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狛犬・寺社(安曇野市) ブログトップ
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戦時中の寄進 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市堀金烏川、上堀地区の諏訪社。
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安曇野に限らず、諏訪神社とか諏訪社とか、
同じように集落の産土神で同じ神様を祀っている神社でも
社号が異なるのにはなにかしら理由があるのだろうと思われ。
かなり以前に誰かとそんな話を雑談した記憶だけはあるのだけれど、
どんな内容だったか、結論が出ていたのか、肝心な点が記憶にない(--;

とまあ、社号についての話はさておき。
安曇野市堀金支所や堀金小学校などが至近にあり、
旧堀金村のなかでは中心地に位置する神社であった模様。

立派な木造の両部鳥居の傍らには幣饌料供進指定神社の碑。
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鳥居をくぐると両側に立派な台座に乗った狛犬が一対。
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昭和20年3月建立。
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戦前や戦時中に奉献される狛犬などには武運長久の意味が込められたものが多く、
寄進者が出征兵士の家族であることも少なくないとききます。
同社の狛犬も寄進者名がはっきり記されていることから
詳しく調べればそういった奉献背景を知ることができるかもしれませんが、
とりあえず今のところは推測の域にとどめておきます。
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狛犬のデザインは昭和初期のしっかり彫り込まれた岡崎現代型。
腹部がやや絞られたスリムな感じに筋肉質な印象ですね。
岡崎は阿形が玉取り、吽形が子取りのパターンが多いのですが
個人的には玉も子もいない同社のような子がどちらかというと好きですね。

ややもすると岡崎現代型は“ぜんぶいっしょ”の先入観が強すぎるのですが、
じっくり見てみると、それぞれに特徴があって興味深いです。
とくに大正や昭和初期から中期にかけての子達は
見る人がみれば石工による個性もよく分かるそうなので
これから取材時は岡崎だからと敬遠するのではなく
細かなデザインの差異を見極められるよう目を凝らしてみたいと思います。
もっとも、平成になってから大量に出回る大陸系の“なんちゃって岡崎”には
今後も関心が向かないかもしれませんが。

摂社。
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拝殿と社務所。
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拝殿前に最近伐採したばかりらしいご神木の一部が。
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本殿は少し見えづらく、屋根しか確認できませんでした。
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摂社と宝蔵(?)。
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御嶽大権現と道祖神文字碑。
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安曇野では神社の境内に道祖神碑があるのは珍しいことではないです。

境内は背丈のある杉林に囲まれた静かな環境ですが、
きれいに整備されていて気持ちよく過ごせる印象でした。
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(取材日:2014年10月8日)




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安曇野狛犬三代記 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市三郷温、楡地区の住吉神社。
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これもまた、取材していたのに記事アップしていなかったシリーズの一社。
(これ、けっこう長いシリーズになりそうw)

同社は安曇野市の南部に位置し、古くから住吉郷の総社として祀られてきました。
鎮座する位置は黒沢川の末端にあるのですが、同川は扇状地特有の河川として
扇央部にくるにつれ水量が減り、神社手前で水がなくなる水無川となるのですが、
古くより大雨の際にはしばし氾濫して困らせていたそうです。
同社がその鎮護のために置かれたという説もあるようなのですが、
それ以上に語り伝えられているのは、坂上田村麻呂の話。

現在は同社の奥宮となっている西山山麓の角蔵山にあった社を
坂上田村麻呂が同地に移したのが始まりとされているそうで、
境内には田村麻呂の像が建立されています。
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歴史好きの一部の研究家によるとこの住吉神社は安曇野の歴史だけでなく
日本史上でもかなり重要な鍵を握る神社ともされているようなのですが、ここでは省略。
というか、歴史を語れるほどの知識は自分にはほとんど備わっていませんので。

旧県社の銘を刻んだ社号標と手水舎を左に見て木造の両部鳥居を抜けると
立派な社叢に囲まれた長い参道が続いています。
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そしてその鳥居を抜けてすぐの両脇に、さっそく一対目の狛犬がお出迎え。
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明治25年(1892)8月吉日建立。
石工棟梁:重盛支七、城取勘七作。
寄附人:小松甚三。
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昭和34年に改修を行っているようですが、本体に補修の痕は見出せないので、
台座などを改めて作り直したかなにかということなのでしょうか。

明治中期の作品は狛犬文化の開化が遅い安曇野では比較的古い年代に属します。
顔のデザインは特徴的でユニークですね。画像はピンボケ・・・。
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目玉をムキっと見開いて、阿形は口に玉を咥え、頭に乗せているのはおそらく宝珠。
一方の吽形は右前足で玉を押さえ、頭には角。
顔つきは明治の割にはかなり個性的なのに身体全体の作りはシンプルなんですよね。
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尾のデザインは阿吽とも同一で、渦巻きが身体に密着した尾付です。
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両脇に石灯籠が並ぶ長い参道を進むと正面に神楽殿。
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そしてその奥に立派な拝殿。
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拝殿正面の両脇に二対の狛犬が陣取っています。
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昭和40年(1965)4月建立。
典型的な岡崎現代型ではありますが、
平成生まれの“なんちゃって岡崎”たちとは違ってこの頃はまだ純岡崎産でしょうし、
デザインは岡崎現代型の完成形といっていい、しっかりした子達です。
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阿形の台座にはこのような記銘がありました。
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明治19年に奉献された隋神(像)があったようですが、
昭和19年2月に太平洋戦争のために供出とあります。
ブロンズ像であったのでしょう。狛犬でもそのような事例が数多くあったようで、
歴史の悲しい一面を物語っています。

そして吽形の台座には改めてこのような銘文が。
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つまり戦後になり、明治時代に隋神を奉献したその末裔の人々が
今度はあらためて石造狛犬を奉献したということのようです。
同じ隋神像とせず狛犬をチョイスした理由はよく分かりませんが、
戦争によって神社と氏子達から奪われてしまった大切なものを、
形がどうであれとにかく復活させたかったということなのでしょう。
氏子さんたちの熱い思いが伝わってくるようです。

伝わってくるのです、が。。。
狛犬ファンの立場からそれでもあえて言わせていただくならば、
この位置への建立はやはり避けて欲しかったかなと。

この位置というのは、大正期制作の狛犬の前面ということでして。
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こちら、大正2年(1913)9月建立。
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台座正面に「明治三十七八年戦捷記念」とありますが、
日露戦争終結から年数がけっこう経っての奉献だったのですね。
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石工は諏訪神宮寺、北原柳太郎です。
北原柳太郎は私が注目している石工のひとりで、安曇野市内では
及木地区の伍社宮の獅子山、そして寺所地区の諏訪松尾神社の狛犬が彼の作品で、
いづれを見ても彼の作風がよく現れた優れた作品といえると思います。

過去記事:伍社宮「安曇野にもある、立派な獅子山」
過去記事:諏訪松尾神社「石工・北原柳太郎の狛犬@諏訪松尾神社」

住吉神社のこの子たちと先の二社の狛犬たちに共通するのは石工だけでなく、
素材がいづれも安山岩の一種である諏訪神宮寺産出の神宮寺石を使用していること。
これは過去記事でも書きましたが、現在はすでに枯渇しており採掘はされておらず、
今はもう伍社宮の獅子山のような大型の作品をこの石で制作することは不可能とのこと。
その意味において素材の面ですでに希少性の高い作品だといえます。
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阿形に角、吽形に宝珠となっているのは北原柳太郎の狛犬の特徴。

伍社宮の獅子山のような大型の作品と、同社のこの子たちとは
大きさにおいて対照的ですが、表情の厳しさと彫りの深さ、
それに胴体の炎立つようなデザインもまた両者に共通したデザインですね。
足の指を大半の狛犬に見られる4本ではなく5本で彫り上げている点も
北原柳太郎作品の大きな特徴といえます。
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唯一残念だなと思うのは、口や目玉が赤く着色されてしまっていること。
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柳太郎の作品に限らず、自分は狛犬に着色は不要だと考える者のひとりですが、
着色は作品を安っぽく見せてしまっている気がして、あまり好きではありません。
もっとも、像の彩色には霊力を高めるためだとか、いろいろと謂われがあるらしいので、
外野の人間があれこれ言うのも憚られるところではあるのですが。

住吉神社は本殿や社叢など、狛犬以外でも魅力はたくさん。
(普通の人にとっては、↑の書き方は前後が逆かもしれませんが。)

本殿は5間社流造で、天明6年(1786)建立。
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住吉造ではないものの、屋根飾りは置千木に鰹木3本という住吉大社の様式を採用。
安曇野市の有形文化財指定。

ご祭神は
底筒男命 (そこつつのをのみこと)
中筒男命 (なかつつのをのみこと)
表筒男命 (うはつつのをのみこと)
神功皇后
といった住吉の神様のほか、建御名方命が祀られています。

ご神木のヒノキの巨木も安曇野市天然記念物指定。
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境内社の坂上田村大明神と摂社。
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参道の入口脇にも蚕影神社の鳥居と、蚕影社はじめ多数の境内社。
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社務所も界隈の神社のなかではかなり立派なほうです。
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グーグルの航空写真などを見ても鎮守の森は安曇野のなかでは大規模ランク。
狛犬についても複数居る神社が少ない安曇野では貴重な存在といえる神社ですね。

(取材日:2014年3月23日、10月31日)




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集落の小さなお宮 [狛犬・寺社(安曇野市)]

昨年春の取材ネタを忘れていたので今頃、、、しかも、狛犬いません。
記事だけは当時書き終えていたのですけどね。
なんとなく、取材ネタの在庫処分的感覚w


長野県安曇野市豊科、上鳥羽の三輪神社。
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上鳥羽の産土神はほかに諏訪神社が存在するのですが、
諏訪神社が集落西外れの国道以西に在るのに対し、
三輪神社同地区の集落に近い位置で鎮座しています。

細長い境内は小さく、社殿がポツンと建っているのみですが、
鎮守の森はきちんと存在して神域をしっかり守っている様子です。
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こういう小さな鎮守様に小さな狛犬なんかいたら最高なのですが、
残念ながら未知との遭遇は叶いませんでした。

(撮影日:2014年5月3日)


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二対の野村保泉(保太郎) [狛犬・寺社(安曇野市)]

長野県安曇野市豊科高家、真々部諏訪神社。
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安曇野市の南部にあり、戦国時代に甲斐武田氏が戦略拠点として
一帯の道整備や真々部城を築くなどしてまとまった集落が形成されたそうです。
近世になっても松本から北へ向かう主要街道の一本となるなど、
街道に沿って南北に長い集落が確立し、そのまま現在に至っています。
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同社はこの真々部集落から西へとまっすぐ伸びる長い参道の先に鎮座。
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境内入口に設けられた案内板によると、武田氏が同地に城を築いた頃に
諏訪明神を勧請したと伝えられているとあります。
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芝生で整備されたきれいな境内に設けられた土俵を脇に見ながら進むと
正面に立派な神楽殿があり、その手前に狛犬が一対います。
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制作「東都 原型 三木宗策  石匠 野村保泉」
建立年「昭和9(1934)10月」
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台座には諏訪大社上社と同じ4根諏訪梶の神紋が彫り込まれています。
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全体のデザインはふつうに岡崎古代型。
首元には鈴もちゃんとついています。
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でも原型作者がいるようです。

三木宗策は大正から昭和初期にかけて活躍した彫刻家。
木彫りの作家とのことで、となるとこの狛犬の原型も木彫りで創作したということなのでしょう。

野村保泉は今更語るまでもない、この業界では有名人。
石工界のブランドのひとつ「井亀泉」の流れを汲む昭和初期に活躍した石工で、
東京都内だけでなく各地に保泉名義の作品が残されているようです。

安曇野でもここだけでなく、穂高神社の狛犬が有名で、
こちらは地元の彫刻家「小川大系」が原型を作り、
それをもとに保泉が石彫りして奉献されたものとなっています。

そして三木宗策&野村保泉のコラボ作品となると
業界では東京の日枝神社にいる狛犬にピンと来る方も少なくないかもしれません。
日枝神社の子達は以前に記事をエントリーしましたが、
この記事を書いた頃はまだ真々部の狛犬達は未確認でした。

で、原型&石工の両作家が一致しているだけでも「へぇ~」ってなもんですが、
建立年月もじつは日枝神社と真々部諏訪神社で一緒なんですね。

石工については、野村保泉のもとにも弟子や職人が何名も居たという話なので、
工房全体で作り上げたものと考えれば、同時進行またはそれに近い工程で
2対の狛犬を仕上げたと考えてみても、決して不思議な話ではないと思います。
原型のほうも普通に順を追って制作したと考えればべつにどうってことないのですが、
興味が引かれるのは真々部の神社と野村保泉との繋がりです。
有名石工集団なので安曇野までその名が轟いていたのかもしれませんし、
同社に所縁のある人が東京に居たのかも知れません。
はたまた野村保泉ではなく三木宗策のほうに繋がりがあったのか。
ただ、それにしても日枝神社の大作と原型作家だけでなく建立月まで一緒と言うのも、
なんだか不思議な話ではありますね。
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そして同社にはもう一対、狛犬が鎮座しています。
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それは境内社の神明社前に居る子たちなのですが、
こちらもまた興味深い名前が台座に刻まれています。
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台座の文字ですが、
建立年は昭和10(1935)年1月。
そして阿吽ともに東京市と刻まれた下に
阿形は「酒井八右衛門」、吽形「野村保太郎」とあります。

建立年は神楽殿前の狛犬とわずか3ヶ月の差。
神社側からの制作依頼自体は2対同時だったかもしれません。
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石工ですが、野村保太郎は野村保泉の実名。
各地にある彼の作品は屋号の保泉の名前と
実名の保太郎と2種類の記銘が見られるようですが、
察するに保泉名義の狛犬は工房全体で(または弟子を使って)彫った場合で、
保太郎名義の場合は彼自身が直接彫った場合ということなのか、
どういう解釈が正しいのか自分はよく分かっていません。
が、今のところ自分なりには制作者が工房全体と個人の場合で
区別しているのだろうと考えることにしています。
(正確なところをご存知の方いらっしゃったら教えてください。)

酒井八右衛門は井亀泉ブランドの名跡だったそうですが、
検索して調べたネットに出回る情報によれば、
昭和初期頃の酒井八右衛門は三代目にあたり、
すでに石工として彫り仕事はしていなかったとのこと。

酒井八右衛門と野村保太郎の名前が同時に刻まれているものとしては
神田明神の狛犬の事例が見られます。
神田明神の刻銘には「石材 酒井八右衛門」「石匠 野村保太郎」とあります。
(さらに原型作者として「池田勇八」の名も刻まれています。)
これは石材の調達、またはプロデュース的な仕事までを酒井八右衛門が請負い、
施工(彫刻)を弟子筋にあたる野村保太郎に依頼したという流れだと考えるのが普通でしょう。

となると、真々部神社神明社の狛犬たちについても、
あるいは神田明神の役割分担と同じことがあったというふうに十分考えられるわけですが、
さて真実はどこにあるのでしょうね。
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境内は社殿を含め、とてもきれいに整備されています。

社務所。
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拝殿。
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本殿は視界が悪くハッキリ見えませんでしたが、
案内板によれば穂高神社御遷宮祭の折りの払い下げの社とのこと。
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本殿と神明社の合間に鎮座する境内社。
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有明山神燈。
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御嶽大権現。
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キレイな芝生が西に傾きかけた陽の光を浴びて眩しかったです。
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(撮影日:2014年5月3日)


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飯田の上下諏訪二社 [狛犬・寺社(安曇野市)]

長野県安曇野市豊科高家、飯田地区の諏訪社×2。

諏訪神社は安曇野の各地に点在していますが、
飯田地区でも上と下それぞれの飯田に鎮座する諏訪社があり、
長野県神社庁HPではこの両社を「諏訪社上下二座」と、
抱き合わせて掲載しています。

まずこちらは下飯田の諏訪社。
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集落に囲まれた場所にあり、
こじんまりした境内には残念ながら狛犬はいませんが、
文政2(1824)年建立の文字がユニークな道祖神文字碑があります。
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一方の上の諏訪社。
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こちらは水田の広がる見通しのよい場所にポツンと鎮座。
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境内はやはりこじんまりしていて、きれいに整備されていました。
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同じく狛犬は不在。
境内社の三峯神社の姿がユニークでした。
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(撮影日:2014年5月3日)


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(撮影日:2014年5月3日)

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こども病院近くの神社 [狛犬・寺社(安曇野市)]

長野県安曇野市豊科高家、中曽根の諏訪神社。
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県立こども病院の東側に位置する、中曽根地区の産土神。

同社の前には地区公民館があるのですが、
その傍らに立つ火の見やぐらを以前に記事エントリーしたことがありました。
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やぐらの背後が諏訪神社の鎮守の森ですが、
そのさらに背景に見えるこども病院の尖塔といいコラボしていますね。

で、神社のほうは石橋の神橋を渡って境内へ。

こじんまりした境内の中心に千度石。
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安曇野の神社ではよく見かける風景です。

社務所。
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拝殿。
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拝殿内の隋神像。
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境内社。
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本殿は一間社流造。
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こちらにも、残念ながら狛犬は居ませんでした。

(撮影日:2014年5月3日)


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本村の神社 [狛犬・寺社(安曇野市)]

長野県安曇野市豊科、本村の本村神社。
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豊科の本村地区の産土神で、現在の豊科地域の中心街のひとつである
成相地区の住民にとっても氏神様だったらしいです。

こじんまりした同社境内は、たまに出会う鳥居のない神社。

扁額が真新しい拝殿。
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社務所。
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境内社。
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幣殿でつながった本殿は一間社流造。
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鳥居だけでなく、狛犬たちも居ませんでした。

(撮影日:2014年5月3日)


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河岸段丘上の高台にたつ神社 [狛犬・寺社(安曇野市)]

長野県安曇野市豊科高家、熊倉地区の春日神社。
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熊倉地区は犀川に面した一帯でありながら、河岸段丘の台地上にあり、
春日神社の境内周辺はそのさらに一段高い場所に鎮座しています。
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境内入口の由緒書き(史跡由来碑)によれば、
社伝では創建は大同4(809)年に奈良春日大社より分霊し、
梓川治水開拓神として今とは異なる地に鎮座していたそうです。
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また当初の呼び名は熊倉神社とされていたようですが、
明治35(1902)年に春日大社から分霊を事実として認められ、
以降春日神社と呼称するようになったと言います。

御祭神は、
天児屋根命
経津主命
武甕槌命
瀬織津姫命

上の三神は春日大社の主祭神がたですが、
瀬織津姫命は治水の神様として、全国各地で河川に近い神社などで
祀られていることが多いようです。

境内入口の石段を上ると狛犬一対がお出迎え。
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大正14(1925)年4月建之。
石工:白鳥文治郎。
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石工として記銘のある白鳥文治郎は松本の石工さんで、
安曇野界隈では狛犬に限らず時折石造文化財で見かける名前です。
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しかしながら、狛犬のデザインは岡崎型。
尾のデザインが典型的でよく見かけるクネクネした立ち尾ではないですが、
この房毛の付き尾タイプは大正期制作の岡崎型では事例があるようですし、
素材の石については詳しくないですが花崗岩であることくらいは分かります。
表情の様子も初期の岡崎現代型の類型に属すると考えて差し支えないかと。

ということは、文治郎は石工としての元請け的立場であって、
発注から現地での設置奉献に関する作業を実施したということで、
実際に狛犬を彫った制作者は岡崎石工など別に存在するということになりますが、
台座の記銘からはそうした情報は残念ながら伝わってきません。
神社の資料などがあればなにかしら分かるかもしれませんが。
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ちなみに奉献者は「寄附人 穂高町 山葵商 丸山伊七」となっています。
穂高の人が熊倉の神社に奉献したというのも珍しいですが、
この熊倉出身の方なのか、あるいは同社や熊倉と深い繋がりがあったのでしょうか。
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境内はゆったりしていてとてもきれいに整備されていました。
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境内社。
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社務所。
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拝殿。
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本殿。
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そして境内裏手(北側)には山車の保管庫と並び、
かつて犀川の熊倉渡しで使用されていた舟が展示保存されています。
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(熊倉は塩の道「旧千国街道」の犀川舟渡しの場所として有名。)

玉垣の外側になるので境外社の括りにしてもいいのでしょうか。
御嶽社や若宮八幡社などが並んで鎮座しています。
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最初に触れたように春日神社一帯は段丘の小高い丘の上にあります。
熊倉は古代から近世、近代にかけて、さまざまな歴史の顔を持つ、
安曇野のなかでもミステリー性の高いエリアといえますが、
そこに居る狛犬もまた、謎含みのある子達だったといえるかもしれません。
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(撮影日:2014年5月3日)


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安曇野にいる成瀬大吉作の岡崎古代型 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市豊科、成相新田の八坂神社。
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名前からして京都祇園の八坂神社から勧請されたというのはお察しの通り。

成相新田は松本城下から千国街道を北上すると
最初に到着する宿場で、江戸初期に開発されて以降発達した町です。

大きく分けて成相と新田の両地区に分けられ、それぞれに鎮守神がいます。
(新田地区の新田神社は別途あらためて記事にします。)

ご祭神は素戔嗚尊と櫛稲田姫命。
町の資料によれば明治15(1882)創建とあります。

本殿は覆い屋に囲われていて外部からは望めません。
拝殿から見たらこんな感じ。
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境内社。
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境内は成相地区の東端あたりで、安曇野市役所豊科支所に程近いまちなか。
こじんまりした境内に続く参道は道路からカーブして鳥居の下へ。
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その先の拝殿前に狛犬が一対います。
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昭和15(1940)9月建之。
石工:岡崎市、成瀬大吉。
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典型的な岡崎古代型で括られるタイプ。
石工の成瀬大吉は大正末から昭和の戦後以降にかけて活躍した、
岡崎を代表する石工としてその筋では名の通った人物。
岡崎の狛犬を調べるとあちこちに名前が出てくる有名な石工さんですね。
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地元岡崎だけでなく、各地にその作品が数多く残されているようで、
自分が同氏の狛犬とは飛騨高山の桜山八幡宮で出会ったことがあります。
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足元の爪先が磨耗してしまったようにも見えますが、
もともとの作りがこうだったのかもしれません。
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素材の経年劣化については殆ど知識がないので軽々にコメントできませんが。

安曇野とその近郊に展開する岡崎型はやはり現代型が多いですが、
ここのように古代型も数対を確認することができます。
下堀の諏訪神社も昭和15年の皇紀二千六百年記念で建立されていますし、
またここの子達は40名にも及ぶ同地区の氏子連名の奉献となっていて、
この時代の地域の状況や物流の様子を知る手がかりとして、
この子たちは格好の素材といえるかもしれません。
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(撮影日:2014年10月23日)


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坂上田村麻呂伝説の神社 [狛犬・寺社(安曇野市)]

安曇野市穂高、狐島の白狐神社。
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ご祭神は倉稲魂命ということで、稲荷社なわけですが、
お稲荷さんにつきものの、神使としてのキツネさんは姿が見えません。

同地区の地名である狐島のキツネとは、
かつて戦国時代に領地を接している豪族たちの監視所があった所以らしく、
その監視所を狐と呼んでいたためだそうです。
また同社が白狐神社と呼称されるようになったのは、
坂上田村麻呂の八面大王征伐伝説と関係しているようで、
田村麻呂に攻められた八面大王が白狐に化けてここまで逃げて
捕まったという伝説に基づくものということらしく。

で、境内入口にはキツネに代わり、立派な狛犬が鎮座していました。
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昭和8(1933)年8月建立。
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石垣の上に台座を設け、厳めしい立派な顔つきで座っています。
髭の刻み方が細かいので顔周りが凝ったように見えます。
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鬣や胴体もなかなか凝った彫りをしていて、
体躯に彫られた火炎の意匠などもしっかり刻まれています。

全体に安曇野の狛犬のなかではなかなか見応えのある作品と
いえるのではないでしょうか。
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境内の様子はこんな感じ。
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社務所。
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末社。
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拝殿。
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本殿。
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境内裏手に回って振り返るとこんな感じ。
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稲刈りを終えて静かになった田園風景に
鎮守の森がこんもりと浮かんでいました。

(撮影日:2014年10月12日)


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