So-net無料ブログ作成
検索選択

安曇野で(たぶん…)いちばんの古株 [狛犬・寺社(安曇野市)]

ブログのヘッダーに使用している画像はこれまでに出会った狛犬と火の見櫓たち。
このうち中下の阿吽で載せてあるのは穂高神社に居る狛犬ですが、
何を隠そう、この狛犬こそが私を狛犬愛好家(もしくはコマラー)
の道に引きずり込んだ張本人(張本犬?)でして。

数年前に“第8回ふるさとウォッチングin安曇野”のコースが穂高のまちなかに決まり、
その下調べとして穂高神社に足を運んだ時のこと。
2013.01.13.wakamiya14.JPG
普段はゆったり参拝したことのなかった境内摂社をじっくりひと通り巡ったとき、
若宮社の前で鎮座していたこの狛犬一対と初めてまともに対面。
2013.01.13.wakamiya13.JPG
このときの、控えめな、それでいて強烈な個性を発していた一対に
たちまに魅了されてしまいまして。
2013.01.13.wakamiya1.JPG2013.01.13.wakamiya2.JPG
まるで、“やっと来たね。ようおいでなさんし。”と、言葉をかけられたかのようで。

以来、各地の神社を訪れた際には狛犬の様子が気になって仕方がなくなり、
ついには狛犬を追い求めて全国各地へ旅行を始めるような始末となってしまいました。
いやはや、なんとも罪つくりな狛犬ですwww

閑話休題。

明和6年(1769)己丑4月14日建立。
2013.01.13.wakamiya3.JPG2013.01.13.wakamiya4.JPG
明治期以降に建立されているものが大半を占める安曇野市内の
他の“参道狛犬”と比較して、この一対は圧倒的な古さを誇っています。
すべての神社を調査し終えた訳ではないので、あえて断定は避けますが、
おそらくは安曇野界隈でもっとも古い“参道狛犬”であろうと思います。
(神殿狛犬で古いのは潮神明宮の室町期制作のものなどがありますね。)

全体として素朴なつくりとはいえ、江戸中期の作品ということもあり、
“はじめちゃん”に分類分けするには少しサイズが大きめという印象も。
安土桃山以前から江戸初期にかけて制作された“はじめちゃん”の時代を経て、
狛犬が一般に普及を始めた、まさにその初期段階の代表作といっていいかも。
素朴ななかにも阿吽で鬣のデザインを変えているあたり、作者のこだわりも垣間見られます。
2013.01.13.wakamiya15.JPG2013.01.13.wakamiya16.JPG
ただし残念ながら、吽形の顔は磨耗がかなり進行してしまっています。
年代が古いのと、材質が砂岩系のようであるためでしょうが、惜しいです。

また古文書の記載によれば、これは地元ではなく江戸の町で作られ、
手車に乗せてこの穂高の地まで運ばれてきたという話。

阿吽ともに前足の股が刳り抜かれていません。
江戸中期およびそれ以前に制作された狛犬には時折みかけるスタイルですが、
股を刳り抜くと前足が作品のなかでもっとも細い部位となり、
江戸から穂高まで何十里という道を手車で運ぶことを考えると
輸送途中になにかの弾みで前足が折れてしまうことも想定した上で
このような納め方に仕上たのではないかと、私的には推測したりもしています。

いっぽう、上のほうに目を向けると、阿吽とも頭のてっぺんに穴が。
2013.01.13.wakamiya9.JPG2013.01.13.wakamiya10.JPG
これも江戸中期頃の狛犬では幾例か同じようなデザインがありますが、
時代的な特徴、または当時の江戸で流行した技法だったのかもしれません。
諸説あるなか、狛犬としての角を後で付け足すためのものではないか、
というのが、もっともらしく語られている理由のひとつのようですが、どうなんでしょうね?

尾も鬣同様に阿吽でデザインを変えています。
2013.01.13.wakamiya5.JPG2013.01.13.wakamiya6.JPG

明和6年という建立年は吽形の台座正面に記されていて、
2013.01.13.wakamiya8.JPG
一方の阿形の正面には奉献者の名前が残されています。
2013.01.13.wakamiya7.JPG
“献主 東都深川井口郡有”

実際には“井”の文字付近が欠損しているので読みづらいのですが、
井口郡有その人であるのは間違いないところ。

この御仁、井口郡有は地元穂高(当時の保高宿)出身で享保7年(1722)生まれ。
12歳という若さ(幼さ?)で江戸に出て商いの道に入り、
幕府の事業を引き受けるなどして莫大な財を成す豪商になった、
商才溢れる人だったそうです。

郷里の穂高神社に狛犬を奉献するに至る経緯を私は詳しく知りませんが、
氏神さまに対する奉恩の気持ちが強い人だったとも伝わっているので、
自分を大きく育ててくれた御礼の気持ちを狛犬奉献に託したのかもしれませんね。

建立年月日の明和6年4月14日にも意味があります。
狛犬などは大抵の場合、その神社の祭典日に合わせて建立奉納されたりします。
穂高神社の例大祭“御船祭り”は毎年9月27日で旧暦の時代でも時期が異なりますが、
明和6年は実は式年遷宮の年にあたり、狛犬はそれに合わせた奉納だと考えられています。
新暦で5月に執り行われる遷宮祭も旧暦では4月に実施されていて、
4月に3回ある寅の日のうち“中の寅の日”の“寅の刻(午前3時)”に行われていたそうです。
つまり明和6年の4月14日は、中の寅の日だったということですね。

ちなみにこの狛犬たちはもともと大鳥居の前に鎮座していたのですが、
昭和15年(1940)、穂高神社が国幣小社になった折に
現在地である若宮社前に移動したそうです。
元の居た場所には、現在では皇紀2600年生まれの護国神社系の大型狛犬が
“フンッ”と鼻息も荒く(?)、ふんぞり返って鎮座しております。
2013.01.13.wakamiya11.JPG2013.01.13.wakamiya12.JPG

狛犬に歴史あり。
奉献主にもそれぞれ歴史があってのことですからね。
見てくれだけのことではなく、そんな歴史の一端を垣間見ながら
狛犬探訪をこれからも続けたいと思う次第です。

(撮影日:2012年5月15日、社殿と護国型狛犬は2010年2月18日)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。