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狛犬・寺社(松本市) ブログトップ
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昭和末期に地元石工が彫り上げた狛犬 [狛犬・寺社(松本市)]

松本市並柳の、並柳神明宮。
2013.03.10.namiyanagi1.JPG
並柳小学校の東側、
弘法山から中山へと連なる山並みの山腹に細長い境内があります。

上の画像が一の鳥居で、下は二の鳥居。
2013.03.10.namiyanagi2.JPG
こちらは5年ほど前に建立されたもので、まだ新しいです。
画像の奥に三の鳥居が見えますが、鳥居は三体ともすべて靖国鳥居。
神明宮さんは天照大神をご祭神としますが、
鳥居は同じ神明系でも伊勢鳥居ではなく靖国鳥居である場合が多いですね。
まあ、神明宮に明神鳥居が建っているよりも普通に自然ですが。

拝殿。
2013.03.10.namiyanagi3.JPG
拝殿の傍らに立つ御神木。
2013.03.10.namiyanagi4.JPG
本殿。
2013.03.10.namiyanagi5.JPG
まだ新しいようです。
千木が内削ぎなのに鰹木は奇数の3本で、なんとなくしっくりきません。
由緒書きがなかったので詳細はよく分かりませんが、なにか事情があるのでしょうかね。

狛犬。
2013.03.10.namiyanagi6.JPG2013.03.10.namiyanagi7.JPG
2013.03.10.namiyanagi8.JPG2013.03.10.namiyanagi9.JPG
昭和60年(1985)9月吉日建立。

石工さんは2名の共同作業。
阿形:伊藤博敏
吽形:岩岡道雄

伊藤氏はいつもお世話になっている松本市中央の伊等石材店の現社長。
この狛犬は社長が27歳の当時に制作したものということになります。

下は昨秋狛犬講座を開催した折に使わせて頂いた、狛犬制作風景の画像。
2013.03.10.namiyanagi13.jpg
実際設置されているものとはまた違った印象ですね。

狛犬のデザインは江戸をベースにした松本型の特徴が見られますが、
田近氏の狛犬でよく見られるような鬣のボリュームはかなり控えめで、
胴体のスリムなものが多い松本型に比べて全体にふくよかなイメージ。
阿形に押さえられている子獅子の様子も印象的です。
2013.03.10.namiyanagi11.JPG2013.03.10.namiyanagi12.JPG
伊藤社長によれば、
「吽形=父親の持つ松本手毬を、阿形=母親の元から狙っている子獅子」
というのが制作のイメージになっているのだそうです。
2013.03.10.namiyanagi10.JPG
そういう目で見ると、なるほど子獅子のやんちゃなイメージがより膨らんできますね。
2013.03.10.namiyanagi14.JPG

昭和60年代といえば、岡崎現代型が全国各地の神社を席巻している時代。
さらには中国製の狛犬も流通し始めてくる時代ではなかろうかと思います。
そんな時代背景の中で地元の石工さんが手彫りした狛犬一対は
ある意味とても貴重な存在だと言えるのではないでしょうか。

(撮影日:2012年6月3日)


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山裾に鎮座する立派な社叢の名社 [狛犬・寺社(松本市)]

松本市梓川、梓の大宮熱田神社。
2013.03.08.oomiyaatsuta1.JPG
創建は平安期より以前まで遡ると推定。
梓川の水の恩恵を受ける里の守り神として
現社の西方にある本神山の山頂(1283m)に
梓水大神を祀ったのが始まりとされていて、
のちに祭事や参拝者の便を計るために里に下りて現在地に遷座し、
さらに天照大神、熱田大神、八幡大神の三神を合祀し、
現在に至っているといったところです。

山麓沿いに鎮座しているとはいえ山裾から少し離れているため、
社叢は山の森林から独立しており、非常に立派な鎮守の森を
単独で形成しています。
2013.03.08.oomiyaatsuta2.JPG

鳥居の傍らに立つモミの木は、樹齢約600年と推定。
2013.03.08.oomiyaatsuta3.JPG
県の天然記念物に指定されています。
画像はないですが、境内には樹齢1000年ともいわれるネズコの木があったり、
神社の歴史の深さを肌で感じることができます。

手水舎。
2013.03.08.oomiyaatsuta4.JPG
神楽殿。
2013.03.08.oomiyaatsuta5.JPG
縁側の下になぜか古い農機具が。
2013.03.08.oomiyaatsuta6.JPG
境内の一角に、古い絵馬や扁額が展示されています。
こういう見せ方は珍しいですね。
2013.03.08.oomiyaatsuta7.JPG
拝殿。
2013.03.08.oomiyaatsuta8.JPG
注連縄が立派です。

本殿は杮葺で一間社流造。
2013.03.08.oomiyaatsuta9.JPG
室町期の建立とされ、国重要文化財指定を受けています。
これまた画像が残念ながらありませんが、
境内摂社の八幡宮の社も同じく国重文です。

さて、狛犬。
まず参道狛犬として、拝殿前に一対。
2013.03.08.oomiyaatsuta10.JPG2013.03.08.oomiyaatsuta11.JPG
大正11年4月、建立。
松本手まりでしょうか。阿吽ともに手にしています。
恐竜顔ですが、オリジナル性がありますね。

拝殿内に、神殿狛犬が二対居ました。

一対は石造の小型。
2013.03.08.oomiyaatsuta12.JPG2013.03.08.oomiyaatsuta13.JPG
なぜか阿吽が逆に置かれていました。

そして大宮熱田神社といえば、この子達でしょう。
2013.03.08.oomiyaatsuta14.JPG2013.03.08.oomiyaatsuta15.JPG
なんともはや、初めて目にしたときはびっくりしましたが、
狛犬講座をさせてもらったカフェバロのマスターの話によると、
木製狛犬の彼らの塗装は木曽漆塗りだそうです。
なるほど赤黒の色使いは漆塗りのそれですね。
派手な彩色の多い神殿狛犬ですが、
そのなかでもけっこう異彩を放っていますね。

メジャーな観光ルートから外れていますが、
だからこそ古社が持つ荘厳な静寂と
大社のもつ威厳の双方を同時に感じられる名社になっています。
穴場という言い方は語弊がありますが、
おすすめの神社です。

(撮影日:2012年6月3日)


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本宮にソックリな奥宮の狛犬 [狛犬・寺社(松本市)]

松本市安曇上高地、穂高神社の奥宮。
2012.08.22.okumiya1.JPG
いわずと知れた信州が世界に誇る観光スポット、上高地。
その玄関口になるバスターミナル&河童橋付近から歩くこと小一時間。
明神池の湖畔に静かに佇むのが穂高神社の奥宮。

穂高神社の主祭神、穂高見神さまはその昔、穂高岳のてっぺんに降臨。
海の神様なのに、なぜかそれ以来日本アルプスの鎮守神になっちゃいまして。

安曇野市穂高にある我らが穂高神社の本宮、
奥穂高岳の頂上に祀られる嶺宮、
そしてこの奥宮と、
穂高神社は三社がセットになっていまして。

上の写真は梓川左岸にある登山道≒遊歩道側、
明神館の傍に立つ社号標。
そこから右岸に渡っていくルートが、表参道ともいえなくもなくて。

2012.08.22.okumiya2.JPG
2012.08.22.okumiya3.JPG
吊橋で梓川を渡渉し、神社入口の鳥居をくぐり、そのすぐ先にある神社本殿前へ。
2012.08.22.okumiya4.JPG

本殿前、狛犬さんが一対。
2012.08.22.okumiya5.JPG2012.08.22.okumiya6.JPG
昭和22年建立。
やや小ぶりながらも立派な護国神社系。
2012.08.22.okumiya7.JPG2012.08.22.okumiya8.JPG
デザインとしてはどうしても本宮の狛犬がイメージされてしまいます。
2012.08.22.okumiya12.JPG2012.08.22.okumiya13.JPG
(↑穂高神社、本宮の狛犬↑)
昭和15年に制作された本宮のそれは、デザイン原案が地元穂高の小川大系。
彫りは当時の東京で著名な石工だった野村保泉。
でもってこの奥宮の狛犬が誰の手によるものなのか…よく分かりません。
(またまた情報求む!)

2012.08.22.okumiya9.JPG
本殿は大きな神社なら摂社並みのこじんまりした大きさ。
でも造りは本宮のそれに準じた“穂高造”を踏襲したもので、
船の櫂をイメージしていると云われる鰹木のデザインになっています。
(通常の鰹木と異なり、千木にもたせかけて棟木に並行に置いたスタイル。)

上高地は一般車の入山規制があるのでちょっと気楽に奥宮まで散歩、
ってな感じにはなりにくいけれど、年に一度はハイキングがてら訪問したいですね。
2012.08.22.okumiya10.JPG
2012.08.22.okumiya14.JPG
2012.08.22.okumiya11.JPG

(撮影日:2012年8月22日)


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子安諏訪神社(松本市奈川)の神殿狛犬 [狛犬・寺社(松本市)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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奈川の現場へ通う道すがらにある神社が気になって
現場仕事を終えた帰りの道中に2~3度立ち寄ったりしたことがありまして。

2012.06.13.1.JPG

松本市奈川支所の真向かいにある、子安諏訪神社。
たぶんこの地域ではいちばんおおきな神社ではないかと思うのですが、
この神社で毎年5月に行われるお祭りで奏でられるお囃子は歴史があり、
“古宿の祇園囃子”として市の無形民俗文化財となっています。
松本のたから」(松本市文化財のHP)

2012.06.13.2.JPG
2012.06.13.3.JPG
2012.06.13.4.JPG
2012.06.13.5.JPG

本殿は覆屋に覆われて保全されており、
向拝の木鼻に彫られた獅子も表情豊かな印象です。
が、やはりここの注目は、本殿縁に鎮座する石造の神殿狛犬さんでしょう。

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2012.06.13.8.JPG

制作年代は不明。
旧奈川村の村誌にある神社の解説文には狛犬に言及した箇所がなく、
もしかしたら本体に裏書などあるのかもしれませんが、
さすがに無断で手に触れてひっくり返したり覗き見たりするのは躊躇われて。
支所の職員に尋ねても、どなたも知らない模様で、
神社に詳しい氏子さんを紹介頂けたのですがあいにくその日はご不在で。
また再訪の折に運よく氏子さんにお会いできれば
なにか情報がつかめるかなと思ってますが、そううまくことが運ぶかどうか。。。

年代が不明とはいえ、単純に仕分けするなら、この狛犬はまさに“はじめちゃん”。
ただしあまりに素朴すぎるその外観ゆえに、神殿に置かれていなければ
まるで石工見習いの習作かと思い込んでしまいそうなほど。

2012.06.13.9.JPG

それと、石の種類って自分はあまり詳しくないのですが、肌が青白っぽい感じなので
もしやこれが越前産出の笏谷石というものかもしれないと、勝手に推測。
(違ってたらすみません。石工さんはじめ専門家のご教示をお願いします。)

越前に限らず加賀や飛騨地方でも笏谷石を使用した狛犬はかなりあるようで、
笏谷石狛犬として分類がなされることがあるほど。
小型神殿狛犬として造られることもあるようなので、
野麦街道を通じて北陸や飛騨地方と交流があったであろう地理的状況から察するに、
石材を含めた同地域の狛犬文化が奈川にもたらされたと考えても不思議ではない、
、、、と、思うのですが。はてさて、真実はどうなんでしょうね?

で、この神殿狛犬に惹かれて写真を撮り続けていたら、
人気もないのにどこからかチクリチクリと肌を刺すような視線を感じて。

2012.06.13.10.JPG

どうもその視線は神殿内部から向けられているようで、
格子越しに内部に目を凝らしてみると。。。

2012.06.13.11.JPG

うっ、いましたっ!
ここにも神殿狛犬と思しきお姿が。

2012.06.13.12.JPG

きちんと阿吽揃っていらっしゃるようですが、
ハッキリした正体は部外者が立ち入れる範囲からでは判別がつかず。

やはりこれは、地元の氏子の長老にぜひお話を聞かせてもらわねば。

(追記)
地図を付記しました。

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昔の名前で出ています、という神社 [狛犬・寺社(松本市)]

(2014/10/23、追記訂正あります。)

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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前回エントリーの続き。
上波田関連記事の3部作(?)最終回。

松本市波田が一昨年3月まで東筑摩郡波田町だったのは
近隣に暮らす私たちはもちろん知っていることですが、
この町名がかつて、昭和8年頃までは“波多”と表記していたこと、
自分はつい最近になって知った次第。

2012.06.09.18.JPG
田村堂など若沢寺の遺構が残る地に隣接する、波多神社。

2012.06.09.19.JPG
仁王門と明神(台輪)鳥居が並立している姿に
かつての神仏習合時代の面影をしのぶことができます。

さらには由緒を見ると、康治2年(1143)に熊野権現を勧請したらしく、
その点でも神仏習合の所縁を感じますね。
2012.06.09.27.JPG
社自体はそれ以前から存在していたようですが、年代は明記されていませんね。

本殿前に昭和3年8月建立の狛犬が一対。
2012.06.09.21.JPG
2012.06.09.22.JPG
台座の記銘によると、石工は名古屋の角田(?)大三郎(←※文末に訂正)
ご丁寧に“駒犬専門”という文字も彫られています。
名古屋の石工さんということもあってか、阿吽=獅子・獅子の組合せの点や
全体の印象などが岡崎型とイメージの被るところもありますが、
巻き毛の毛並みが豊かで、彫りのしっかりしたところにオリジナル性を感じます。

とくに注目は、吽形の足元で勝気な表情を見せている子獅子。
2012.06.09.26.JPG
口になにかを咥えているのですが、どうやらなにかの花のよう。
はじめは神仏習合の名残りから蓮の花かとも思ったのですが、
昭和の制作で習合の意識はすでになくなっている時代と考えているうち、
「獅子なんだから、やはりこれは牡丹でしょ」という結論に至りまして。
(もちろん、あくまで私見です。皆さんは何に見えますか?)
いづれにしても、こういうのは自分は今まで見たことがなく、
とても珍しいタイプだと思います。

社殿は一間社流造。
2012.06.09.23.JPG
ご祭神の六柱は男神女神混じっていますが、
千木は外削ぎで鰹木は5本の奇数と、男神の慣例に倣っています。
熊野の勧請を受ける前から祀られていたという
スサノオノミコトたちに準じた様式としたのでしょうね。

境内はとても厳かな鎮守の森に抱かれています。
2012.06.09.20.JPG
2012.06.09.24.JPG
針葉樹広葉樹が入り混じり、スギ・ケヤキ・コナラなどの古木が
古社の歴史を感じさせるに十分な雰囲気を醸し出していました。
若沢寺遺構とこの神社が上波田地区の町なみ整備事業の
ベースとなったであろうことを考えると、なんだかんだいっても
今も昔もお寺や神社がまちづくりの核になるのだということが感じられます。

(※)
(2014/10/23訂正)
岡崎の石工“巽彫刻”さんのHPに掲載の情報を拝見すると
「角田六三郎」の名前が出ていました。
名古屋市西区の石工ということですから、この角田六三郎が
波多神社の狛犬作者として差し支えないでしょう。
以上、原文そのままで、石工氏名の訂正をここに記します。

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上波田、若沢寺の所縁を訪ねてみた [狛犬・寺社(松本市)]

このエントリーは
まちづくり・・・安曇野暮らし」に過去アップされた記事の転載です。

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前回エントリーで訪ねた上波田集落。
町並み整備のシンボル的存在の若沢(にゃくたく)寺に関係する
遺構一帯を画像に納めておらず、日を改めて再訪してみました。

火の見櫓もあった、集落の中心を貫く旧野麦街道。
2012.06.09.2.JPG
その西方の開けた場所でまず目を引くのが仁王門。
2012.06.09.4.JPG(茅葺きの上に鋼板を葺いています)
2012.06.09.1.JPG
正面広場が広くてとてもゆったりしています。
同じ整備事業では隣接する公園や公衆トイレも整えられ、
快適な町並み環境が出来上がっています。
まあ、きれいになった割に普段の人や車の往来がほとんどないのは
田舎ゆえ仕方ない部分もあるとはいえ、ちょっともったいない空気が。。。
2012.06.09.3.JPG(上波田公園)
2012.06.09.25.JPG(公衆トイレ)

股くぐりで有名な仁王様。
昔、ハシカが流行した折に仁王様の股をくぐると病が軽く済んだという故事にならい、
現在では毎年4月下旬に恒例行事として大勢の人を集めて行われているそうです。
2012.06.09.7.JPG(阿形。長野県宝です)
2012.06.09.8.JPG(吽形。同じく県宝)
(じゃんけんは吽形の勝ちwww)

若沢寺は真言宗寺院で天平勝宝年間(西暦750年前後)の創建と伝えられ、
信濃日光と呼ばれるほど隆盛を誇った名刹だったそうですが、
明治初年の廃仏毀釈により廃寺に追い込まれてしまいました。
上波田集落より少し山中に入ったところにあるかつての境内跡地は史跡となって、
いくつかの遺構が残っており、その参道入口にあたる集落にあっては仁王門のほか、
阿弥陀堂や田村堂、その他幾多の石仏群が往時の様子を今にとどめています。
2012.06.09.14.JPG(阿弥陀堂)
2012.06.09.15.JPG(阿弥陀如来坐像。松本市重要文化財)
2012.06.09.16.JPG(田村堂。写真はその覆屋です)
2012.06.09.17.JPG(これが田村堂。国重要文化財)
2012.06.09.12.JPG(線彫閻魔王坐像。市重要文化財)
2012.06.09.10.JPG(若沢寺の丁石。市重要文化財)
2012.06.09.11.JPG(丁石案内板)
2012.06.09.9.JPG(境内は詳しい由緒書きが多くて親切です)

田村堂はもと若沢寺の本尊を祀る厨子だったそうですが、
当寺を中興した坂上田村麻呂を江戸期になって以降祀るようになったものだそう。
普段は覆屋のガラス越しに見ることができます。

こうして現在残されているものを見るだけでも歴史を感じるに十分ですが、
その当時の境内がそのまま残されていたならば、松本平一円でも
トップクラスの寺院としてさぞかし名を馳せていたことでしょうね。
松本藩は藩主戸田光則みずから率先して廃仏毀釈運動に取り組んだことから
藩内の寺院は全国的にみても廃寺となった数が多いのだそうです。

ただ、廃仏毀釈は明治新政府により発令された“神仏判然令”をきっかけに
引き起こされた運動で、それ自体は政令の類ではありません。
この運動(騒動、暴動といっていいかも)の結果、多くの寺院が消失したことは
現代の歴史的価値観からは残念に思えてならない点も確かにありますが、
廃仏毀釈が行われた背景には、江戸期の寺請制度を悪用するかたちで
腐敗の温床となっていた寺院により苦しめられた住民の不満の爆発があるという説もあり、
特権を喪失して危機的状況に置かれた当時の仏教界に反省を促したとする評価など、
興味深い考察が存在するのも事実です。
もっとも、松本藩内で起こった廃仏毀釈は前述の藩主の行いなどから
全国的な一般認識とずれる点が確かにあるとは思いますが。

いづれにしても、神道関係者を中心に引き起こされた運動が
民衆の過剰反応を誘発したとする考察を含め、
歴史を単一的視点で見るのは難しいということを
この明治初年の廃仏毀釈からも読み取ることができますね。

この仁王門や田村堂などの隣接地には波多神社がありますが、
これについては次の記事にてエントリーしたいと思います。
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