So-net無料ブログ作成
検索選択

黒部ダム建設現場からやって来た火の見櫓 [火の見櫓(安曇野市)]

(※以下の記事には追加情報があります。また本記事は追加情報を得た時点で
一部に誤りのあることが判明しましたが、ここでは元のまま残し、
追加情報を得たのちの記事において加筆訂正を行っています。
追記事のリンク先については最下段をご覧ください。)

*************************

今回は北東北シリーズを一回休みにして。。。

安曇野市穂高、穂高町の火の見櫓。
2011.03.13.hotaka3.JPG

とっくの昔に記事エントリーしたと思い込んでいたら、
じつはまだアップしていなかったという。
このブログのヘッドの画像にも使っているくらいで
けっこうお気に入りな櫓のひとつなはずなのに、
なんという不覚。。。

というわけで今回初めて取り上げますが、なんでこのタイミングかというと
今日の昼、この火の見櫓建設の経緯について
当時を知る方に取材する機会を得ることが出来まして。

お話を聞くことが出来たのは当時消防団員として活躍されていた方おふたり。
2013.09.02.hotaka8.JPG

この火の見櫓、形も“ずんっ”といったどっしりタイプなのもさることながら、
踊り場に小屋が付属しているという他では見かけない特徴を持っています。
2011.11.09.hotaka2.JPG
一段目の踊り場から小屋の踊り場までは梯子ではなく階段で上り下りできるように
なっている点なども、他ではあまり見かけない珍しい特徴です。
2011.09.18.hotaka5.JPG

背丈もかなり高層の部類に入るため、まちなかにありながらも
建物の合間から塔頂部が垣間見えたり、けっこう目立つ存在なのですが、
この火の見櫓、じつはあの黒部ダムの建設現場で使用されていた監視塔で、
工事完了後にお荷物状態で行き場を失っていた櫓だったところが
穂高町へ払い下げてもらい、火の見櫓として活用されることになったという
波乱万丈(??)の人生を送ってきた櫓と、以前から聞かされてきました。

これまでその話には裏づけがなくて、「そうらしいよ」という域を出なかったのですが、
今日当時の団員(副団長)だった方の証言から、それがようやく確かな話として
自信を持って世に広めることができるようになった次第(←おおげさ?)。

今年は黒部ダム完成から50周年ということから分かるように、
ダム竣工は昭和38年(1963)。
当時、大町市から扇沢方面へと向かう途中(のどこか)にあった建設資材置き場。
そこの監視塔としてこの櫓は活躍していたそうです。
ダム工事が終わり、資材も順次引き上げて行ったあと、
最後にこの櫓が取り残され、工事関係者もどうにか引き取り先はないものか、
と探していたのではないかと思うのですが、そんな折、老朽化した古い木造の火の見櫓を
建て直す機運が出ていた穂高町の消防団に話が持ち込まれ、それならばと
この監視塔の櫓を払い下げてもらい、町の火の見櫓とすることに決まったらしいです。
(※追記あり↓)

私はこの火の見櫓が黒部ダム現場(正確には資材置き場)から来たという話を知ったとき、
監視塔として使われていたのはじつは小屋のあるところまでで、
そこから上部は穂高に来てから増設されたものだとばかり思い込んでいました。
2011.03.13.hotaka4.JPG
ところが今日の取材によれば、この最上部の梯子で登る櫓部分も
監視塔の一部だったことがわかり、背の高い櫓を分割して移送し、
穂高で地面に横たえた状態で溶接結合し直し、脚元をずらしながら
ロープで引っ張って建て込みしたということらしいです。
穂高町あたりではまだクレーンを使うという時代ではなかったようです。

2013.09.02.hotaka6.jpg
竣工記念写真には、「警鐘楼建設記念 昭和42年2月12日」とあります。
穂高で火の見櫓として再生されてから、現在で46年余りということになりますね。

2013.09.02.hotaka7.jpg
ちなみに当時の画像には踊り場の小屋が存在していませんが、
これは解体移設の際にいったん撤去したためらしく、
このあとすぐに小屋は元通りに建て込みされたそうです。
つまり、半鐘を除いてほぼ現在わたしたちが目にしているままの姿が
黒部ダム現場(の、資材置き場)で立っていたということなのですね。
(階段の下部と昇降口の梯子の設置方向が、現在は一部変更されていますが。)
2011.09.18.hotaka1.JPG

デザインが他に類を見ないオリジナルなものなら
その生き様もまさに唯一無二の存在ともいえる、穂高町の火の見櫓。
町の安全遺産でありシンボルタワーでもあるこの櫓が
この先も末長くこの地にあり続けてほしいと心から願ってやみません。

安曇野市で火の見櫓解体撤去の嵐が吹き荒れる前に
文化財指定とすることも推進しなくてはいけないと真剣に考える今日この頃です。

最後に、
本日の取材に対し、快く応じて下さいました元消防団員のI様とF様。
そしてこの取材のセッティングに骨を折って頂いた、
安曇野市安曇野ブランド推進室のT氏に心から感謝いたしますm(__)m

(取材日:2013年9月2日)
((撮影日:2011年3月13日、9月18日、11月9日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示

(※追記)
平成26年3月9日、この火の見櫓の出自について新しい情報が得られました。
今回の記載内容に一部誤りもあり、その加筆訂正もありますので、
別エントリーで続報としてアップした記事もご覧ください。
http://koma-yagura.blog.so-net.ne.jp/2014-03-09

コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

コメント 2

U1

火の見櫓にもそれぞれ「物語」があるのですね。
きちんと取材をしてその物語を掘りおこすことが理想ですね。
東北の火の見櫓と狛犬巡りの記事を楽しみにしています。
by U1 (2013-09-08 18:41) 

のぶさん

>U1さん、こんにちは。
コメント有難うございます。
今回、運よく当時を知る方々から話を伺うことができてよかったです。
火の見櫓も狛犬も、経緯のわかる文献資料が極端に少ないので、
口伝がより重要になりますね。
東北ツアーの記事は忙しくてなかなか前に進みませんが、
10月いっぱいくらいにはなんとか終えたいと考えています。

次回のミニミニ講座、狛犬の第二弾をさせて頂くことが決まりました。
11月の第四土曜日です。よろしくお願いします(^^)v
by のぶさん (2013-09-09 07:11) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。