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取り残された火の見やぐらの台柱 [火の見櫓(安曇野市)]

ある調べごとで穂高町石造文化財の資料本を見ていたところ、
ひとつの写真が目に留まりました。それがこれ。
img113.jpg
タイトルに「その他(火の見櫓台柱) 昭和32年」とあります。
火の見櫓台柱というのはかつて火の見櫓が木造であった頃、
その足元を固めるために用いられていた、いわば基礎のようなもの。

現存する木造火の見やぐらで同類の台柱を用いた事例で有名なものとしては
大町市美麻、新行地区に残る木造火の見やぐらがあります。
2015.01.29.6.JPG
このところの火の見やぐら啓蒙活動の一環で新聞に採り上げてもらったり、
TVニュース番組の火の見やぐら特集で紹介してもらったりしている同やぐらは
地元新行地区の住民によって大切に守られてきた、地域の防災記念碑の
意味合いが強いシンボルタワーとなっています。
過去エントリー記事1
過去エントリー記事2

その新行地区の火の見やぐらの台柱に刻まれた建立年は大正15年(1926)4月。
それに対し、今回見つけた写真の台柱は昭和32年(1957)11月と刻まれています。

木造タワー型の火の見やぐらは基本的に戦前のものというのが一般的イメージで、
戦後の火の見櫓の多くが鉄骨造であろうという感覚が無きにしも非ずなのですが、
鉄骨造の火の見やぐらも戦後で普及を始めるのは昭和30年代になってから。
物資不足の戦後の混乱期を経て社会が落ち着きを取り戻し、
頑強な鉄骨造が出回るまではまだ木造火の見やぐらで対応していた事例も
決して少なくなかったのかもしれません。

ということで、資料の写真の場所を見つけるべく、さっそく現地に行ってみました。
場所は安曇野市穂高牧の荒神堂地区。
広域農道の穂高大橋北詰の交差点を西に入り、山麓に向かって走る途中
荒神堂の集落エリアに入る直前の交差点脇にありました。
2015.01.29.2.JPG
集落から見ると標高の低い側にあたるのですが、
荒神堂地区を含めた牧地区のメインになる火の見やぐらはここより標高の高い
山麓線沿いに立っているので、ここの櫓は中継塔のような役割があったのかもしれません。

が・・・・・・

左が現地のいまの様子なのですが。
2015.01.29.1.JPGimg113.jpg
なんということでしょう!(←劇的ビフォアアフターのナレーション風)
残念ながら残存している柱は一基のみとなっていて、
三基のうちの二基は撤去されてしまっていました。

道路状況を見ると近年に下水道敷設工事をしたような感じなので、
その際三基のうち二基の台柱が邪魔になってしまったのでしょうか。
撤去された二基のうち一基には「穂高町消防団」の文字が刻まれていたようですが、
いまは写真左側の建立年の文字を刻んだ柱が立つのみで、
知らない人がこれを見たらいったい何物なのか分からないでしょう。
似たような形状で神社の祭りで使用する幟立柱がありますが、
幟立は通常二基一対で使用されるので、一基だけ残置されている状態では
幟立柱だろうと考える人も少ないのではと思います。
2015.01.29.3.JPG2015.01.29.4.JPG

資料によれば寸法はH170×巾22×30cmと記載がありました。
新行の火の見やぐらの台柱も人の背丈ほどの高さが在りましたから、
この荒神堂の火の見やぐらも同等の高さがあったのではないかと推測できなくもないです。
2015.01.29.7.JPG
地域住民に取材をかければ、あるいは火の見やぐらの立っていた当時の写真など
画像資料が見つかるかもしれないですね。機会を見つけて探してみたいと思います。

それにしても、三基のうち二基まで撤去しておきながら
一基のみ現地にそのまま残したことになにか意味があったのかどうか。
おそらく工事業者が邪魔になる二基だけ撤去するという市や地区との取り決めのなかで
その通りに実施しただけだろうとは思うのですが、現状を見ると不自然な感が否めません。
あるいは背後にゴミステーションが設置されていることに絡みがあるのか。
はたまた、道路やゴミステーションの邪魔でなければと、せめて一基だけでも残して
ここに火の見やぐらがあった記念碑的な意味合いを持たせようとしたのかもしれません。
(真実の分からない今のところは、そういうふうに好意的に考えることにします。)

冒頭の石造文化財の資料は旧穂高町時代の平成6年に編纂されています。
そこに掲載された写真ですでに火の見やぐらが存在していないということは、
木造のやぐら本体は昭和後期~平成初年にかけて撤去されたということでしょう。
背景は安曇野の大地の向こうに北アルプスの峰々が一望できる絶好のロケーション。
2015.01.29.5.JPG
もし今でもここに木造の火の見やぐらが残されていたとすれば、
新行の火の見やぐらにも劣らない素晴らしい景観要素になりえたことでしょうね。
なんとも惜しいことです。

現地を訪れただけではすべての疑問が解消されないので、
また新たな情報や手がかりが得られれば、続報を入れたいと思います。

(取材日:2015年1月29日)




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