がる集落。
周囲はリンゴの産地として有名なところで、
北小倉集落でもリンゴ農家が多いということです。

北小倉はそのなかで上手村、中村、下村とみっつの小地区に分かれており、
上手と下の地区は集落の別の場所に建つ八幡宮が産土神で、
こちら白山社は中村地区のみの産土神とされています。

ご祭神:白山比咩(菊理媛命)

境内は道路沿いの一の鳥居を過ぎると杉木立のなか長い参道となっています。

ちなみに一の鳥居の扁額には「三社宮」と書かれています。
ゆえにグーグルマップなども三社宮の表記になっています。
2012.06.03.hakusan2.JPG

参道両脇には昭和9年(1934)に奉献された48基の石灯籠がずらり。
2012.06.03.hakusan3.JPG

拝殿。
2012.06.03.hakusan5.JPG
寛延2年(1749)に建てられた年季の入った建物です。

狛犬は岡崎現代型が拝殿前に一対。
2012.06.03.hakusan6.JPG2012.06.03.hakusan7.JPG
平成2年(1990)10月吉日建立。

本殿。
2012.06.03.hakusan8.JPG
一間社隅木入春日造。
天明5年(1785)建て替えの棟札が残っています。
彫刻が立派です。

ご祭神:白山比咩(菊理媛命)。

境内社。
2012.06.03.hakusan11.JPG
戸隠社、石尊大権現、神明社。

境内の傍らに、伝説のお池。
2012.06.03.hakusan10.JPG
昔々より、池の水を汲み出すと雨が降るといわれ、
旱魃の際に池をかき回して水を汲み出し、神様に祈ると必ず雨が降るといわれています。

画像にはないですが、
同社の舞台(山車)は装飾が立派で、市の有形文化財に指定されています。

山麓の鄙びたお宮ですが、歴史を感じさせる雰囲気がよかったです。
2012.06.03.hakusan4.JPG

(撮影日:2012年6月3日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

焼失後、地域住民の力で再建の社殿 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市穂高有明、富田の伊夜比古神社。
2013.03.25.iyahiko1.JPG
ご祭神は天香久山命。
越後の弥彦神社から勧請受けた冨田地区の産土神です。

明るい色の鳥居をくぐると、ゆったりした境内が広がっています。
取材日はまだ残雪がありましたが、参道部分は雪はねされていました。
氏子さんの誰かが参拝者のために除雪してくれたのでしょうか。

拝殿と神社会館(神楽殿)。
2013.03.25.iyahiko2.JPG
まだ新しい建物に見えますが、これは平成4年の再建。
2013.03.25.iyahiko3.JPG
2013.03.25.iyahiko4.JPG
21年前にこの神社は火災に遭って本殿をはじめとする建物が全焼。
その後、地域の氏子さんたちが資金を出し合って、以前同様の姿に再建。
再建竣工を記念した石碑だけでなく、神楽殿の片隅に表記された
「火の用心」の看板が住民の思いを物語っています。
2013.03.25.iyahiko5.JPG
話によれば、神楽殿の大梁は
焼け残った旧神楽殿のものを再利用したものだそうで。
2013.03.25.iyahiko6.JPG2013.03.25.iyahiko7.JPG
立派な梁です。

狛犬は拝殿前に一対。
2013.03.25.iyahiko8.JPG2013.03.25.iyahiko9.JPG
平成7年(1995)建立の岡崎現代型。

本殿は一間社流造。
2013.03.25.iyahiko10.JPG
摂社たち。
2013.03.25.iyahiko11.JPG
八王子社、戸隠社、天照皇大神宮、水神社、秋葉社

御嶽山。
2013.03.25.iyahiko12.JPG
ところでこの神社は西向き社殿となっています。
安曇野でも他地方と同様に南または東向きが圧倒的多数なので、
珍しいですね。なにか謂れがあるのでしょうか。

(撮影日:2013年3月4日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

山の神様は争いごとが嫌い [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市明科、矢の沢の山の神社。
2013.02.26.yanosawa1.JPG
長峰山へ東側山麓より入山するルート上にある山間集落の氏神様。

矢の沢集落自体は戸数も現在では一桁になっているようで、
氏子さんたちも社殿や祭典の維持管理は大変ではないかと察します。

そんな現状なので鳥居の修復も並大抵でないのはよく分かります。
2013.02.26.yanosawa2.JPG
目の錯覚では、ないですよね?

明科町時代の保存木だった栂の古木。
2013.02.26.yanosawa3.JPG
安曇野市のHPを見ると、市の天然記念物には指定されていないようで、
いまどういう扱いになっているのかは不明。。。

神楽殿。
2013.02.26.yanosawa4.JPG
本殿以外の建物は昭和期の建築ということですが、
であれば基礎の構造その他から昭和初期ということになりますかね。

拝殿。
2013.02.26.yanosawa5.JPG
この神社はなぜか鈴を鳴らすのは禁止らしく、鈴の姿がありません。
まあそれ自体は他の神社でもない場合が多いので
別にどうってことはないのですが、禁止の理由ってなに?。。。

ユニークなのは拝殿前のこれ。
2013.02.26.yanosawa6.JPG
ご芳名録に氏子さんたちが作ったであろう神社の紹介資料があり、
資料は持ち帰ることができるようになっていました。
2013.02.26.yanosawa7.JPG
一部を紹介すると、、、
「祭典といえば、華やかに花火を打ち上げたりするがここでは花火は禁止。・・・」
「寺社仏閣といえば、鐘や鈴を振り鳴らす習慣があるが、ここの神社では禁止。・・・」
「お賽銭は拒まないので必ずお参りの前に納める。
多ければ多いほど幸も多く授かるはずである。・・・」
“・・・はずである”という括りかたがいいっすね。
もしかしたら授からないかも・・・と続けたくなりますwww

あと、「平和を重んじる神様で争いごとを嫌う」とありました。
神様なんだから当たり前という感想もあるかもしれませんが、
基本的に日本神話に登場する神様って好戦的というか
揉め事を起こすのが得意(?)な神様が多いですからね。
そういう意味ではあえて断わりを入れるのも納得かなと。
そしてそれ故か、拝殿の棟には平和の使者=鳩がいました。
2013.02.26.yanosawa11.JPG

神殿。
2013.02.26.yanosawa8.JPG
件の解説書によれば、江戸元禄年間の建築だとか。
覆屋に覆われていたので細部は分からず。
ご祭神は大山衹命。

摂社。
2013.02.26.yanosawa9.JPG
境内の片隅に鎮まる石仏。
2013.02.26.yanosawa10.JPG
いちおう真新しい看板も立ってます。
2013.02.26.yanosawa13.JPG
帰り際、改めて鳥居をくぐりました。
2013.02.26.yanosawa12.JPG
やっぱり、目の錯覚ではない。。。

(撮影日:2012年4月8日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

穂高神社本殿、現存最古の払い下げ [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市堀金三田、小田多井の八幡神社。
2013.03.04.kotataihachiman1.JPG
集落全体がのどかな田園風景のなかにあり、
八幡神社の社叢もどことなくほんわかした空気感があります。
2013.03.04.kotataihachiman2.JPG
神社近くにあるコンクリート改修されていない、昔ながらの水路。
2013.03.04.kotataihachiman3.JPG
懐かしい風景です。

拝殿。
2013.03.04.kotataihachiman5.JPG
摂社と境内の道祖神。
2013.03.04.kotataihachiman7.JPG2013.03.04.kotataihachiman4.JPG
本殿は穂高神社の御遷宮祭における払い下げ神殿のひとつ。
2013.03.04.kotataihachiman6.JPG
元禄2年(1689)の新築で、その60年後の遷宮祭を経て
寛延3年(1750)に当時の小田多井村が金子4両で譲り受け
同社の本殿として移築したということです。
穂高神社払い下げ本殿としては、現存最古になるそうです。

穂高神社の建築様式を伝えるものとして貴重なものですが、
残念ながら一般人の目にできるのはこの程度まで。

ご祭神は譽田分命、建御名方命、八坂刀売命。
八幡様ですが、やはり諏訪系の神社ということなのでしょうか。
村誌チェックもしておらず、現地に由緒書きがなかったので詳細不明です。

狛犬は拝殿前に岡崎現代型が一対。
2013.03.04.kotataihachiman8.JPG2013.03.04.kotataihachiman9.JPG
昭和36年11月建立。
「松本市宮渕 田近石材店刻」と、設置施工店の名前はありますが、
石工名はないですね。まだ大陸系の狛犬が出回る時代でもないですし、
普通に岡崎の石工さんが彫ったものと考えていいかなと推測します。

2013.03.04.kotataihachiman10.JPG2013.03.04.kotataihachiman11.JPG
2013.03.04.kotataihachiman12.JPG2013.03.04.kotataihachiman13.JPG
彫りはシンプルですが、子持ち玉持ちではないのでスッキリしていいと思います。

(撮影日:2012年6月23日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

鳥居をくぐり抜けると電車に轢かれます [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市明科、中川手の犀宮社。
2013.02.26.saimiya1.JPG
創建年は不詳。
東筑摩郡誌によれば、ご祭神は
「大山衹命、日本武尊、建御名方命」の三柱に「素戔嗚尊」を合祀とあります。
2013.02.26.saimiya2.JPG
国道19号を松本方面から明科の市街地に向かって走ると
塔の原の信号より南寄りで国道沿いに鎮座しています。
2013.02.26.saimiya3.JPG
が、本殿は一般的な東向きで建てられていて
境内の西側を走る国道からは背中を向けられている感じです。
東山が間近にせまる地形であれば、
西向きに社殿を建てる発想もあったかもしれないと思うのですが、
同社は穂高神社に所縁あると考えられていることから
穂高神社の拝殿的役割を果たしていたのではないかという
そんな考察が明科町誌に記載されています。
地形的にも穂高神社の真東に位置するのも
必然的なものだったのかもしれません。

鳥居の扁額が“三社大明神”となっていますが、
かつてはそのように呼称されていたらしく、
その辺からも三ノ宮である穂高神社との所縁を感じさせます。
2013.02.26.saimiya4.JPG
町誌によれば穂高神社が20年単位で式年遷宮となるに合わせ、
犀宮はその穂高神社の遷宮の翌年に御遷宮を行うとあります。
ってことは最新の葺き替えは平成22年ということになりますが、
ぜんぜん知りませんでした。

あと、泉小太郎と犀龍の伝説も絡んでいるようですが、
その話は余り詳しくないのでここでは割愛。

拝殿。
2013.02.26.saimiya5.JPG
2013.02.26.saimiya6.JPG2013.02.26.saimiya7.JPG
本殿は一間社流造。
2013.02.26.saimiya8.JPG
江戸末期建立と推定。
鰹木だけでなく千木も3対ありますが、
これも三柱であることとなにか関係があるのでしょうか。
2013.02.26.saimiya9.JPG

境内摂社もいろんな様式の社で祀られていて、
旧村社としての風格を漂わせる境内になっています.
2013.02.26.saimiya10.JPG2013.02.26.saimiya11.JPG
2013.02.26.saimiya12.JPG

それにしても、ですよ。

これはなんということでしょう。
2013.02.26.saimiya13.JPG
2013.02.26.saimiya14.JPG
2013.02.26.saimiya15.JPG
明治35年(1902)に国鉄篠ノ井線が同地に開通した折、
社地が分断されて境内の様子が一変したとあります。
百歩譲って鉄道路線がここを走らざるを得ないとなったとしても、
高架橋にして参道を下にくぐらせるとか、
そういうのはムリだったんですかね?
参道の上に鉄道が走る自体無理があるのかもしれませんが、
現状で良しというもんでもないと思うのですが。
2013.02.26.saimiya16.JPG
面白いのはこの篠ノ井線の直線で走ってきた線路が
犀宮社のところで少し東側へ曲折している点と、
大糸線の直線路が穂高神社の部分(=穂高駅)で
西側へ曲折していることと状況が似通っているということ。
神社の正面と裏側という違いはあるものの、
なんだかそんなところでも両社のつながりを感じてしまうのは
自分だけでしょうか(^^)
saimiya.png
いづれにしても、今となっては非常にユニーク
かつ大変危険な様子を楽しむ(?)ことができる神社です。

あ、同社に狛犬は居ませんでした。

(撮影日:2012年4月1日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

福島型が安曇野に!? [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市三郷明盛、中萱の熊野神社。
2013.01.23.kumano1.JPG
江戸時代に起こった百姓一揆「貞享騒動」における
首謀者たちの秘密基地的存在となった場所がこの熊野神社。
2013.01.23.kumano3.JPG
貞享騒動をご存じない方はウィキペディア貞享義民館HPをご参照下さいませ。
(↓すぐ近所にある貞享義民館。)
2013.01.23.kumano4.JPG
それではさっそく秘密基地・・・もとい、熊野神社境内へ。
2013.01.23.kumano2.JPG
狛犬を通り過ぎて境内へと足を進めると、
こじんまりと整えられた神域が広がっています。
2013.01.23.kumano5.JPG
拝殿と社務所。
2013.01.23.kumano6.JPG2013.01.23.kumano7.JPG
相殿の、三峯社、秋葉社、八王子社。
お社は一間社流造で市の有形文化財。
2013.01.23.kumano8.JPG
御本殿は隅木入春日造。
2013.01.23.kumano9.JPG
熊野三神と八坂神・素戔嗚尊が祀られており、
こちらも建物は市の有形文化財となっています。

境内の摂社。
2013.01.23.kumano13.JPG2013.01.23.kumano11.JPG
稲荷社には整った姿の狐さまがいました。
2013.01.23.kumano12.JPG2013.01.23.kumano10.JPG
2013.01.23.kumano14.JPG2013.01.23.kumano15.JPG
昭和3年10月建立。

巻物を口にしているのはいいとして、
前足で押さえているのはなんでしょうね。
宝珠でも鞠でもなさそうだし。。。

狛犬さんに戻ります。
2013.01.23.kumano17.JPG2013.01.23.kumano18.JPG
全国各地の狛犬を見て回っている人なら
この狛犬を見てピンと来るものがあるかもしれませんね。

「あっ、福島型だ」なんて感じで。
2013.01.23.kumano19.JPG2013.01.23.kumano20.JPG
福島型という括り自体がどうなのかという問題はさておき、
福島県でよく見かける狛犬の姿に酷似しているのは間違いないところで。

ややずんぐりむっくりで、頭がべちゃっとひしゃげた感じ。
鞠や子獅子の納まり方とか親獅子の子供の押さえかたとか。
昨夏南福島を旅したときによく見かけた狛犬たちによく似ています。

昭和5年5月吉日建立。
彫刻師:村越清次郎。

でも台座には“豊科町 石工 大谷忠利”とあります。
台座と本体、別々の人が手がけたということですかね。
2013.01.23.kumano21.JPG2013.01.23.kumano22.JPG
彫りはとくべつ凝った感じではなく、どちらかといえばシンプルなんですが、
阿形の口のなかには玉があり、ゴロゴロ転がる作りはけっこう要テクニック。
2013.01.23.kumano23.JPG2013.01.23.kumano24.JPG
淡白な印象だけど技術はある感じもする、不思議な石工さんの狛犬です。

2013.01.23.kumano16.JPG
(撮影日:2013年2月9日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
前の10件 | 次の10件 狛犬・寺社(安曇野市) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。