So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

火の見やぐら建設の記録動画(続報) [火の見櫓(安曇野市)]

前エントリーで記事にした火の見やぐら建設記録動画の件。

それを視聴したのは1週間ほど前のことだったのですが、
それは他の8ミリフィルム映像と合わせて編集しなおしたもの。
当然ながら尺の都合でオリジナルから大幅にカットされているわけで、
じゃあオリジナルを見ればもっと内容が充実しているであろうと思い、
付き合いのある教育委員会の伝手を頼って見せてもらうことに成功♪

オリジナル映像は7分ちょっとの尺がありました。
全般的な動画の流れは本編用に編集されたものと大差なかったですが、
惹かれたのはこの鉄骨造の火の見やぐらの先代にあたる
木造やぐらの映像が映っていた場面。

昔はよくあったと思われる3本脚タイプで、うち2本に横桟を渡して
それを梯子として活用していたというスタイルの模様。

160518.4.JPG
160518.1.JPG
160518.3.JPG
160518.2.JPG

ちなみに前エントリーのものはスキャン画像の取り込みに成功したのですが
今回はPC画面をデジカメ撮影したものなので、画質が↓なのはご容赦を。

この動画は公開されているものではないのですが、
なんとか入手できないものかと現在交渉中(^^;
あぁ、やはり火の見ヤグラーの血が騒ぐww


火の見やぐら建設の記録動画 [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市は昨年、合併誕生から10周年を迎えました。
その記念事業の一環の官民協働事業のひとつとして、
市民が保有する古い8ミリ動画を集めて資料整理し、
記録映画を制作するというものがありました。

で、完成したのがこちら。
11.JPG1.jpg
いま、安曇野市ではこの記録映画の出前講座を実施中で、
10人以上のグループからの申込があれば上映会を
催してくれることになっています。

そんな懐かしい記録映画のなかに、火の見やぐらが映っていました。
しかも、建設当時の記録映像です。
2.jpg3.jpg
4.jpg5.jpg
場所は安曇野市堀金の田尻地区の火の見やぐら。
現在は残念ながら撤去解体されてしまっており、
なんとも口惜しいところではありますが、
在りし日の思い出というか、懐かしい出来立てホヤホヤ時代の
地域住民が力を合わせて建設していた当時の様子を知ることができる
大変貴重な動画は、火の見やぐら業界としては第一級の資料と
いえるのではないでしょうか。

6.jpg7.jpg
8.jpg9.jpg
10.jpg
消防団が中心となり建設作業に従事している様子。
昭和30年代でもまだ正式呼称は警鐘楼。
ご婦人方はおにぎりなどの炊き出し部隊として活躍し、
クレーンなど使えないこの時代、みんなで引っ張って立ち上げます。

自分が生まれる前の時代。
でも、そんなに遠い昔話ではない頃の風景。

懐かしくもあり、寂しくもあり。

自分が見たDVDは他の資料映像とともに編集されたもの。
近日、火の見やぐら部分のオリジナルを視聴できる予定♪
あぁ、火の見ヤグラーの血が騒ぐw

2本足が4本足に!? [火の見櫓(安曇野市)]

安曇野市明科、潮沢地区の火の見やぐら。
0113ushiozawa3.JPG
国道19号から国道403号に入って筑北村方面へ少し車を走らせると、
道路沿いに消防団詰所と並んで立っている姿を見ることができます。
0113ushiozawa11.JPG
田園風景が売りの安曇野市にあって貴重な里山集落の潮沢。
いろんな地域活動の縁があってしょっちゅう出かけるエリアなので
この火の見やぐらはもう数え切れないほど目にしているのですが、
その珍しい立ち姿が以前からずっと気になっていました。

0113ushiozawa2.JPG
真横から見るとこんな感じ。
4本足のタワー型といえば東京タワーのような姿がセオリー。
近年新たに建てられたものだと絞りのないずん胴タイプも見られますが、
ここの子はそれらとはまたちょっと違う感じ。
片側が地面に対して垂直に立ち上がり、もう片方はわずかに傾斜している様子です。
0113ushiozawa4.JPG
0113ushiozawa5.JPG
おまけに火の見やぐらとしては珍しい折板屋根を採用。
梯子は落下防止用の柵が、そして脚部は昇降用足掛けがちょこんと付け足されていますね。
0113ushiozawa6.JPG
0113ushiozawa10.JPG
0113ushiozawa9.JPG

細かなところはさておき、全体的な形状の不思議さの疑問を解消すべく、
今回思い切って地元住民の方に取材を敢行。
(というほど仰々しいものではないのですが。)

もともと30数年ほど前までは木造の火の見やぐらが立っていたのですが、
詰所の建て替えに伴って新たに鉄骨造のやぐらを新築。
その際、ノーマルな3~4本足タワー型とせず、なぜか2本足で作ったのだそうです。
2本足やぐらの上部には当然ながら半鐘があり、消防団員は梯子を上って打鐘するわけですが、
やはり2本というのは鉄骨であってもグラグラして相当怖かったらしく。

その後、町からの助成金なども受けることができ、
2本の足を付け足してようやく安定感を出すことができたのでした。
それが今から数えて10数年ほど前のことで、屋根もその際に増設したもののようです。

ターンバックルがリング式ではなく建物でよく使用されるノーマルタイプが用いられているのも、
4本足タイプなのに山形鋼ではなく角型鋼がメインの脚部に使われたのも、
そういう背景から建築→改築されたものだったためのようです。
0113ushiozawa7.JPG
0113ushiozawa8.JPG

なぜ鉄骨で2本足を作ってしまったのかについてはヒアリングを忘れてしまいましたが、
おそらく従前の木造やぐらが2本足の梯子型だったのかもしれませんね。
それで同じようなデザインでやってみたものの、ことのほか揺れがひどくて
困ったことになってしまったというのが真相ではなかろうかと推測。

のどかな里山の集落に立つ火の見やぐらとしては異質なイメージもしますが、
歴史を振り返るとなるほどなという印象になりますね。
0113ushiozawa1.JPG

(取材日:2016年1月13日)


弘仁年間作の噂があったはじめちゃん [狛犬・寺社(岐阜県)]

岐阜県高山市、江名子町の賀茂神社。
151229kamo1.JPG
2015年最後の神社取材先は、
じつは同社の狛犬が弘仁年間の作品で国内最古のものではないか、
という噂がまことしやかにささやかれていた賀茂神社となりました。

境内は集落のはずれの小高い丘の上にあります。
一の鳥居をくぐった先に社務所があり、
その対面の遊歩道のような参道の入口に最初の狛犬がまず一対お出迎え。
151229kamo2.JPG
151229kamo3.JPG

151229kamo4.JPG151229kamo5.JPG
151229kamo6.JPG151229kamo7.JPG

平成5年(1993)6月建立。
151229kamo11.JPG
中田荘吉氏というのはおそらく奉献主のことでしょう。

151229kamo8.JPG151229kamo9.JPG
151229kamo10.JPG
石工名は不明ですが、狛犬のデザインは先の桜ヶ丘八幡宮で見た
高忠の狛犬によく似ています。ファラオのあごひげなどはそのまんまですね。
じつはこの先、拝殿前にこれとそっくりの昭和生まれの狛犬がいるのですが、
ネットではその先代を真似て作ったものだろうとの見解が一般的のようです。
現在の地元の石工さんが先人のデザインを真似て作ったのでしょうかね。
であれば、このファラオ髭を持つ狛犬は高山地方の個性と考えてもいいのではないでしょうか。

ゆったりした参道を奥へと進みます。
151229kamo12.JPG
151229kamo13.JPG

道が折れるところに宝蔵が建っていました。
151229kamo14.JPG
151229kamo15.JPG
賀茂神社ということで葵紋ですが、ここは丸に二重葵のようです。

そしてこの宝蔵脇に立つ文化財の案内看板に
弘仁年間の噂がたったという、はじめ狛犬のアンサーが読み取れました。
151229kamo16.JPG

十数年前のネット上の狛犬愛好家の一部ウェブサイトに出回っていた
「賀茂神社のはじめ狛犬=弘仁年間説」は、どうやら狛犬違いだったようですね。

昔の情報を見ると、当時同社にあった案内板は自分が今回見たものとは異なり、
ただ同社の狛犬二対が他の社宝(神像、仏像など)と合わせて相当古く、
「弘仁時代、藤原末期、足利時代のものと推測される」などと書かれているのみだったらしく。
その不十分な解説から神殿にいる石造のはじめ狛犬の弘仁年間説が浮上したようですが、
実際にはこれと別の木造狛犬二対が神宝として存在するらしく、
現在掲示されている案内にはその旨がはっきりと記されていました。
もしかすると誰かから指摘なり照会があって、正しい内容で書き直したのかもしれないですね。

もともと弘仁年間の石造狛犬などという話自体、にわかに信じがたい話でしたから
だれもその噂話を真に受けてはいなかったでしょうが、
案内板がしっかり直されたということで、もやっとした部分がひとまずスッキリですね。
もっとも、残念ながら肝心のその神殿前のはじめちゃん本体については
姿をしっかりと間近で捉えることは叶いませんでしたが。。。
151229kamo17.JPG
151229kamo18.JPG151229kamo19.JPG

あと、文化財となっている木造の狛犬二対も宝蔵に眠ったままで対面できませんでしたが、
その木造狛犬のことであろう関連の由緒書きが別に設けられていたので、以下掲載。
151229kamo40.JPG151229kamo20.JPG
簡単にいうと、南北朝時代、南朝方の武将がこの地に落ち延びてきた際、
ご神像などとともに持ち寄ったということのようですね。
その伝承どおりなら木造狛犬も弘仁年間ではなく南北朝期(室町前期)作となるでしょうか。
可能性の話として、弘仁年間の狛犬を都から持ち込んだとも考えられなくもないですが、
まあきわめて低い可能性としていいでしょう。
だいいち、木造とはいえ弘仁年間などとなれば、その一点だけで
重要文化財クラスになってしまうでしょうしね。

ということで、境内の様子と拝殿前の残りの一対を拝見して
同社の取材は終わりとすることに。

拝殿。
151229kamo21.JPG

秋葉社。
151229kamo22.JPG151229kamo23.JPG

狛犬はこちら。
151229kamo24.JPG151229kamo25.JPG
151229kamo26.JPG151229kamo27.JPG
151229kamo33.JPG
昭和15年(1940)3月建立。
日影長七氏はこれも奉献主と見るべきでしょうね。

石工名が発見できなかったのですが、
制作年代、そしてデザインから推察して、
高忠(高原忠次郎)の作品とも考えられますが、どうでしょうか。
151229kamo28.JPG151229kamo29.JPG
雪が被って少し分かりづらいですが、
サイドのたてがみのデザインは桜ヶ丘八幡のほうがストレートベースで
賀茂神社は巻き毛が強めという印象があります。

いっぽうで、尾っぽのデザインは非常に似通っていますね。
(上2枚が同社、下二枚が桜ヶ丘八幡の高忠作)
151229kamo34.JPG151229kamo35.JPG
151229sakuragaoka13.JPG151229sakuragaoka14.JPG
中ほどのくねっとカーブする方向が左右で違っていますけど。

もし違う作者なら複数の石工が同類のデザインを制作したということで
さらに高山スタイルの狛犬として評価されるのではと思うので、
ここは高忠以外の人であることを期待したりしますが、さていかがなものでしょう。
151229kamo36.JPG151229kamo37.JPG

今回の高山市郊外の神社取材はこれにて終了。
はじめちゃんのメッカでもある飛騨路は狛犬研究家にとって魅力的な土地です。
今度はゆっくりと時間を確保して(できれば泊りがけくらいの気持ちで)巡って見たいです。
あ、あと雪のない時期が、やっぱりいいですね。
151229kamo38.JPG151229kamo39.JPG

(取材日:2015年12月29日)



子獅子つき神殿狛犬と高忠の狛犬 [狛犬・寺社(岐阜県)]

岐阜県高山市、山口町の桜ヶ丘八幡神社。
151229sakuragaoka1.JPG
国道158号の松ノ木町中の交差点から数年前に国道昇格した
361号の新線を東南方向に向かい、山口集落あたりを東に入った高台に
同社は鎮座しています。

桜が有名なのでしょうか。境内の枝垂桜が市の保存樹木に指定されているようです。
151229sakuragaoka2.JPG
151229sakuragaoka3.JPG
傍らに社務所を見つつ、
一の鳥居をくぐって先に進むと参道狛犬が一対お出迎え。
151229sakuragaoka4.JPG

151229sakuragaoka5.JPG151229sakuragaoka6.JPG
151229sakuragaoka17.JPG
151229sakuragaoka18.JPG
151229sakuragaoka19.JPG
昭和9年建立。
石工:高忠。
七十七翁記念。
木戸脇国之助。

木戸脇さんが喜寿の記念に奉献されたということなのでしょうか。

石工の高忠というのは、「神社探訪・狛犬見聞録」さんの情報によると
高原忠次郎というのが本名のようです。
この地方でいくつかの狛犬を制作された石工さんみたいですね。

151229sakuragaoka7.JPG151229sakuragaoka8.JPG
151229sakuragaoka9.JPG151229sakuragaoka10.JPG
151229sakuragaoka11.JPG151229sakuragaoka12.JPG
エジプトのファラオの付け髭を想起させる顎鬚が特徴的です。

耳がやや大きめで、吽形は角付き。
立ち尾は浪速型も連想できそうな立ち尾ですが、
くねっとしているあたりに個性を感じさせます。
全般に落ち着いたデザインですが、
石工のオリジナリティーが感じられていいのではないでしょうか。
151229sakuragaoka13.JPG151229sakuragaoka14.JPG
151229sakuragaoka15.JPG151229sakuragaoka16.JPG

拝殿はこちら。
151229sakuragaoka20.JPG

賽銭箱についていた紋は八重桜のよう。
151229sakuragaoka21.JPG
八幡様の神紋は三つ巴が一般的ですが、
こちらは桜の名所ということで、やはり桜が神紋とされているのでしょうかね。

本殿は立派な、、、たぶん春日造。
151229sakuragaoka22.JPG

もう一対の狛犬はこちらの本殿前に鎮座しています。
151229sakuragaoka23.JPG
151229sakuragaoka24.JPG151229sakuragaoka25.JPG
建立年、石工ともに不明。
神殿狛犬としてはやや大型。
そのまま参道狛犬として台座に乗っていても不思議ではない感じですね。
151229sakuragaoka26.JPG151229sakuragaoka27.JPG
151229sakuragaoka28.JPG151229sakuragaoka29.JPG
吽形は角をつけています。

151229sakuragaoka30.JPG151229sakuragaoka31.JPG
151229sakuragaoka32.JPG151229sakuragaoka33.JPG
吽形は子取り、阿形は玉取り。
玉の模様はもしかして桜の花びらでも意識したか?
子獅子は親に頭を押さえつけられてちょっと不満顔?

前エントリーの二之宮神社のように社殿がシートで覆われているわけではなかったので
それなりに撮影は出来たのですが、訪問時間がまだ早朝で周囲がまださほど明るくない上に
本殿周囲の柵越しに望遠撮影だったので、ピンボケになってしまったのは残念。
腕の未熟さをカバーしてくれるカメラではあるものの、もっと腕を磨かなくては思う次第。
151229sakuragaoka34.JPG
151229sakuragaoka35.JPG

(取材日:2015年12月29日)


神紋付巨大狛犬とはじめちゃん [狛犬・寺社(岐阜県)]

岐阜県高山市、漆垣内町の二之宮神社。
151229ninomiya1.JPG
国道158号の松ノ木町東交差点を東進する道を進み、
漆垣内町の信号を過ぎたすぐの場所に鎮座しています。
他のウェブサイトでは国道361号沿いと記されているものを見かけますが、
現在の地図情報によれば平成20年に国道が別ルートに路線移行したことで
前面道路は現在国道ではなく市道となっているようです。

隣接して地区の公民館があり、さらに敷地の一角に消防団詰所。
151229ninomiya28.JPG
残念ながら火の見やぐらは残っていませんでしたが、
素敵な火消しのイラストが描かれたシャッターの傍らに、、、
151229ninomiya29.JPG
半鐘、ありました♪
木槌もちゃんとぶら下げてあるということは
まだなにかの際には打鐘しているということでしょうかね。

さて、神社に参ります。
151229ninomiya11.JPG
さっそく参道入口に巨大な狛犬が一対お出迎え。
151229ninomiya2.JPG151229ninomiya3.JPG
151229ninomiya9.JPG151229ninomiya10.JPG
昭和25年(1950)8月建立。
石工:浜○○一
(正しく判読できません。求む情報。)

本体でおそらく4尺は軽く超える石を使っている大型の狛犬。
151229ninomiya4.JPG151229ninomiya5.JPG
戦後数年を経ているとはいえ、昭和のこの時期にこれだけの大きさの狛犬を
制作したというのはなかなかのものです。

151229ninomiya6.JPG151229ninomiya7.JPG

台座上部正面に御神紋と思われるものが刻まれていました。
151229ninomiya8.JPG
菊水ですね。

狛犬を過ぎた先に鳥居。
151229ninomiya12.JPG

正面に神楽殿。
151229ninomiya13.JPG
151229ninomiya14.JPG
小屋梁の太さが足りていないせいでしょう、
殿内に4本の柱が立ち、梁を持ち支えていました。

宝蔵、かな。
151229ninomiya15.JPG

境内社。
151229ninomiya16.JPG
151229ninomiya17.JPG
弥勒菩薩の由緒書きがありました。

石造祠の境内社群。
151229ninomiya18.JPG

拝殿。
151229ninomiya19.JPG
151229ninomiya20.JPG
本殿は市の有形文化財指定のようで、由緒書きがありました。

が、肝心の本殿の様子はご覧のとおり。
151229ninomiya21.JPG
期待のはじめちゃんはこの囲いのなかにいるのですが、
神様に失礼ない程度(←と勝手に自己判断)に下方から覗き込んでみました。
151229ninomiya26.JPG

結果、撮影できたのは下から見上げるだけの、ピンボケだらけの写真ばかり。
151229ninomiya22.JPG151229ninomiya23.JPG
151229ninomiya24.JPG151229ninomiya25.JPG
もっと間近でじっくり観察してみたかったですが、
これ以上の踏み込みはよろしくないと思い断念。
自撮り棒のようなもので遠隔操作撮影すればあるいはかもですが、
持っていたとしても、それも神域を侵すような印象も在るし、積極的になれません。
狛犬たちを愛でたいという感情と神域侵すべからずの理性との戦い。
狛犬巡りをしていると時々遭遇する葛藤ですねw。

まあ撮影は難しい状況でしたが、神殿を静かに守り続けるはじめちゃんの様子を
ライブで直接見ることができたことだけでも良しとしましょう。

帰りがけに撮った最後の一枚。
正体を曝け出すことなく神殿の脇に在ってそっと静かに聖域を守り続ける。
そんな様子が伺える、なにげにお気に入りのショットです。
151229ninomiya27.JPG

(取材日:2015年12月29日)



お猿のはじめちゃん [狛犬・寺社(岐阜県)]

2015年の年の瀬も迫ったある日、飛騨高山方面に出かけました。
いろいろ所用があったためですが、ついでにいくつかの神社めぐりを実行。
そのレポを順次アップして行きます。

岐阜県高山市、丹生川町新張の日枝神社。
151229hie1.JPG

信州から安房峠を越えて飛騨の国へと通じる国道158号は
高山市街地へ入る手前、丹生川支所を過ぎたところで南へ折れますが、
これを直進して国府のほうへとしばらく走ると車窓左手に同社が見えてきます。

鎮守の杜に守られた、こじんまりした境内。
151229hie2.JPG

社務所。
151229hie5.JPG

境内社。
151229hie6.JPG

拝殿。
151229hie4.JPG

訪れた日は未明に降った雪がうっすらと積もった状態。
児童公園も兼ねたような境内の様子はけっこう好きかも。
151229hie3.JPG
集落にどのくらいの子供たちが暮らしているのか分かりませんが、
鎮守の杜で狛犬さんに見守られながら遊びにふける子供たちの姿って
郷愁を誘われるような風景です。

さて、そんな狛犬ですが、拝殿前に一対。
151229hie7.JPG151229hie8.JPG
平成14年9月吉日建立の岡崎現代型。
しかし同社の主役は当然ながらこの子たちにはあらず。

主役は覆い屋のトタンに囲まれた本殿の縁側に座っていました。
151229hie9.JPG
151229hie10.JPG
151229hie11.JPG
そう、狛犬ではなくお猿さん。
しかもデザイン的に見て、お猿のはじめちゃんと解釈してもいいでしょう。
じっさいネットではそのように紹介されている情報が出ていますね。

雌雄がしっかりあるようで、本殿向かって右は雄、同左は雌。
いづれも片膝を立てた姿が仏像の半跏思惟像を想起させます。
151229hie12.JPG
雄は手になにか抱いています。
151229hie14.JPG
子猿かなという印象ではありますが、棒状(巻物?)のようなイメージも。

一方のメスはおっぱいがしっかりデザインされています。
151229hie15.JPG
ということで考えれば、雄の手元はやはり子猿と考えるのが自然ですかね。

顔の彫りは素朴ですが、猿のそれと分かるしっかりとしたもの。
151229hie13.JPG
いづれにしても、神殿はじめ狛犬のメッカともいえる飛騨地方にあっても
特殊といえるお猿さんのはじめちゃんは大変貴重な存在だと思います。

背中に裏書きがあるかなと思ったのですが、目にできる範囲では確認できず。
151229hie16.JPG
はじめちゃんは足座の裏側に建立年など彫られているパターンも少なくないので、
あるいはひっくり返すと何か出てくるかもしれませんね。
求む追加情報、ということで。

取材は昨年暮れのことですが、申年一番の記事エントリーとして
相応しい子たちかなと思い、元日の今日アップさせていただきました。
151229hie17.JPG

(取材日:2015年12月29日)



松本型狛犬との類似性? [狛犬・寺社(東京都)]

10月東京狛犬取材ツアーで巡った神社は4社。
(ほぼ半日ではこのあたりが限界)

昼間に他の仕事を済ませつつ、夕暮れ時にかろうじて訪問できたのがこちら。
東京都目黒区、下目黒の大鳥神社。
151015ootori1.JPG
151015ootori2.JPG151015ootori3.JPG
山手線目黒駅から権之助坂を西へと下った先、
都道317号との交差点角に鎮座している神社で、
江戸期には目黒不動、金比羅権現と並び目黒の三社様と呼ばれていたそうです。

境内はきれいに整備されていて、いかにも都会の神社。

ご祭神は日本武尊。
相殿として国常立尊と弟橘媛命。

境内の由緒書きによると同社の由来は景行天皇時代に遡るそうで、
日本武尊に所縁が深く、社号も尊に由来するもののようです。
151015ootori6.JPG

立派な拝殿、そして本殿。
151015ootori4.JPG151015ootori5.JPG

末社の目黒稲荷神社。
151015ootori7.JPG151015ootori8.JPG

社務所。
151015ootori10.JPG

神楽殿。
151015ootori9.JPG

庚申塔(青面金剛像)など。
151015ootori16.JPG

片隅には切支丹灯篭なるものがありました。
151015ootori13.JPG151015ootori14.JPG
151015ootori15.JPG

さて、狛犬です。
151015ootori17.JPG151015ootori18.JPG

今回の時間が限定される取材ツアーで同社の狛犬をチョイスしたのは
この子の画像を下調べ中に見かけたことによるのですが。
151015ootori19.JPG151015ootori20.JPG
151015ootori23.JPG151015ootori24.JPG
この表情、というかたてがみの様子。
左右にぐわっと広がるたてがみのデザインは、松本型の狛犬を想起させます。

というか、狛犬のアップ画像だけを見せられたりしたら
松本エリアのどこの神社だろう?と思ってしまうかもしれないほど。

151015ootori32.JPG151015ootori33.JPG
『大正五年(1916)九月吉日』建立。
『溝口石工 内藤慶雲』とあります。

内藤慶雲は川崎市の溝ノ口を中心に仕事をしていた石工とのことで、
この名前の刻まれた狛犬も都内や川崎市内などに数多く残っているそうですね。

ただ、それらの狛犬は作風の大きく異なるものが多く、
内藤慶雲の名を用いた作品は複数人によっているというのが通説のようです。
151015ootori21.JPG151015ootori22.JPG

松本型狛犬というのは基本的に江戸狛犬の流れにあるものと位置付けできますが、
その殆どは現在も松本市内で営業されている田近石材店さんの
当時の親方(二代目の田近勝之助など)の手によるもの。
そんななか、安曇野市下鳥羽の大同神社に居る松本型狛犬一対だけは、
白鳥文治郎(ほか2名)の名前が台座に彫られています。
daidou1.JPG
(↑安曇野市下鳥羽の大同神社にいる狛犬。以前の取材記事はこちら

大同神社の子は松本型としては典型的なデザインですが、
その特徴であるたてがみのワイドな広がりもさることながら、
胴体の皮膚というか体毛を表現しているのであろう鑿跡の様子が
内藤慶雲作の大鳥神社の子達と非常に似通っています。
151015ootori29.JPG151015ootori30.JPG
daidou2.JPG
(上が大鳥神社の狛犬。下が安曇野の大同神社の狛犬。)

このような鑿の入れ方が狛犬制作の技術として珍しくないのか否か、
自分はまだそんなに数多くの取材を重ねたわけではないのでよく分かりません。
ただ、これまで500対近く出会った狛犬のなかでは、
この感じの鑿跡は大同神社とこの大鳥神社の2対のみしか見た記憶がありません。

尾のまとめ方も違うといえば違うかもしれませんが、
先入観を持った目で見てしまうとつい両者似通って見えてしまいます。
151015ootori28.JPG151015ootori27.JPG
daidou4.JPG
(同じく上が大鳥神社、下が大同神社。)

顔の向きを含め細かな相違点も認められますし、
今回たまたま似たようなデザインの子に巡りあっただけかもしれません。
ただ、たてがみだけでなく子獅子の顔つきや鞠といった似たデザインを見てみると、
単純に偶然では済ませられない印象を感じてしまうのも否めない事実。
151015ootori25.JPG151015ootori26.JPG
daidou3.JPG
(同じく・・・以下略w)

じつは以前より大同神社の狛犬は白鳥文治郎作ではないのではないかという疑念があり、
余計にそうした受け止め方をしてしまったのかもしれません。

まさか大鳥神社の子達を作った内藤慶雲が、安曇野の大同神社の子達までも・・・?

大同神社の子達が大鳥神社の子達と同じ大正5年建立というのは、偶然?

ちなみに大同神社の子が白鳥文治郎と違うのではという疑念の理由は
大同神社の子以外の松本型狛犬はすべて田近氏の制作であるということと、
田近氏作の別の神社の狛犬と作風があまりに似すぎているということ。
そして白鳥文治郎の名が刻まれた大同神社以外の狛犬を2対知っていますが、
そのいづれも岡崎現代型で自身の手によるものではないことなどから。

そんな以前からの疑念に加え、今回新たに大鳥神社の内藤慶運狛犬が加わり、
これらの狛犬たちの出自に関する関心がますます高まってしまいました。

続報があれば、また追々記事にして行きたいと思いますが、
また次に東京方面でじっくり狛犬取材をする時間が取れれば、
内藤慶雲のその他の狛犬を幾つか見て巡ってみたいとも考えています。
151015ootori34.JPG

以上で10月15日取材ツアーの記事は終わりです。

(取材日:2015年10月15日)



素盞雄神社の獅子山と狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

東京都荒川区南千住の素盞雄神社。
151015susanoo1.JPG
先日の東京日帰り取材ツアー(仮称?)にて
限られた時間内でどの神社を巡ろうかと思案した結果、
前から会いたかった獅子山の狛犬がいるところへ、というわけで訪れてみました。

所在地の千住は日光街道の初宿。
その南側に出来た宿場町が町の起源とのことらしく、
隅田川を渡る手前に鎮座しているのが同社。
151015susanoo35.JPG
151015susanoo36.JPG

御祭神は
素盞雄大神と飛鳥大神。
151015susanoo12.JPG

旧日光街道に面した側の鳥居をくぐると参道両脇に灯篭・・・の遺構?
151015susanoo31.JPG151015susanoo32.JPG
灯篭だったのかなんなのかよく分かりませんが、
災害か何かの影響で本体が失われたのでしょうか。

台座のレリーフにいる狛犬のデザインがいいですね。
151015susanoo33.JPG151015susanoo34.JPG

参道を進むと右手奥に参集殿。
151015susanoo5.JPG

突き当たりにそびえるのは地元で有名な大銀杏だそうで。
151015susanoo10.JPG
151015susanoo11.JPG

御社殿正面は左に回りこんだ先。
拝殿。
151015susanoo3.JPG

神楽殿。
151015susanoo4.JPG

境内社。
151015susanoo7.JPG

境内には富士塚がありましたが、瑞光石という名の由緒書きが。
151015susanoo8.JPG151015susanoo9.JPG
151015susanoo54.JPG
瑞光石はご祭神が降り立った場所で、幕末になって富士塚を築き
浅間神社が祀られることになったのだそうです。
151015susanoo53.JPG

そしてこの浅間神社ここに狛犬が一対。
151015susanoo55.JPG
151015susanoo56.JPG151015susanoo57.JPG
なかなか素朴な時代を感じさせる狛犬。
151015susanoo58.JPG151015susanoo59.JPG
151015susanoo60.JPG151015susanoo61.JPG
151015susanoo62.JPG151015susanoo63.JPG
残念ながら脚部など一部に欠損が見られますが、
頭部にくぼみを持つなど江戸中期までの狛犬にしばし見られる特徴も確認できます。

151015susanoo64.JPG
足座部分に文字が刻まれていて、建立年を記しているようなのですが判読できず。
ネットに出回る情報によると宝暦10年(1760)という解説がありました。

さらに荒川区有形民俗文化財指定の庚申塔群の前にも
黄色い前掛けが印象的な狛犬がいました。
151015susanoo65.JPG151015susanoo66.JPG
151015susanoo67.JPG151015susanoo68.JPG
151015susanoo69.JPG151015susanoo70.JPG
151015susanoo71.JPG151015susanoo72.JPG
151015susanoo73.JPG

社殿正面、境内南側に立つ鳥居をくぐった場所に、さらに狛犬一対が。
151015susanoo2.JPG
151015susanoo13.JPG151015susanoo14.JPG
151015susanoo15.JPG151015susanoo16.JPG
文化五年(1806)戊辰閏六月吉日、建立。
151015susanoo27.JPG
決して大柄ではないですが厳しい表情と分厚い胸板が迫力を感じさせるのと、
たてがみがけっこう長めなのが印象的ですね。
151015susanoo17.JPG151015susanoo18.JPG
151015susanoo19.JPG151015susanoo20.JPG
151015susanoo21.JPG151015susanoo22.JPG
特徴なのは頭頂部の様子。
151015susanoo23.JPG151015susanoo24.JPG
頭に窪みを持つデザインは江戸期の狛犬に見かけますが、
阿形は窪みがあるように思われつつ逆に突起しているようにも見え、
吽形は窪みの中に小さな石のつぶてがあるようにも見えます。
151015susanoo25.JPG151015susanoo26.JPG

台座の文字。
151015susanoo28.JPG
「新吉原角町松葉屋半蔵」。

松葉屋は吉原の有名な引手茶屋とのこと。
自分は全然知らなかったのですが、平成の御世となるまで
その後継となる店が存続していたのですね。
もちろんかつての茶屋としてではなく、吉原の芸者衆によるお座付きや
花魁ショーなどの形で江戸文化の保存継承の役割も担う現代的な事業としてですが。

ところでこの狛犬の台座に「昭和10年」の年号と「市勢久次郎」の氏名が記されていました。
151015susanoo29.JPG151015susanoo30.JPG
なにかの事情から復献したとかそういうことになるんでしょうかね?
銘文の事由がよく分からないです。

そして最後に拝殿正面に鎮座する獅子山。
151015susanoo37.JPG
151015susanoo38.JPG151015susanoo39.JPG
立派なお山に立派な狛犬たちの姿。
151015susanoo40.JPG151015susanoo41.JPG
事前にネットで紹介されている情報で少し予習していましたが、
なるほど高い評価を得ているだけのことはある獅子山だと思いました。
151015susanoo42.JPG151015susanoo43.JPG
151015susanoo44.JPG151015susanoo45.JPG
151015susanoo46.JPG151015susanoo47.JPG
151015susanoo50.JPG151015susanoo51.JPG
胴体や表情の彫りは極端な凝った部分を見せていないですが、
なにより持ち上げた尻部から立ち流れる尾のデザインというか
技術が素晴らしいと思います。
イメージとしては山の頂上に吹く風になびく尾とたてがみ、って感じでしょうか。

背後というかお尻側から見た姿も堂々としたものです。
151015susanoo48.JPG151015susanoo49.JPG
この角度から見ると尾の造形の良さがよく分かりますね。

また、自分が「おっ?」と思ったのは吽形の親獅子の目。
151015susanoo76.JPG
正面から観賞しているとさほど感じなかったのですが、
その直下にいる子獅子との関係を撮ろうとアングルを探っていた時、
親獅子の視線が子獅子のほうに向けられているような印象を持ちました。

目玉は、まあ着色されていてその黒目の向きが少し下方に向けられている感じで、
考えすぎかもしれませんけどなんとなくほのぼのした印象でいいなと思った次第です。

建立年代の詳細は不明ですが、
狛犬の杜別館さまのサイトにあった情報に依れば
推定ですが明治22年以降の建立ではないか、とのことでした。
151015susanoo52.JPG

この日の取材ツアーは時間の都合で他の訪問予定地やその他スケジュールを考えると
足を運ぶのは躊躇われていたのですが、
この獅子山はじめ境内の狛犬たちに出会うことが出来、
断念することなく訪れてよかったと改めて思うことができました。

素盞雄神社HP



三社様の狛犬たち [狛犬・寺社(東京都)]

いまや世界的な観光スポットとなった
東京台東区浅草、浅草寺。
151015asakusa1.JPG
151015asakusa2.JPG
151015asakusa3.JPG
の、本堂東隣に鎮座する浅草神社。
151015asakusa4.JPG

土師真中知命(はじのまつらのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)

社伝による創建の伝承はいろいろ物語があるようですが、
実際は平安末期~鎌倉期にかけて祭神の後裔が
崇祖の思いから創建したものであろうとされているようです。
詳しくはこちらの由緒書き、または同社HPへ。
151015asakusa5.JPG

浅草神社HP

狛犬ですが、同社には自分が確認しただけで三対います。
まず正面鳥居をくぐって拝殿に向かう途中の一対。
151015asakusa6.JPG151015asakusa7.JPG
がっしりした石組みの上に蹲踞する江戸獅子。
151015asakusa8.JPG151015asakusa9.JPG
足座がなくそのまま石組みに本体が据えられていて、
石組みにいろいろ文字が刻まれています。

151015asakusa18.JPG
「天保七(1836)丙申三月」。
建立や奉献の文字はないですが、
まあこれを建立年と考えて差し支えないでしょう。

151015asakusa19.JPG
「山川町大工虎五郎」。
山川町というのはかつて浅草にあった町名のようですね。

151015asakusa17.JPG
「象潟町 大岩」。
象潟も浅草にかつてあった町名のようです。
こちらが石工さんの名前になるのでしょうか?
などと思っていると別の石にも文字が刻まれていました。

151015asakusa69.JPG
「田町 文三郎」。
こちらも町名と名前のみで奉献主なのか石工なのか判然としません。

詳しく調査したわけではないのでなんともいえませんが、
常識で考えて大工がこれを彫り上げたとは想像できないので
少なくとも虎五郎は奉献主と置いて差し支えないと思います。

では田町の文三郎と象潟町の大岩が石工かどうかの検証ですが、
刻まれた名前のパターンからすれば文三郎が虎五郎とともに献主で
大岩を石工と考えるのが普通のような気もします。

ネット上でも、とくに狛犬の杜別館さんに詳しい解説付きで掲載がありましたが、
やはり石工=象潟町の大岩、献主=田町の文三郎&山川町虎五郎、
となされていました。

ただ、奉献主として並ぶ両名の名前のうち、
虎五郎は台座上部に横書きで、文三郎は石工であろうとされている大岩と
同じようなデザインパターンで縦書きによって施されています。
どうもそのへんが自分的にしっくり来なくて、でも資料不足なのでなんともいえず。
もしかして自分が知らないだけで“象潟町の大岩さん”というのは
石工さんとして史料にも名をのぞかせている人なのかもしれませんが。
151015asakusa10.JPG151015asakusa11.JPG
151015asakusa12.JPG151015asakusa13.JPG
151015asakusa14.JPG151015asakusa15.JPG
151015asakusa16.JPG
151015asakusa20.JPG

次に拝殿前の一対。
151015asakusa21.JPG151015asakusa22.JPG
三段組のしっかりした台座の上にブロンズ像の蹲踞タイプ。
151015asakusa23.JPG151015asakusa24.JPG
151015asakusa25.JPG151015asakusa26.JPG
151015asakusa27.JPG151015asakusa28.JPG
151015asakusa29.JPG151015asakusa30.JPG
151015asakusa31.JPG
151015asakusa33.JPG151015asakusa34.JPG

台座に献主と奉献事由、建立年が記されています。
151015asakusa35.JPG
「浅草神社社殿復元記念 三社睦会 昭和三十八(1963)年五月」。

浅草神社の本殿及び幣殿、そして拝殿は国重要文化財指定。
151015asakusa54.JPG
社伝によると本殿などは慶長2(1649)に将軍家光公により建立寄進とあります。
その復元ということですから、なにか大改修でもあったのでしょうかね。

ちなみにウィキペディアでは重文指定を昭和36年としているのですが、
同社HPでは昭和26年となっています。
おそらくウィキの誤記だろうと思い、文化庁のデータベースで念のためチェックしたら
昭和21年指定とありました。・・・はてさて、どゆこと?

三対目は同社に限らずこの日の取材ツアーでもっとも出会いたかった一対。
151015asakusa37.JPG
参道や拝殿前ではなく、すでにご隠居さんとして境内の一角にて
静かに余生を過ごしているといった感じの一対です。

夫婦狛犬として紹介されているようで、由緒書きが用意されていました。
151015asakusa38.JPG
ここにも書かれていますが、足座の部分に文字が刻まれていまして。
151015asakusa41.JPG151015asakusa42.JPG
「諸願成就」

151015asakusa45.JPG
「品川町裏河岸 鈴木平吉」

石工名と建立年は残念ながら刻まれていないようです。
上の由緒書きでは1600年代後半~1700年代前半と推定していますが、
まあおそらくその頃の可能性がもっとも高いと自分も思います。

151015asakusa39.JPG151015asakusa40.JPG
151015asakusa43.JPG151015asakusa44.JPG
151015asakusa46.JPG151015asakusa47.JPG
同時代の江戸狛犬は数多く取材したわけではないですが、
スタンダードなデザインといっていいのではないでしょうか。

この子の存在を知り、いつか会ってみたいと思ったのには理由があって、
それは穂高神社若宮社の狛犬たちのルーツを知る手がかりになるのではと思ったから。
wakamiya1.JPGwakamiya2.JPG
若宮社前の狛犬一対は明和6年の制作で、
江戸で作られて穂高神社まで運ばれてきたことは判っているのですが、
具体的な出生の状況(彫った石工さんとか)までは情報がハッキリしません。

本ブログ(2013/01/13)穂高神社の記事

浅草神社のこの夫婦狛犬と称されている子たちは、事前にネットに出回る画像を見る限り
穂高の子たちと大きさや全体の造形が似通っている印象があったため、
ひょっとするとなにかしら繋がりがあるのでは?と期待して訪れてみたのですが。。。
151015asakusa70.JPG
結論から言って、まあ当然かもですが、とくに手がかりになるようなことは何も無し。
全体の大きさなどはたしかに似ているところはありますが、
細かなデザインはぜんぜん違いました。
頭部の窪みが両社の狛犬ともに存在する特徴とはいえ、
この子たちに限らず江戸中期の狛犬にはよく見かけるものですし、
だいいち穂高神社の子は首を振っていますが、この夫婦狛犬は正面を見据えています。
劇的な展開も多少は期待しましたが、残念ながら同一石工さんではないでしょう。
いづれにしても石工名が残っていないのは惜しいですね。

ただ、年代的にそう遠くない時期に制作された両者だろうと思います。
穂高の子達の奉献主が江戸深川在住の商人だったことを合わせ考えると、
同じ石工さんの作品ではないにしても、浅草のお宮で楽隠居(?)中の夫婦狛犬さんたちとは
ひょっとしたら親戚筋に当たるかもしれない、、、、とか、いろいろと楽しい妄想はつきません。

ところで足座の側面側に刻まれている文字についてですが。
まあ文字の内容は上にも書いた通りで、それはべつにいいんですけど、
現在置かれている状態で阿吽とも向かって左手側面に文字があるのです。
151015asakusa71.JPG
つまり、元あった状態に阿吽の顔が向き合って正対していたとすると
阿形は参道手前側に文字があり、吽形は参道奥側に文字があったことになります。

また、顔が正対せず参道に対して平行に据えられていたと考えると、
阿形は参道内側に文字が向き、吽形は参道外側に文字が向いていたことになります。

まあ狛犬に文字を刻む位置程度、どうでもいいっちゃあそうなんですが、
それが全く異なる内容同士ならまだしもなんですが、
同じ奉献主の名前の刻字だったので、なんとなく違和感を覚えた次第です。
151015asakusa36.JPG

さて、本殿の北側に末社の被官稲荷社へと移動。
社殿前にお約束の狐さんがいました。
151015asakusa48.JPG
151015asakusa50.JPG
151015asakusa51.JPG151015asakusa52.JPG
手にしているのは鍵のようですが、房付きの立派な仕様ですね。

同社の由緒はこちら。
151015asakusa49.JPG
江戸後期の町火消しとして有名な新門辰五郎ゆかりの社ということのようです。

小ぶりな一間社流造の本殿は幕末に祀られて以降、
関東大震災も東京大空襲も無事に生き長らえた、貴重な社殿とのこと。
151015asakusa53.JPG

ところで浅草神社は浅草寺の本堂すぐの位置に隣接しています。
その浅草寺の境内一角に恵比須・大黒天堂という小さなお堂があり、
本尊の石像は江戸前期の作とされているそうなのですが、
そのお堂の前にも小ぶりで可愛らしい古い狛犬さんが一対鎮座しています。
151015asakusa55.JPG
151015asakusa57.JPG

阿吽で正面に向き、少し顔を持ち上げているような格好で蹲踞していました。
151015asakusa58.JPG151015asakusa59.JPG
151015asakusa60.JPG151015asakusa61.JPG

先ほどの浅草神社の夫婦狛犬とどことなく雰囲気は似ており
制作も同年代くらいかなという印象も在ります。
151015asakusa62.JPG151015asakusa63.JPG
151015asakusa64.JPG151015asakusa65.JPG

その制作年、ネット上の情報では延宝三年との話が一部出回っていましたが、
お堂脇の由緒書きでこの年代が示しているのは恵比須と大黒天の石像のことで、
この解説を読む限りでは狛犬まで含まれるとは考えづらいところです。
151015asakusa56.JPG

自分が見た限りでは狛犬本体にそれらしき刻字がありませんでした。
もしかしたら赤い前掛けをめくってみたらお腹あたりに刻まれていたのかどうだか。
あるいは寺に残る古文書などにはその旨が明記されているけれども
現地の由緒書きではたまたまそこまで明示されていないだけ、なのかもしれません。

いづれにしても、見た目の印象から江戸中期頃の作品ではなかろうかと
自分も考えるところではありますけれども。
151015asakusa66.JPG151015asakusa67.JPG

浅草寺界隈はまたしてもゆっくり楽しむことができませんでした。
前回訪れたのはもう9年近く前の初詣。
二年参りで死ぬ思いをしながらの参拝だったりしたので、
そのときは落ち着いて浅草を楽しむこともなく。
そして今回もまた日帰り所用のついでに敢行した取材だったため
狛犬の撮影以外にほとんど時間を使うこともなく退散してしまいました。
ホントは仲見世あたりでもう少しゆっくりしたかったのですが。

とくにこの仲見世の様子の写真。
151015asakusa68.JPG
じつはこの画像の右手には浅草寺本坊の伝法院があるのですが、
その仲見世に面した一角に立派な薬医門が立っています。
その薬医門、じつは松本市小俣の、とあるお屋敷に建てられていた門ということで
それが訳あって伝法院へと移築されたのだという話を以前にある方から伺いまして。
これは浅草に出向いたら写真を撮っておかねば、と思っていたのですが、
なんと現地に行くと同門の前のフェンスには何枚もの「写真撮影禁止」の張り紙。
理由は書かれていないのですが、ここは幼稚園の通用門がすぐ隣にあり、
もしかするとそのプライバシーの問題などからそうなされてしまっているのかもしれません。
真相は不明ですが、いづれにしても禁止の張り紙を無視してまで撮影できるほど
非常識な人間にはなれない自分なので、泣く泣く撮影は諦めた次第でした。

でも、ネットを見るとけっこう写真が出回っているんですよね。
そんなのを見ていると撮影してもなにも言われないのではと思ったりもしますが、
事情が分からないうちはやはり撮るのは躊躇われますし、仕方ないですね。

ということで、最後の一枚は伝法院の撮影不許可な薬医門の兄弟門だとされている、
安曇野市堀金岩原にある、大庄屋山口家の薬医門です。ご参考まで。
yamaguchike.JPG

(取材日:2015年10月15日)



前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。