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とうとう解体作業が始まりました [火の見櫓(松本市)]

以前から何度か記事に取り上げてきた、松本市中央の火の見やぐらの解体問題。
2014.01.22.chuou.JPG(2014年1月22日撮影

消え行く運命
カタクラモール再開発と火の見やぐら」(別ブログ「まちづくり・・・安曇野暮らし」)
カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後

カタクラモール再開発に伴い、カタクラの借地に建っていた
松本市消防団第3分団の屯所が土地明け渡しを求められたことから移転することとなり、
同敷地に立っている火の見やぐらが解体撤去されることになったという話で、
当初は昨秋予定の工事だったものが少し延びていたようですが、
今日現場に足場が組み立てられ、いよいよ解体工事が始まってしまう状況となりました。
2015.02.26.chuo1.JPG
2015.02.26.chuo2.JPG

松本へは普段用がなければ出かけることもないため、あやうく気づかぬまま
解体が進行するところでしたが、火の見ヤグラー師匠の透明タペストリー、U1教授から
今日連絡が入りまして。運よく仕事で出かける所用があったので寄り道して
夕方に小雨降るなか、最後の雄姿を見届けてきました。

大正15年建設という、現存の火の見やぐらとしてはかなり古い年代のもので、
全国に数箇所ある登録有形文化財の火の見やぐらたちと比べても
そん色ない希少価値を持っていると考えられます。

火の見やぐらの保存活用について市に提案した結果、
解体は変更できないものの図面保存と現物の一部保存をする方向で
市が動いてくれたため、かすかな記憶と記録は残されることになりましたが、
やはりそこにあるべきものが失われてしまうという寂しさは禁じ得ません。

デザイン的には特別装飾に凝ったものではありませんが、
既存のホース干し用のフックなど見ると、さり気ない飾りが施されているのが分かります。
2015.02.26.chuo3.JPG

今は周囲にビルも建ち、電柱や電線も邪魔して街路の彼方からは少し見えづらいですが、
周囲が木造2階建て民家ばかりだったであろう建設当時には非常に目立ち、
防災だけに限らない地域住民のシンボルタワーとして圧倒的な存在感があったと思います。
2015.02.26.chuo4.JPG

そちらこちらは近隣に新たに建設された消防団屯所。
背後にホース干し塔がひょろっと立っているのが見えます。
2015.02.26.chuo5.JPG

すでに解体の話が固まってしまった後でのアクションであったため、
そうした話題が出る前に動いていればあるいは、という思いもしているため、
非常に残念な思いではありますが、まったく無に帰してしまうよりは
上記のように行政当局にその価値について一定の理解を示してもらえたことは
今後の火の見やぐらの文化遺産としての価値啓蒙の上で
ささやかながらも価値ある一歩だったと考えるようにしたいと思います。

それにしても、、、あぁ、切ない(>_<)

(取材日:2015年2月26日)
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安曇野に残る火の見やぐら遺跡 [火の見櫓(安曇野市)]

(2015年2月17日記事エントリー後、2月18日に訂正を追記しました。)


火の見やぐらは普段その存在をほとんど意識することがないものなのに、
ひとたび気になりだすと目に付いてどうしようもなくなる存在。

火の見ヤグラーを自称するようになってからは
車を走らせながら視界の隅にそれらしき影が飛び込んできただけで
火の見やぐらをその場所に認識することが出来てしまったり、
さらには姿かたちが見えていないのに脳内の火の見やぐらセンサーが急に動き始め、
センサーの反応にしたがって車を走らせると「あ、あった。」となってしまったり。
完全に重度の火の見やぐら中毒にかかった症状が続いて今に至っている状況。

で、ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、何が書きたいのかというと
一度意識が芽生えてしまうと、今まで見えていなかったもの
(正確には“見えていたのに脳が反応していなかったもの”)に対して
意識がしっかりと働いて目に飛び込んで来たものを認識するようになる
ということを、改めて今日思い知らされたという話でして。


先月エントリーした記事のなかで、安曇野市穂高の牧地区に残る
石製の火の見やぐら台柱について記事をしたためました。
2015.01.29.1.JPGimg113.jpg
(2015年1月30日:取り残された火の見やぐらの台柱

その後、透明タペストリーのU1教授が追取材のうえ記事をアップしてくださり、
美麻新行地区の木造火の見やぐらだけでなく
池田町長野市で過去に取材した鉄骨やぐらたちも
足元を石柱で固定したものがあったのを思い出させてもらいました。

そんなわけで台柱(火の見やぐらの脚部を補強固定する柱)が
その牧地区に残された台柱以降なんとなく意識されるようになったわけですが、
明らかにその意識の賜物と言い切っていい出来事が起こってしまったのがこちら。
2015.02.17.shinden1.JPG
この画像、安曇野市豊科の新田地区の国道147号線沿い。
穂高方面から南進すると右手に蔦屋書店豊科店がありますが、その真向かい。
2015.02.17.shinden6.JPG
ブロック塀と電柱や広告塔などに囲まれるようにひっそりと立ち、
蔦のような草に絡まれてしまっている石柱3本。

一番北寄りの柱には「新田消」の文字。
そして南寄りの柱には「大正四年四月建」の文字。
2015.02.17.shinden2.JPG2015.02.17.shinden3.JPG
文字が埋もれてしまっていますが、
新田消防組が大正4年(1915)4月に建設した火の見やぐらの台柱であると考えて
ほぼ間違いないでしょう。(消防組は戦前に存在した、現在の消防団の前身。)

これまでどれだけ車で走ったか分からないほど日常的に使用している生活道路。
火の見やぐらを意識し始めて以降も相当な回数を通過しているはずなのですが、
今までまったくこの台柱の存在に気づくことはありませんでした。
考えてみると牧地区の台柱を取材した日以降、この場所を通過したのは
今日が初めてですね。いやはや、意識というものは恐ろしいものです。

文字の一部が埋もれてしまったのは
道路がここ数十年の間にどんどん高くなってしまった影響と思われます。

目算で背丈はだいたい110~120センチほど。
埋もれてしまった部分を勘案すると、
牧地区で見たものに近いサイズだったのではとも考えられます。

それぞれに開けられているボルト穴はかなり大きく、直径4センチくらいあるでしょうか。
2015.02.17.shinden4.JPG

ここで過去に同じ新田地区の火の見やぐらについて取り上げた
記事の中身について思い出してみました。
(2012年1月7日の記事:豊科成相新田に立つふたつの火の見櫓
2012.01.07.1.JPG2015.02.17.shinden9.JPG
現在の新田地区の火の見やぐらは鉄骨製3脚柱の高層タイプ。
正月には立て御柱と並び立つ姿が有名な一基です。

そしてその記事のなかに古い写真を掲載したのですが、それがこちら。
2015.02.17.shinden10.jpg
おそらくこの画像の木製の火の見やぐらが、この台柱の場所に立っていた子なのでしょう。
(確実な裏付けがないので、あえて“おそらく”としておきます。)

古写真の撮影時期は昭和32年1月16日だそうですが、
先のエントリー記事のなかでこの古写真のことをこのように解説してしまっていました。

「・・・写っている状況から推測して今の火の見櫓とは
道路を挟んだ反対側にあったように感じます。・・・」

この解説は画像に写っている人影の向きなどから推測した結果だったのですが、
それは誤りであったと考えていいでしょう。

仮にこの台柱が古写真の火の見やぐらのものだとすれば、
写真の撮影ポイントと推測される場所から見た現在の景色はこんな感じ。
2015.02.17.shinden8.JPG
残念ながら古写真には脚部の様子が写っておらず裏付け調査もまだなので
100%断定できないですが、自分はもうこれが間違いないと確信しています。
(嘘ついてたらごめんなさい。。。)

******************************
(※2月18日訂正)
古写真について、今回取材した台柱の場所を写したものであろうと記しましたが、
これはそうではなく、もとの新田の火の見やぐらを取材したエントリー記事に
当初記したように、現在の鉄骨やぐらの対面にあった木造やぐらを
撮影したものである公算のほうがどうやら高いようです。
2015.02.17.shinden12.JPG
ということで、いづれにしても確証がないため原文はそのまま残しますが、
いちおう上記の古写真に関する記述内容は一部訂正させて頂きます。
******************************

そして台柱の位置から南方に立つ現在の火の見やぐらを望むとこんな感じです。
2015.02.17.shinden5.JPG
現火の見やぐらは現地に建設年を記した銘板はないのですが、
昭和37年に撮影された空撮写真にその存在が認められるので、
30年代半ばまでには建設されたと考えてよいと思われます。
新旧、木造から鉄骨造へと転換が図られたのだとすれば
台柱に支えられていた古写真の木製火の見やぐらは
鉄骨やぐら建設のタイミングで解体撤去されたと考えるのが妥当でしょう。
仮にそうだとすれば、いま目の前に立つ台柱は50年以上ものあいだ、
誰にも構われることなくこの往来の激しい国道沿いの傍らで
人々から忘れ去られてしまったかのように、じっと静かに佇んでいたことになります。
なんというか、火の見ヤグラーのひとりとしてちょっと切ない気持ちになってきますね。

そしてじつはちょっと気になるのが、台柱の土地に隣接する空き地で
なにかの建設工事が始まる様子であったこと。
台柱のある狭小地の権利関係がどうなっているのかよく分かりませんが、
仮に工事の行われる隣地と一筆であった場合、
台柱そのものが撤去されてしまう可能性も無きにしも非ず。

個人的にはなんとかこの場に留まっていて欲しいと願うばかりですが、
どうなってしまうのかやきもきする日々が続きそうで、悩ましいです。

大正4年といえば、大糸線(当時は民間の信濃鉄道)が開業した年で、
今年はちょうど開業100周年にあたります。
100年前に据えられた火の見やぐらの台柱。
これだけでじゅうぶんな地域の歴史文化遺産だといえるはずなのですが。

あぁ、工事の影響を受けずになんとか残って欲しい。

(取材日:2015年2月17日)




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火の見櫓の再活用案(富士吉田の事例) [火の見櫓(山梨県)]

ネットで火の見櫓の調べごとをしていて、偶々こんなページがヒットしました。
(外部リンク↓)
https://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=4791

これは山梨県富士吉田市HP内にあるまちづくり関連の業務紹介ページで、
同市が慶應義塾などと提携して実施している事業や調査研究成果の報告が
なされているらしく、上記のページでは
富士山富士信仰を活用した観光施策等調査研究」というタイトル
冨士信仰を活かした観光まちづくりについて様々な提言がなされているようです。

その提言について語る前に背景についてちょこっと整理。
そもそもどうしてその提言に気を引かれたかということなのですが。。。
2012.10.16.kamiyoshida1.JPG
これは2年半ほど前に取材した富士吉田市上吉田の火の見やぐらで、
当時の取材記事はこちら

道路跨ぎの火の見やぐらとしてはかなり有名な一基ですが、当時は
公道から公共施設への進入路を跨いでいるという意味程度にしか捉えていませんでした。
また隣接の消防団詰所が工事中ということで柵が在ったため近づくことが出来ず、
またいつか再訪して詳細の取材をしたいなと思っていたのです。
2012.10.16.kamiyoshida4.JPG 2012.10.16.kamiyoshida5.JPG
で、施設(上吉田コミュニティセンター)への進入路、、、
その意味自体はもちろん間違いではないのですが、
もっと大切な役割というものがあったのを知ったのは、ほんのついさっきw

富士吉田といえば日本三奇祭にも数えられる吉田の火祭りが有名。
国の重要無形民俗文化財にも指定され、毎年8月26~27日に実施される
北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社(摂社)両社の秋祭りです。

一連の御神事のなかで神社を出発し街へと繰り出した神輿は御旅所にて一晩過ごしますが、
上述の上吉田コミュニティセンターというのがじつは御旅所になっているのだそうです。
つまり神輿は火の見やぐらの下をくぐって御旅所に入ることになるわけで、
さらにこの火の見やぐらにしつらえられたご神木に張られた注連縄を
神輿の屋根上にいる鳳凰がそのくちばしで切って中へ進むという
大切な神事の一環をこの火の見やぐらが担っているらしいのです。

地元の方はもちろん、有名なお祭なので観光客も多く、
この鳳凰による注連縄切りは祭りのクライマックスのひとつとして
よく知られていることなのでしょうが、自分は今回初めてそんなことを知った次第。

そんな祭りの様子を紹介したHPがあり、そのなかでは
火の見やぐらの足元を神輿がくぐり抜ける様子を映した動画もアップされていました。

祭りのHPはこちら
動画はこちらYotube1Youtube2
mikoshi1.jpg(←動画のキャプチャ)

で、ここで冒頭の市のHPの話に戻ります。
先頭に張った直リンクは平成23年の「富士山駅」誕生を機会に、
富士吉田市商工会議所と慶應義塾大学SFC研究所が連携し、
富士山駅を中心とした「富士山観光の拠点づくり」の実行に向けた
調査研究の成果をまとめた報告書がPDFファイルにて公開されているものです。

当然ながらここでは火祭りの舞台としてのまちのあり方も研究されているわけですが、
なかではこの上吉田の火の見やぐらもまちづくりのキーポイントの一部として扱われており、
御旅所と御幸道という祭りの重要な拠点の一角をなすものとして
火の見やぐらを含めた修景の必要性と活用が提案されています。

火の見やぐらそのものの紹介も簡単にされていまして、
「昭和30年代初頭に建設された上吉田の火の見やぐらは足を大きく開いた独特の形をしている。
これは火祭りのときにやぐらの下を御神輿が通れるようにしたためである。」とあります。
(平成25年度調査報告書1の10ページ、火の見やぐらの紹介文より)

つまり、ただの乗用車の通路というだけではなかったということですね。

過去年度の報告書も併せて公開されているのですが、
こちらのほうが火の見やぐらについてはより積極的な提案が見られ、
平成24年度実績1(PDF)の23ページ目では「復活!火の見櫓!」と題して
富士吉田の重要なイベントで鐘を鳴らすなどを提案されています。
火の見やぐらを活用する理由として、
その歴史的価値や形態は観光客にも住民にとっても
まちのシンボルとして意識されうるとしており、その効果を
まちにとって重要なイベントがあることを知らせることができることから、
歴史的資源が実際にまちで使われ生きた資源になると指摘しています。

提言から2年ほど経過してきたなかでこれらが実際にどこまで具現化されているか否か、
今の時点ではよく分かりませんが、少なくとも火の見やぐらについてここまで
まちづくりの重要な構成要素として提言に組み込まれた事例は、
全国的に見てもかなり珍しいのではないでしょうか。

鐘を鳴らす観光イベントの提言などは安全管理上
現実問題として実現の難しい側面もあるかと思いますし、
えてしてこうした類の提言書は提言が出た時点で目的達成感が出てきてしまい
具体的な活動に結びつくことが少なかったりすることもあるのですが、
この上吉田の事例の場合は町をあげて取り組む有名な祭りの舞台でもあることですし、
御旅所周辺の環境整備もたしかに必要性を感じていることでしょうから、
将来的にみても火の見やぐらが有効活用される道がかなり開けていると
考えてもいいのではないでしょうか。

特殊な事例であるには違いないとはいえ、それでも全国各地の火の見やぐらの
保全と活用にたいして有益な参考事例となるだろうと考えます。
まちの重要なイベントの際に鐘を鳴らすというのは、そう難しい話ではないですからね。
(防災運用上の制約があるのか否かについてはよく知らぬまま書いていますが。)
穂高町に立つ火の見やぐらでもちょっと可能性を探ってみたいなとも思ってみたり。

それにしても、吉田の火祭り。
画像や動画を見ていたら、火の見やぐらを神輿がくぐる名場面を
どうしても見たくなって来ました。今年の夏、行けるかなぁ?
2012.10.16.kamiyoshida2.JPG

(画像撮影日:2012年10月16日)




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集落の小さなお宮 [狛犬・寺社(安曇野市)]

昨年春の取材ネタを忘れていたので今頃、、、しかも、狛犬いません。
記事だけは当時書き終えていたのですけどね。
なんとなく、取材ネタの在庫処分的感覚w


長野県安曇野市豊科、上鳥羽の三輪神社。
2014.05.03.miwa1.JPG
上鳥羽の産土神はほかに諏訪神社が存在するのですが、
諏訪神社が集落西外れの国道以西に在るのに対し、
三輪神社同地区の集落に近い位置で鎮座しています。

細長い境内は小さく、社殿がポツンと建っているのみですが、
鎮守の森はきちんと存在して神域をしっかり守っている様子です。
2014.05.03.miwa2.JPG
こういう小さな鎮守様に小さな狛犬なんかいたら最高なのですが、
残念ながら未知との遭遇は叶いませんでした。

撮影日:2014年5月3日)


より大きな地図で 狛犬(長野県安曇野市) を表示
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大阪府最古のブロンズ狛犬 [狛犬・寺社(大阪府)]

大阪市中央区淡路町、御霊神社。
2014.12.13.goryou1.JPG
船場など大阪の中心市街地の一角をなす旧攝津国津村郷の産土神として
古くから信仰を集めていた神社。

周囲は高層ビルも立ち並ぶオフィス街で、御堂筋の淀屋橋からも程近い位置に鎮座。
同社は近年ではこの南鳥居で有名なのだそうで。
2014.12.13.goryou3.JPG
境内の南側に隣接するオフィスビルの正面、公道上にでんと構える石の鳥居。
かつて境内がいまよりもっと広くあった頃の名残だそうで。
今は境内も縮小し鳥居だけがそのまま残されたということらしいのですが。。。

何コレ珍百景にも登場したらしいですけど、さもありなんですね。

同社のご祭神は、
天照大神荒魂 (瀬織津比売神)
津布良彦神 (旧攝津国津村郷の産土神)
津布良媛神 (旧攝津国津村郷の産土神)
応神天皇 (広幡八幡大神)
源正霊神 (鎌倉権五郎景政公霊)

瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神を祀る圓(つぶら)神祠という古名に始まり、
800年代後半の創建とされています。
豊臣秀吉の大坂居城と共に政治経済の中心地にたつ神社として発展。
諸大名の崇敬も厚く什器の寄進も相次ぐなか、石州津和野藩の祖亀井茲矩候が
邸地を割いて寄進。文禄3(1594)年に境内の小祠乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀して
圓江(現在の靭)から現在地に鎮座しました。
寛文年間に御霊神社と改称、元禄9(1696)年に御霊大明神と御贈号、
宝暦3(1753)年九月正一位の神階を授けられました。
明治6(1873)年に郷社に昇格。大正2(1913)年府社。
2014.12.13.goryou2.JPG

鳥居をくぐるとすぐに青銅製の狛犬が出迎えてくれます。
2014.12.13.goryou4.JPG2014.12.13.goryou5.JPG
作者:大谷相模掾藤原正次。
制作年は台座の銘文によれば元和年間とされていますが、
同社のHPでは元和元(1615)年との記載があります。
2014.12.13.goryou6.JPG2014.12.13.goryou7.JPG
いづれにせよ、出回っている情報によれば現存する大阪府内の
ブロンズ製狛犬としては最古というのが定説になっているようですね。
2014.12.13.goryou10.JPG2014.12.13.goryou11.JPG
2014.12.13.goryou8.JPG2014.12.13.goryou9.JPG
古くからの神社の神殿に鎮座する神殿狛犬によく見られるデザインを踏襲しており、
吽形にはちゃんと角もあって、獅子狛犬の様式が守られています。

ブロンズとはいえ江戸初期制作のわりに保存状態がよさげに見えますが、
台座の銘文によればもとは拝殿前に据えられていたそうですから、
あるいは屋根のかかったところにあったのかもしれません。
2014.12.13.goryou12.JPG2014.12.13.goryou13.JPG
2014.12.13.goryou14.JPG2014.12.13.goryou15.JPG
また太平洋戦争時の金属供出が求められた時代にあっては
関が原以前の作品と同じ扱いで供出免除がなされ、
戦後は神庫にて保管されて続けていたそうです。
現在の場所に復活したのは昭和46(1971)年2月11日のこと。
台座はそのときに新たに制作されたものだそうです。

ブロンズ狛犬の多くが戦争参加のため出征(?)していったなか、
かろうじて生き残った貴重な遺産ですね。
これからも大事にされていってほしいものです。
2014.12.13.goryou16.JPG

参道の右手に東宮と社務所。
2014.12.13.goryou17.JPG2014.12.13.goryou20.JPG

左手に儀式殿。
2014.12.13.goryou18.JPG

拝殿。
2014.12.13.goryou19.JPG

戦時の大空襲によりそれまでの社殿はすべて焼失したため、
今見られるのは戦後の再建ということになります。

拝殿の傍らに松ノ木神社。
2014.12.13.goryou21.JPG
2014.12.13.goryou22.JPG2014.12.13.goryou23.JPG

境内の裏手から出て振り返ると周囲をビル群に囲まれ
都会の神社であることを改めて実感させられます。
2014.12.13.goryou25.JPG
東京都心の神社でも実感したことですが、
オフィス街の一角に緑のある境内は聖域であるのと同時に
いこいの広場でもあって居心地よい空間とも思えるのですが、
やはりビル群に囲まれた神社の風景というのはどうしても違和感が拭えななくて。
今のご時世、仕方ない面もあるのは承知しているつもりなのですが。。。
2014.12.13.goryou24.JPG

御霊神社、公式HP

(取材日:2014年12月13日)




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上伊那の火の見やぐら講座に参加してみた [その他]

伊那市で火の見やぐらに関する講座が開かれるとの情報を得て、
今日はずっと仕事の予定でしたがなんとか都合をつけて行ってきました。

伊那市立図書館が主催(?)する伊那谷自由雑学大学の講座の一環らしく、
「千差万別 変幻自在 火の見やぐら このディープな世界」という物々しい(?)タイトル。
2015.02.01.1.JPG
講師は地元伊那市の牧田豊氏。
10年ほど前から火の見やぐらに魅せられて以来、上伊那地区のやぐらを中心に
各地の火の見やぐらを取材して自分なりの分析分類を行っているそうで、
その研究の成果の発表を画像で紹介しながら披露されていました。
火の見やぐらに没頭したことを、病気にかかったと表現されているのは共感ですねw
2015.02.01.2.JPG
タイトルにもあるように火の見やぐらはそれ自体がじつにさまざまな個性を持っていて
誤解を恐れずにいえば「みんなちがってみんないい」というのが火の見やぐらの世界観。
ということで、そのみんなちがってなんちゃらを見る側の視点に置き換えてみても、
ヤグラーの数だけその楽しみ方のパターンが存在するといっても過言ではないはず。

たとえば講師の方の場合は全体デザインのパターンによって類型分類されていて、
それぞれに第一発見ポイントの地名を型名に名付けるなど
ユニークな分類法を楽しんでいらっしゃる様子。
もっとも、類型をまとめるには火の見やぐらはあまりに個性があり過ぎるので、
現状の類型はゆうに30を超えているとのこと。
おそらくこれからも初見のデザインがどんどん増えていくでしょうけれど、
類型整理もけっこう苦労するのではないかと、他人事ながら心配にもなります。

なんにしても、氏はこれまでに500基近くの火の見やぐらを取材されているらしく、
地元だけでなく遠くは青森県まで行かれているところをみると
氏の火の見やぐらへの強い愛情がひしひしと感じられるというものです(^^)

また講座を終えたあとで挨拶かたがた立ち話をさせて頂いたのですが、
火の見やぐらは貴重な文化遺産だという氏の考えには同感するところ大でした。

講座のなかでは穂高町の黒部ダムやぐらも紹介して頂いたのが嬉しかったですね。
(これ↓)
2015.02.01.4.JPG
過去エントリー記事1.2013年9月2日
過去エントリー記事2.2014年3月9日

今回の講座参加者はおそらく伊那市と周辺にお住まいの方が殆どだったでしょうが、
こうして各地で火の見やぐらに関する講座などが開催されることで
わずかずつでも一般市民への啓蒙が進んでくれればいいなと思った次第。

フェイスブックにて火の見やぐらの情報共有ページがあるということなので、
自分も参加して楽しませてもらうことにしました。
自分やU1教授が火の見やぐら講座を開いた際も受講参加者は多数でした。
どの地域でも火の見ヤグラーとその予備軍は相当数居るのかもしれませんね。
そんなことを感じさせてくれる、楽しい講座のひとときでした。

下の画像は講座からの帰り道、三州街道沿いで見かけた火の見やぐら。
火の用心のイルミネーション、ほっこりしますね。
2015.02.01.3.JPG
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摂津国一ノ宮、住吉大社 [狛犬・寺社(大阪府)]

大阪市住吉区住吉、住吉大社。
2014.12.13.sumiyoshi1.JPG
大阪のみならず全国規模で超有名な同社。
最近ではNHKの連ドラ「マッサン」のロケ地としても有名、
毎年の初詣には200万人規模の参拝客が訪れるというビッグな神社ですね。
いまさら詳しい解説をここでする必要もないと思いますが、いちおう簡単に概略のみ。

式内社の名神大、摂津国一ノ宮、二十二社の中七社、官幣大社、別表神社。

主祭神:
第一本宮:底筒男命 (そこつつのをのみこと)
第二本宮:中筒男命 (なかつつのをのみこと)
第三本宮:表筒男命 (うはつつのをのみこと)
第四本宮:息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)
四柱の神様を総称して住吉大神とされ、海の神様として信仰され、
とくに第一~第三は住吉三神と総称することもあります。

あと、詳しくは同社の公式HPにてどうぞ。
住吉大社HP

取材は大阪へ他の用事で出てきたついででした。
早朝の自由時間の合間に急いで駆けつけたので撮影し忘れも結構あった模様。
以下、撮影できた狛犬および境内の様子を順に紹介します。

同社は南海本線住吉大社駅の東側に鎮座しますが、
同駅西側の住吉公園入り口にあたるばしょに大きな狛犬が一対います。
2014.12.13.sumiyoshi2.JPG
2014.12.13.sumiyoshi3.JPG2014.12.13.sumiyoshi4.JPG
狛犬は公園の内側に顔を向けて座っているのですが
神社そのものは画像の向こう側、南海の高架をくぐった先にあるのでこの据え方。
というか、住吉公園の通路そのものがすでに参道ということなのでしょうかね。
2014.12.13.sumiyoshi5.JPG2014.12.13.sumiyoshi6.JPG
昭和52(1977)年10月復元の岡崎現代型。
情報によると、もともと同社大鳥居前に出雲丹後型の狛犬がいたそうですが、
それが昭和12年に住吉公園に移設されたものの、風化が激しくなりやむなく撤去、
その後あらためて現在の狛犬を奉献したのだそうです。
奉献主は(財)住吉名勝保存会。
2014.12.13.sumiyoshi7.JPG
台座はもとあった出雲丹後のものそのままの模様で、
「嘉永2己酉年4月吉日再建」とあります。
嘉永に再建ということは、その当時の出雲丹後の前にも狛犬が
いたということになるのでしょうかね。

住吉大社は数多くの燈篭が奉献されていることでも有名で、
同社HPによれば約600基存在するそうで、文化財指定されているものもあるようです。
2014.12.13.sumiyoshi11.JPG2014.12.13.sumiyoshi12.JPG
2014.12.13.sumiyoshi13.JPG
2014.12.13.sumiyoshi9.JPG2014.12.13.sumiyoshi10.JPG
参道沿いにも燈篭の解説案内板が用意されていました。
2014.12.13.sumiyoshi8.JPG

さて、ようやく境内に入ると早速鳥居前に狛犬一対。
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昭和12(1937)年4月建立。
かなり大型の岡崎古代型。
石工は昭和初期の岡崎の石工、杉浦磯次郎。
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上述の住吉公園にいる岡崎現代型の先代にあたる出雲がもといた場所というのが
この現在の岡崎古代型が今いる場所になるのだそうです。
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ここから境内に足を進め、両側に絵馬殿。
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そのすぐ先に浪速の名橋50選にも選ばれている反橋があり、
次の狛犬がそのたもとに鎮座しています。
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元文元(1736)丙辰年6月吉日建立。
江戸中期の石造参道狛犬としては比較的大きめかなと思われます。
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近世後期から近代にかけて見られる浪速型とは少し趣の異なるデザインという印象。
関西の狛犬研究の大家、小寺慶昭氏は浪速式住吉型狛犬と括っています。

彫ったのは男里屋市兵衛という堺の石工とのこと。
そしてこの狛犬たちをベースに類型の石造狛犬が制作されていったそうです。

吽形の頭にはしっかり角があります。
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正面からみるとやや手前に前傾しているのが分かります。
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石造参道狛犬のさきがけともいえる時代に作られたもののわりには
しっかりと作りこまれているというか、石工の腕の良さが感じられます。
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一部では大阪府でもっとも古い参道狛犬との表現も見られるようですが、
現在参道にて見られる狛犬としては中央区の御霊神社の元和元(1615)年の狛犬がいます。
これはブロンズ製なので石造狛犬という括りでは別といえるかもしれませんが、
他の情報では西淀川区の田蓑神社にいる狛犬は元禄15(1702)年制作であるらしく、
同年代のものは私の知り限りではそれ以外に情報は出回っていない様子ですので、
府下では2番目に古い石造の参道狛犬という括りが適切な表現になるかもしれません。
それすら、甚だ不確定なものではありますが。
(田蓑神社のほうは参道というより本殿前にあるため参道狛犬の括りではないとする見解あり。
また年代に比して良好な状態からして元は神殿内に据えられていたのではないかとする
意見もあるようです。)
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狛犬を過ぎ、淀君が寄進したという反橋を渡って珍しい角鳥居の正面に。
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柱の断面が丸ではなく角形。
ありそうで、意外とあまり見かけないタイプなんですよね。

住吉大社の神使はウサギということで、手水舎の給水口もウサギさん。
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境内奥に進むと、目の前に国宝の本殿4殿が堂々たち並んでいました。
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国宝なのに間近で見られるのはいいですね。
とくに住吉造の神殿は普段あまり目にする機会がないので。

御文庫。
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住吉大社は楠の巨木が有名ですね。
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摂社の船玉神社の社殿前に狛犬が一対います。
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文化13(1816)子年3月吉日建立。
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ほぼ200歳になる子達はまだしっかりしていますが、
前脚に剥離やヒビが見られて今後がちょっと心配です。

吽形には角あり。
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角というよりちょん髷に近いような、前後にやや長めかなと。
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場所を移動していると、境内にある公衆電話ボックスに遭遇。
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電話ボックス自体があまり見かけなくなってしまった昨今、
社殿を模したこのデザインは非常に貴重ではなかろうかと。
他の大きな神社とかでもこんな感じのがあるんですかね?
自分は見たのは初めてです。

境内の北西入口にあたる場所、鳥居前にいるのは陶器製狛犬。
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岡山備前焼の狛犬ですが、備前の子はだいたい顔つきや体格も
似通った感じになりますね。陶器製では仕方ない面もありますが。
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台座には「慶應二季年丙寅正月」の文字が記されていますが、
本体には「明治2年己巳8月」とあります。
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本体より台座のほうが年代が古いというと、どう解釈すればいいのか。
台座だけ幕末に設け、本体の制作が遅れたため明治になってしまった、
ということも、幕末の動乱のさなかということで考えられなくもないですが。
あるいは慶應2年の時点で奉献されていた別の狛犬が
なんらかの事情で無くなってしまい、代わりに現在の子たちが奉献されたか。
しかし台座に見られる奉献主には「備前岡山有志」の文字も見られますし、
最初からこの子たちが奉献されていたとするのが自然な感じもします。
やはり台座制作と本体完成設置にタイムラグがあったするのが正解かもしれません。

住吉大社は大きいのでいくつもの入口があり、
西側の阪堺線が走る街道に面した鳥居の前にも一対。
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自分としては久しぶりに見る東大寺型です。
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建立年について、台座の銘文にこんなのがありました。
「明治廿九(1896)年二月吉日
寄附 船主
五世 廣瀬二三郎應晴
昭和十八(1943)年二月吉日
銅鐡獻納ノ為石彫ヲ以テ再建
六世 廣瀬二三郎應敬」
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つまり明治期にブロンズの狛犬を奉献したものの、
戦時の金属供出で失ってしまったので、代わりに石造で再奉献したという話の模様。

この狛犬についてはComa-たんさく人さんのサイト“探訪狛犬発信奈良から”によれば
もとは本殿前に先代の狛犬が据えられていた様子です。
供出された折に改めて現在地に二代目が据えられたのか、
あるいは先代の時点ですでに現在地に移設されていたのかは分かりませんが、
狛犬にも歴史あり、の興味深い一例ですね。
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で、時間もそろそろなくなってきたので滞在先のホテルに戻ろうとしたところ、
大通りから伸びる裏路地の突き当たりに狛犬の姿が見えてしまったのでw
制限時間無視して慌てて行ってみることに。

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住吉大社の摂社、大海神社の狛犬でした。

神社のご祭神は豊玉彦命と豊玉姫命。
拝殿は重要文化財指定。
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文化7(1810)庚年4月吉日建立。
海の神様の社ということで、やはり奉献主も備中惣舩中となっています。
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200年以上前の砂岩製ということで風化による損傷が目立つのが残念です。
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以上、今回取材した住吉大社の狛犬たちの様子でした。
ほかに木造の神殿狛犬が居るなど取材漏れもけっこうあった模様。
回りきれなかった摂末社も多いので、またいつか大阪に出ることがあれば
時間をつくって立ち寄れればと思います。

それでもやたらと長いエントリー記事になってしまいましたがw

(取材日:2014年12月13日)


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